ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

海に浮かぶ赤い鳥居と日良居港 (周防大島町土居・日前)

2021年06月24日 | 山口県周防大島町

        
                 この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         土居(どい)・日前(ひくま)は屋代島の北海岸(内海)中央部に突き出た符崎の西に位置し、
        入海の海岸砂州に立地する。
         土居の地名由来は、かっては竹・葦などが繁茂していた平地で、里人が土井と唱えてい
        たことによるという。
 
         日前の地名由来は、東向きの土地で日受けがよいので日前というようになったという。
        (歩行約3km)

        
         油良集落を散歩して油良東バス停より大畠駅行きのバスに乗車、土居口バス停で下車し
        て土居港へ向かう。

        
         港手前の四差路にいっぷくステーション(トイレ)が設置されている。

        
         1873(明治6)年西方小学校日前分校として創立された島中小学校。


        
         海の傍とは思えない雰囲気である。

        
         西進するとカーブする所に荘厳寺。

        
         荘厳寺(真宗)は永禄年間(1558-1570)日向国の伊藤という人が出家して、久保法師と号し
        て堂宇を建立。1638(寛永15)年現寺号とする。

        
         土居と日前との境が判別できず。

        
         願行寺(真宗)は慶長年間(1596-1615)岸作右衛門が得度して一堂宇を建立。1690(元禄
        3)年現寺号に定める。

        
         明月上人は、1727(享保12)年当寺で生まれ、圓光寺(現松山市湊町)の法灯を継ぐ。
        越後の良寛、備中の寂厳とともに近世の三筆と称された人物である。
         1896(明治29)年百回忌にあたり、圓光寺において正岡子規や高浜虚子などが上人を
        偲び盛大な句会を催した。その際の句が碑として建立されている。

        
        
         国道がやや山手寄りに新設されたため、静かな通りとなっている。

        
         日良居漁港への道。

        
         日良居漁港は第1種漁港(利用範囲が地元漁業者が主)で、小型機船底びき網業を主体と
        する漁法が行われ、なまこ、メバル、あじなどが水揚げされている。

        
         海岸道路と旧道の間に生活道。

        
         表札はないが日前公民館と思われる。

        
         この付近の建物も更新されている。

        
         この地も山手集落の郷と海辺の浜に区分されている。

        
         日前の砂浜先に見えるのが、左手から瀬島、正面に浮島(うかしま)と乙小島、右は符崎の
        鼻。

        
         島中小学校グランド脇が白鳥八幡宮参道。

        
         白鳥八幡宮の創建年月は不詳だが、現存する棟札等により今から約1,000年以前頃、
        山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)から勧請されたという。長浜、日前、土居の産土神とし
        て崇敬されてきた。神殿は流造千鳥破風で、拝殿は入母屋造りでる。

        
         白鳥八幡宮の左にあるのが蛭子神社だが、由緒書きがないため詳細を知り得ず


        
         土居神社は北斗妙見宮として、土居の東、妙見という所に神社があったが、1907(明
        治40)年火災に遭い当地に遷座する。

        
         赤鳥居の前に「宮島様」が祀られているが、御旅所の台座のような上に小祠。

        
         海の中に赤鳥居。ちょうど干潮のため海に浮かぶ光景とはならず。

        
         土居側から見る赤鳥居。

        
         土居の町並み。

        
         旧橘町の集落排水マンホールは、内海と鯛、特産のミカンがデザインされている。

        
         リサイクルショップ「ぐずらん堂」の真向かいに地蔵尊と土居稲荷社。

        
         商店用日除けテント(光吉呉服店)や看板建築が商店だった名残りを示す。

        
         海岸線と旧道、山手から旧道を結ぶ道が2軒ごとに設けてある。

        
         土居集落の東端。ここに大正6年(1917)竣功した「耕地整理竣功記念碑」がある。組合
        数479人、整備面積11町6反2畝歩と記されている。

        
         海岸線に出ると一転して波消しブロックが積み上げられている。

        
         波止にクレーンの支柱跡が残るが、船底清掃及び塗装のため船を吊り上げた名残りと思
        える。

        
         旧道と海岸線の間にある生活道。

        
         新旧対照的な民家の間を過ごし、土居口バス停に戻る。              


油良港の海岸線に沿う集落 (周防大島町油良)

2021年06月24日 | 山口県周防大島町

        
                 この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
        油良(ゆら)は屋代島の北海岸(内浦)中央部の入海に面し、符崎の付け根の東に湾入した海岸
       砂州に立地する。往古は浜里村といわれていたが、いつの時代か丹後国から油良左衛門九郎
       という人が来住して城を築いた。この入江が左衛門九郎の出身地である丹後国油良港に酷以
       していることから、この地を油良というようになったという。(歩行約3km)

       
        JR大畠駅から防長バス周防平野行き40分、油良東バス停で下車。旧道(内海道)に入
       るとお店であったことを示す看板が残されているが、いつ頃まで営業されていたのだろう
       か。

       
        畑地の多くはみかん園。

       
       
        旧道に面する家は、その多くが更新されている。

       
        寿源寺(浄土宗)は、往古、教徳寺という古跡であったが、1615(元和元)年油良の給領
       主・沓屋筑前守元綱が再建する。1628(寛永5)年元綱の死後、法名をとって現寺号と改
       めた。

       
        子安・水子地蔵尊と宝篋印塔。

       
        酒の看板が残
る民家の先で左折する。


       
        国道を横断して山手側に向かうと油良八幡宮の参道。

       
        油良八幡宮は防長寺社由来によると、延長年間(923-931)山城国男山(石清水)八幡宮より
       勧請し、「正八幡宮」と称していたが、明治以降は「八幡宮」と改称する。

       
        本殿の裏手にヤマモモの巨木がある。樹齢は不明だが目通り幹囲は目分量でも指定約5
       m弱はありそうだ。その他社叢には、コジイ(小椎)、タイミンタチバナ(大明橘)、クロガ
       ネモチ。コバンモチなどがある。

       
        八幡宮の車道から見える「橘ふれあいかんころ楽園(がくえん)はデイサービス施設であ
       
るが、2001(平成13)年廃校になった旧油良小学校を利用している。(背後の森が八幡宮) 

       
        旧道に戻って西進するが、これといって見るべきものはない。

       
        油良集落の西端。

       
        山に降った雨をスムーズに海に流し出す水路が設けてあるが、一方で海水が河川に進入
       するのを防ぐ排水ゲートが設けてある。

       
       
        地形によるものか波消しブロックが設置されていない。

       
        波止にレールとクレーン用ポール跡が残るのは、船底掃除、船底塗装をするため、船を
       吊り上げて作業場に運搬する設備であったとのこと。

       
        長い海岸線にブロックはないが、堤防との間に工夫がされている。

       
        喫茶&食堂かと思ったら、周防大島町が推進する民泊体験受入家庭だそうだ。

       
        一部分だが旧道と海岸道路との間に生活道がある。

       
        東端から見る海岸線と集落、遠くに嵩山。

       
        旧道と海岸線は無数の路地で繋がっている。

       
        旧道に出ると西進して油良東バス停に戻る。