いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわき平の歴史の質問を考える!!

2021-12-20 10:23:28 | いわきの講演会

昨日、17年前に山村暮鳥が大正時代に散策した平の街を、
歩いた時、
平に関する質問(クイズ)を聞かれました。
いくつか考えて見ましょう。

1)言い伝えでは岩城公がこの地の領主だっところ、
  現在の紺屋町は別のところにあったと。
  どこ?

2)江戸時代の小名浜は平より賑わいを見せていました。
  戦国時代末期、小名浜を訪れて将来の繁栄ぶりを予想した
  著名な武将がいます。
  それは誰?

3)「釜屋」という屋号4は、幕末に」「椎名家」から養子に入った
  初代 諸橋久太郎が実家の屋号にちなんでつけました。
  「椎名家」の屋号は何?

4)電灯がついたばかりのこの頃、
  炭鉱成金の中には、夜間、足元が暗いときにあるものに火をつけて
  灯りにしたという逸話があります。
  何を燃やしたのでしょうか?

5)松ヶ丘公園は、東京の安藤公の屋敷に植えてあったツツジを移植するなど、
  整備を進め、大正2年に完成した平町最初の都市公園です。
  この公園は、明治40年に整備に着手しましたが、
  ある戦争の勝利を記念して造られることになったと。
  その戦争は何?

6)山村暮鳥は、
  大正3年5月にいわき地方最初の文芸誌「風景」を発刊しました。

  果たして、この雑誌、売れ行きはいかが?

のようないわきの歴史のクイズを出されました。
なかなか当時、わからない部分がありました。

皆さんはいかがでしょうか?

答えです

1)現在の「八幡小路」辺りです。
2)「石田三成」と言われています。
3)「鍋屋」です。
4)「お札(紙幣)」を燃やしたそうです。
5)「日露戦争」です。
6)「あまり売れませんでした」
  平の人たちにはちょっと難しい雑誌だったとのことです。

自分の古い資料を見直すのも
面白いですね。

 

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