ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

麻生は炭鉱住宅が建ち並んでいた地 (美祢市豊田前町麻生)

2021年06月14日 | 山口県美祢市

        
                  この地図は、国地土理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         
麻生は日野川支流の三ツ杉川流域の沖積低地に位置する。地名の由来は地下(じげ)上申に
        よると、往古、麻の中で生まれた麻生助が長じて、麻生盛綱となり、当地に居住したこと
        によるという。(歩行 約5.km) 

                  
  
         JR美祢駅(9:08)からブルーライン交通豊田西市行き30分、豊田前バス停で下車する。

        
         
日野川に架かる馬橋を過ごし、国道を美祢方面に進む。

        
         この建物は、旧国鉄バスの秋吉線豊田前車庫として、1976(昭和51)年から11年間
        使用されたがダイヤ改正で廃止された。
         祖先が築き上げた文化を長く後世に伝えるため、山陽無煙鉱業所関係、農・民具関係資
        料を豊田前小学校に展示保管していたが、小学校新築のため、この建物を改造整備して豊
        田前郷土資料館として保存展示しているという。

        
         この先で旧道に入るが、大内氏の時代には山口市道場門前と海上交通の要港・肥中港を
        結ぶ肥中街道として整備された。

        
         山本モータース(無人)の敷地内に馬のオブジェが置かれている。

        
         1939(昭和14)年丘陵地に山陽無煙鉱業所豊浦社宅が建設され、この社宅に対し「し
        たみせ」として賑わった地である。

        
         最盛期には80店舗以上が軒を連ねていたとされるが、1958(昭和33)年頃から石炭
        不況の影響を受けて衰退の途をたどる。

        
        
         賑わった頃に作成されたであろう看板が残る。

        
         静かな通りである。

        
         中央にアンモナイトの化石、周囲に市の花「桜」が配置され、「かせきとはなのまち」
        と刻字された美祢市の集落排水用マンホール蓋。

        
         このような建物は2軒のみであった。

        
         集落と国道の間を三ツ杉川が西流する。

        
         かって炭鉱住宅(豊浦社宅)が立ち並んでいた地に、美祢社会復帰促進センターが開設さ
        れた。当時の法務大臣が「この施設で、受刑者が生まれ変わることを心から願って、この
        丘を「再誕の丘」と命名したとある。

        
         2007(平成19)年4月、わが国初のPFI手法による官民協働の刑務所として発足す
        る。

        
         刑務所といえばコンクリート塀が連想されるが、当センターはフェンスにより環境への
        調和が図られている。

        
         施設内道路は通行可能であり、地域との共生の観点から敷地内に市立保育園、施設内の
        一般食堂も住民の方々に開放されている。

        
         施設の裏手は田園地帯が広がる。

        
         麻生八幡宮の社伝によると、平安期の1158(保元3)年宇佐神宮より勧請する。もとは
        麻生又二郎盛綱の居城、土井山に創建されて鎮守とされていたが、室町後期の1549(天
           文18)
年現在地に移転したという。

        
         八幡宮が移転した折に麻生盛綱母子の供養塔も移転したとされる。この塔は室町中期の
        作とされ、ほぼ完全な形で残っているのは珍しいそうだ。

        
         長福寺(真宗)の寺伝では、大内義隆の家臣・来島九郎右衛門が、大寧寺において義隆自
        刃後、この地に逃れ亡主の冥福を祈るため、出家・得度して草庵を結ぶとある。

        
        
         四方を山に囲まれた田園地帯は、巨費を投じて圃場整備が行われた。

        
         集落の境に庚申塚。

        
         国道筋に戻ってくる。

        
         浄円寺は往古には真言宗であったが、その後、萩の三戸氏の末葉が堂守していたが、後
        に真宗に帰依して改宗する。

        
         1889(明治22)年町村制施行により、6村が合併し豊田前村が発足する。その後、町
        制に移行して、1954(昭和29)年美祢市になるまで、この地に村(町)役場が置かれた。
        (現在は公民館と市出張所)