ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周南市戸田の昇仙峰に戦時遺構と四郎谷集落

2023年01月31日 | 山口県周南市

                
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         四郎谷(しろうだに)は三方を山に囲まれた入江の集落で、海岸部を山陽本線が走り、山間
        に棚田が
がる。
         昇仙峰(しょうせんぼう)は戸田と四郎谷の間にそびえる山で、標高261mの山頂には戦時

                中に徳山港防備のための徳山要港警備隊が置かれた。(歩行約10㎞、🚻なし)

        
         利便性はJR戸田駅からの方がよいが、JR防府駅から防長バス徳山行き(10:05)に乗車
        して約30分、車窓からの景色とバス停(地名)を楽しんで湯野温泉口バス停で下車する。

        
         歩道橋で国道を横断して、昇仙峰を仰ぎながら四郎谷に通じる車道を進む。

               
         歩道橋から約700m歩くと山陽自動車道上下線のガードを潜る。

        
         そのまま四郎谷へと思ったが昇仙峰登山口の案内を見て、山頂に戦争遺構があると
聞い
        ていたのを思い出して、山登りは素人であるが登山道は整備されているようなので挑戦し
        てみる。

        
         案内に従うと約100m先に登山口があり、ここから左手の自動車道法面に取り付く。
        舗装路であるが急勾配なので休みながらの歩きとなる。(車の場合、ガード傍か登山口駐車
        可能)

        
         次の分岐で見返ると戸田の町並みが眼下に広がる。分岐を左折して金網に沿うが急勾
        配は続く。

        
         やがて広くなった所に階段と大将軍の経塚説明板がある。山陽自動車道の工事中に法面
        から大将軍と呼ばれる経塚が発見されたという。経典を埋納する経塚は、末法思想と弥勒
        信仰に基づき、末法の世に経典が失われてしまうことを恐れ、地中に埋経したことに始ま
        るという。(頂上まで800mとあり)

        
         説明板の先からは未舗装になるが、幅員の広い旧軍道路で落葉を踏みしめながら尾根上
        に上がる。さらに上って行くと左手に水槽のような遺構がみられる。

        
         「頂上まで200m」の案内を過ごすと、左手に海軍の標石と思われるものがあるが刻
        まれた文字は読みとれない。

        
         発電用燃料庫と付属屋は便所であるが、付属屋は当時のものではなさそうだ。 

        
         藪となってはっきりしないが発電所用水槽で、その近くにディーゼル発電機が設置され
        ていたとされる。

        
         燃料庫の裏側から山腹を進むと、兵舎跡と思われる広い平坦地がある。

        
         水槽と思われるものと防空壕のような穴が残っている。

        
        
         軍用道路に戻って少し登ると水槽が2つあるが、手前側は兵舎用水槽、頂上側はポンプ
        により送水した水を貯める貯水槽(写真下側)である。

        
         指揮所の建物。

        
        
         内部は施錠されていないので見ることができるが、大高神山や野島で見たのと同じ形式
        である。

        
         台座にラッパ状の聴音機を据えて敵機の高度や速度を測った。聴音のため周囲の音源を
        遮断する必要があり、探照灯や指揮所、発電所から離れた位置に設置するだけでなく、掩
        体(えんたい)によって音を遮断する仕組みであった。

        
         山頂は初日の出を迎える絶好の山のようで、焚火や場所取り跡などが残されている。

        
         指揮所の屋上は偽装のため植物が植えられ、その中央部に管制器が設置されていたとの
        こと。ここから徳山湾などが一望できる。 

        
         山頂には毘沙門天と石鎚様が祀られているが、毘沙門天は戸田市の心光寺に移されてい
        るとか。

        
        
         石組みの上には150㎝の探照灯が設置されていたが、上空の敵機を聴音機で測定して
        探照灯で照射する仕組みである。航空機による夜間爆撃に対する防空手段で、高射砲など
        の射手がターゲットしやすいように補助するものであったが、半面、照射位置がわかるた
        め攻撃の的になることもあったようだ。

        
         探照灯台の東側に「四郎谷下山道」の案内あり、少し下ると左側に煉瓦のようなものが
        見えるの
で立ち寄ると、兵舎があった真下に残骸が放置されている。

        
         こんな道が続くだろうと期待したが‥‥

        
         下って行くと荒神社の上宮。

        
         上宮の鳥居は笠木と貫が欠落しているが、柱には明治□4年3月吉日とある。

        
         上宮からはほぼ直下降する荒れた道で、上りに使用するのがベストである。

        
         眼下に四郎谷集落と海に浮かぶのは回天基地があった大津島。

        
         集落内で地元の方にお尋ねすると、一昨年(2021)の10月に森林火災があって、海水で
        消火したため緑を取り戻すには時間がかかるだろうと話してくれる。

        
         文政8年乙酉(1825)3月10日と刻まれた石鳥居を潜る。 

        
         鳥居の先で市道に合わす。

        
         ヘアピンカーブを曲がれば左手に荒神社。

        
         四郎谷地区の棚田はやまぐち棚田20選の1つとされるが、見るかぎりでは耕作放棄地
        のようである。

        
         軒数は多いが人口は何人ぐらいだろうか。

        
        
         周南市戸田市民センター四郎谷分館および四郎谷愛郷館の看板がある地は、1879(明
        治12)年に開校した戸田小学校四郎谷支校(後に分校)があった。1942(昭和17)年本校
        に統合されたが、門柱は当時のものと思われるが、建物は1957(昭和32)年に消失し、
        翌年に鼓南中学校(周南市大島)の校舎解体資材によって建設された。


        
         集落背後の昇仙峰には、往古、山麓に正仙坊という寺があり、山を正仙坊山と称してい
        たが、時期や理由はわからないが現在の表記になったという。白くなった箇所が火災によ
        り焼失した箇所である。

        
        
         1898(明治31)年3月17日山陽鉄道の徳山ー三田尻(現在の防府)間が開通、戸田ー
        富海間にトンネルが設置された。1906(明治39)年山陽鉄道は国営(鉄道省)に移管され、
        1935年代に山陽本線は複線化、1964(昭和39)年には電化されて蒸気機関車は姿を
        消した。電化は高さを必要としたため旧トンネルはお役御免になったようだ。

        
         2つのトンネルを歩いてみたが、ライトを忘れたため内部を知ることができなかった。 

        
         下部は石組みで天井部分は煉瓦が用いられている。 

        
         トンネルを出ると車窓からも眺められる風景が広がる。

        
         トンネルから引き返すと橋の袂に「天野屋の碑、この矢印の方向」と案内されている。
        碑から先に案内はないが小山の頂上に構築物が見えるので、とりあえずこの方向に進んで
        みると入口に案内がある。

        
         「天野屋利兵衛は男でござる」の名セリフを残した義心の人、利兵衛の生誕の地と伝え
        られて碑が建立されている。忠臣蔵の物語として登場する人物で、諸説あるようだが「天
        野屋利兵衛のふるさと」を眺めて戻ることにする。

        
         児童たちの通学を見守り続けた地蔵さんに一礼して峠を下る。

        
         右手に棚田を見て、道の駅ソレーネ周南からバス(15:16)でJR戸田駅に出る。


この記事についてブログを書く
« 防府市牟礼の阿弥陀寺から旧... | トップ | 山口市阿知須の岩倉から岩倉... »