ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

美祢市秋芳町の別府はポリエの中に日本名水百選・別府弁天池 

2021年03月04日 | 山口県美祢市

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
         秋吉台の西に位置するこの一帯は、カルスト地形で堅田ポリエ、下嘉万ポリエ、江原ウ
        バーレの3地域に分けられる。
         堅田ポリエは別府台の北部にあたる低地域で、厚東川の支流・川原上川が地内を東流す
        る。ポリエとは石灰岩地域にみられる細長い陥没地でウバーレよりも大きいものをいう。
        (歩行約2.9km)


        
          この地へはバス路線は通勤・通学用に設定され、JR於福駅より片道5.5㎞もあること
        から車で訪れる。(郵便局近くの旧道に駐車)

        
         壬生(みぶ)神社は一ノ鳥居から長い参道である。

        
         城山(石楠山)の南麓に鎮座するが、中世には厚東・大内両氏の争奪の地であり、南北朝
        争乱時には戦場となり、社殿などが兵火にあったものと思われる。

        
          灯籠の上部に鯱のようなものが載っている。

        
         社伝によると、平安期の808(大同3)年豊浦二宮(現下関市の忌宮神社)より勧請したと
        いい、美祢郡の総鎮守であったという。

        
         弁天池駐車場は満杯のため長い車の列。

        
          秋芳梨とニジマス、リンドウがデザインされた旧秋芳町の集落排水用マンホール蓋。

        
         普段はここまで車を乗り入れることができるが、今日は採水される方のみのようだ。カ
        ルシュウムの含有量は20ppmで、人間の口にはぴったりとされている。

        
         厳島神社の創建は平安期の907(延喜7)年とされ、1871(明治4)年まで弁天社として
        祀られてきたが現社号に改称する。
         壬生神社の社坊である金剛寺(真言宗)に水神として、安芸宮島より弁財天を池畔に勧請
        したことに始まるという。

        
         厳島神社傍に諏訪神社が祀られているが、昔、堅田の長林を開拓したが、水に困って諏
        訪大明神に祈ったところ、「弁天様を祀り、青竹を杖として、水の源を探し求めよ」とお
        告げがあり、それからまもなく清らかな水が発見されたという伝説がある。

                
         神木のムキノキは周囲5.3m、樹齢約600年で、神の「依り代(よりしろ)」として保
        護されてきたようだ。材は強靭で農具の柄などに用いられる。

        
        
         厳島神社境内にある別府弁天池は、日本名水百選に選定されており、毎分11tの水が
        湧き出ている。
         コバルトブルーに見えるのはミネラル分を含んだ水が、太陽光に照らされ、青色の光の
        みが反射することで、このような神秘的な色が見えるという。
         最も美しく見えるのは晴れた日がベストだが、時間帯によってはこのように木影が写る
        ので要注意である。

        
         中国自然歩道は、関門トンネル人道入口を起点に、秋吉台で南北に分かれ、北は萩城下、
        山口市の長門峡を経て島根県へ続く。南は県都から羅漢山を経て広島県へ通じる道である。
        蔵前の道が於福から嘉万市への自然歩道である。

        
         地内を蛇行する川原上川。

        
         旧道を東進。

        
         地蔵尊と市があったので恵比須社だろうか。

        
        
         堅田市は宝暦年間(1751-1764)まで定期市が開かれていたが、地理的条件に恵まれなかっ
        たため次第に衰えた。

        
          更新されていない住宅は無住のようだ。

        
         教覚寺(真宗)は、1697(元禄10)年壬生神社の社坊の1つであった喜長庵(真言宗)の
        旧跡に創建したと伝えられる。1875(明治8)年同地の西福寺に合併して廃絶したが、4
        年後に再興されたという。

        
         地内にもトタン葺きの屋根が少なくなっていた。

        
         1889(明治22)年町村制施行により、近世以来の嘉万下村を改称して別府村として発
        足する。以来、1955(昭和30)年秋芳町が発足するまで、この地に村役場が置かれてい
        た。

        
         旧道の家々はその多くが更新されて往時を偲ぶことができない。

        
         緑色のパイプラインが地内を横断しているが、住友大阪セメントの石灰石運搬用のベル
        トコンベアである。秋芳鉱山から日本海側の仙崎港に運び出すために設けたもので、総延
        長16.5kmとされるが大部分はトンネルだそうだ。