この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
立石(たていし)は雨乞山の北麓に位置し、北は日本海に面する。半農半漁で立石漁港を有
する。(歩行約1.8km)
この集落へはバス運行がなく、乗合タクシーは1日3便と少ないため車を利用する。
立石漁港前に聳え立つ玄武岩からなる高さ約41mの「沖の島」と、高さ約20mの「
地の島」と呼ばれる岩峰の島がある。
「地の島」には立石観音が祀られ、断崖絶壁の道を辿れば登ることができる。
立石観音は島原の乱後に伝来したと伝えられ、金箔の木造観音菩薩像が安置されている。
かつて大津波が来た時に荒波を打ち砕き、港を守る防波堤の役割を成したと言い伝えら
れ、漁民の守り神として崇敬されている。
頂上から立石集落が一望できる。(手前の建物は漁協)
西立石の家並みと、海岸線には波消しブロックがずらりと並ぶ。
コバルトブルーの海に「地の島」の端はトンネルとなっており、背後に「沖の島」が高
く聳える。
西立石に漁業の守護神・えびす社。
冬の荒波から身を守るため、山斜面を利用した高台に石垣を積み上げて宅地としている。
海岸道路からは急坂で、所々に手摺りが設けてある。
山手に向って民家が見られるが空家が多い。
陸側に頁岩(けつがん)の互層が露出している。デコボコは地層の構成粒子の違いによって
できたもので、未固結の堆積物では粒子の粗い地層の方が出っ張っている。
階段状となった民家の間を細い路地が蛇行する。
路地から枝分かれして、さらに奥の民家に接続している。
後背地は急斜面に棚田が幾重にも重なりあうように続いており、海に向かってすり鉢状
状の地形である。
正面の空地が保育園跡、その右手に門柱があるので小学校跡と思ったが、民地だそうで
学校は山手側とのこと。
路地を抜けると海岸線からの道に合わす。
石碑の正面に「大内義隆□□ 三輪藤太エ門、右横に天文□年八月 行年二十六才」あ
るが、詳細を知り得ない碑となる。
ここが小学校と思ったが寺跡で、住職が亡くなり廃寺・解体されたが、僧の像は残され
たとのこと。
町(市)道に出ると使われなくなったバス停待合所。
引き返して漁港に向けて下る。
立石川の傍に「馬の神様」とされる石碑があるが、刻字は風化して読み取ることができ
ない。
1699(元禄12)年立石・津黄鯨組の本拠地となり、鯨漁のあった頃は賑わったとさ
れる。(海岸道路の一部は駐車場)
立石川に新旧2つの橋。日本海の荒波が正面に押し寄せ、港が狭隘なため、1959(昭
和34)年から漁港の拡張、係留施設の整備などが行われた。
漁港東側から見る「沖の島」と「地の島」。立石漁港は第一種漁港(地元の漁業者が主)
だが、出漁されているのか漁船の数が少ない。近年、高齢化により廃業された方も多いと
か。
東立石の家並みだが、医療、交通手段、金融機関、下水道がないなどが住みづらさを助
長しているようだ。この豊かな自然と漁村の原風景が維持されることを願うばかりである。
向津具半島の海を見渡す位置に日本棚田百選の「東後畑棚田」がある。日本海に面した
斜面に段々と水田が作られている。眼下に「沖の島」と「地の島」のある立石、突き出た
半島が川尻岬。
5月下旬~6月上旬に水田が水面となり、夕日が沈む日本海と漁火が見られる絶景が楽
しめるそうだ。この時期は一面に緑が広がる「夏の棚田」も必見の1つである。