小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

政府の税制改正大綱発表で露呈した、戦時中と変わっていなかったマスコミの体質

2013-12-26 18:09:40 | Weblog
 今年最後のブログになる。まだ書き終えていて投稿できずにいる記事が何本かあるが、時期を見て来年多少手を加えて投稿するか、あるいは賞味期限切れでパソコンから削除してしまうことになるか。
 今日は1年を締めくくる意味で、マスコミ界の読者にはかなり耳に痛い話を、一般の読者にはマスコミの世界で生きている人たちの頭の悪さの見抜き方をご伝授したいと思う。
 題材は12月12日に決まった与党の税制改正大綱である。税制改正の中身は細部にわたって検証すると大変な作業になるため、このブログでは消費税増税問題と軽自動車税の値上げ、高額給与所得者に対する所得税増税(所得税が増税されれば必然的に住民税も増税になる)に絞って検証する。
 まず消費税増税だが、すでに民主党政権下で野党だった自公も賛成して成立した法律であり、どこかの大新聞が「景気が腰折れしたら元も子もなくなる」と増税に反対していた。今年の春ころのことで、安倍総理が消費税増税に慎重な構えを見せていた時期である。その新聞は実は民主の野田政権が「社会保障と税の一体改革」を主張して野党の自公に同意を迫っていた時には野田政権の構想を支持し、煮え切らない態度を見せていた自公を批判していた。政権が替わり、政権与党となった自民の安倍総理が消費税増税に逡巡しだすと、途端に主張を豹変させ、先に述べたように消費税増税に反対し始めた。その新聞とは日本で最大の発行部数を誇る新聞である。
 その新聞が、安倍総理が消費税増税に踏み切ると、またまたスタンスを一変させ、増税反対論を引っ込めてしまった。なんと節操のないことか。
 それだけではない。消費税増税を「支持」したうえで軽減税率の導入を求めた。食料品などの生活必需品だけでなく、新聞にも軽減税率の適用をお願いする始末だ。その根拠はヨーロッパ諸国が付加価値税導入に際して、食料品などの生活必需品だけでなく新聞も軽減税率の対象にしたことだが、ヨーロッパ諸国が新聞などを軽減税率の対象にしたのはそれなりのわけがあった。
 当時の言論・情報発信手段の最たる物は新聞だった。その後、ラジオの大衆化を経てテレビがほぼ全世帯に普及するようになり、さらにインターネットでの情報発信が最有力になった現在では考えられないほど、当時は新聞が世論を左右する力が大きかった。つまりヨーロッパ諸国が付加価値税導入に際して新聞を優遇せざるを得なかった事情はそうした時代だったからである。しかし、あからさまに新聞を付加価値税導入に賛成させることは民主主義が社会全体に広くいきわたっていた状況下では、いくらなんでも不可能だった。だから「新聞は文化を守るために欠かせない存在」という屁理屈を付けて軽減税率の対象にしたのである。が、いまは新聞よりテレビ、テレビよりインターネットが世論形成に与える影響力がはるかに大きくなった。だから大新聞がいくら大声を張り上げて「新聞にも軽減税率を」と叫んでも政府だけでなく野党も知らんぷりなのである。
 はっきり言えば、新聞社が軽減税率をお願いしているのは、新聞が民主主義を守るために欠かせない存在だからではない。若い人たちを中心に新聞離れが激しく、発行部数も減少傾向に歯止めがかからず、その結果、新聞社の収益の相当部分を占めてきた広告収入が激減し、いずれ経営難に陥ることが目に見えてきたからにほかならない。そうした足元を見透かされているから、新聞が社説や特集記事を総動員してヨーロッパ諸国が新聞に対する課税を優遇していることをいくら叫んでも、馬の耳に念仏ほどの効果もないのは当然なのだ。
 むしろ新聞がかつてのような権威を回復するには自分たちのための主張をするのはやめて、軽減税率の適用をきめ細かく一般庶民(とりあえず4人家族で年収500万円以下)の人たちには手が出ない生活必需品は食料品も含めてすべて一般税率にして、一般庶民にとって必要不可欠な商品は食料品だけでなく軽減税率を適用することを主張すべきではないか。そんなことにすると商品の税区分仕分けが大変だという反論が出るのは目に見えているが、現在のIT技術をもってすればいとも簡単にできるはずだ。年配の政治家たちにはIT技術の利用によってどういうことが可能になったのかの理解力が皆無である。本来は財務省の官僚たちがそういうシステムを政治家に提案すべきなのだが、零細商店の負担増を考えてか、やるべきことをしていない。そのため零細業者の益税になっている事実に目をつぶっているのだが、政府が消費税対応のレジを零細業者に対しては月額1000円程度の低価格でリースすることを条件にくまなく消費税を課税するようにした方が税収が大幅に増えて元が取れることは間違いない。
 また、現在消費税が非課税になっている家賃にしても、高額所得者が入居している超高級マンションと低所得層が入居している2DKを同じ扱いにする必要がなくなり、前者には一般税率を適用できるようになる。その線引きはその住居にかかっている固定資産税を基準にすれば容易に行えるはずだ。また医療費も現在はすべて非課税になっているが、高額所得者しか受けることが出来ない保険適用外の高度医療に対しては一般消費税を課すべきだろう。
 ついでに15年10月に一応予定されている10%への消費税引き上げだが、果たして1年半という短い期間で景気が回復するか、私はきわめて疑問視している。引き上げ幅は2%だが、この幅は橋本内閣が実施した3%から5%への引き上げと偶然だが一致している。おりしも橋本内閣の時の消費税引き上げはほかの要因も重なるという不幸な時期に遭遇してしまったが、増税で冷え込んだ景気はとうとう回復しないままに日本経済は「失われた20年」(10年という人もいるが)に突入していった。
 来年4月に導入される消費税引き上げは現在の5%から8%へと一気に3%もの増税だ。すでに増税前の駆け込み需要が目に見えて増大しており、それを反映して企業の業績も明るさを増しているように見える。一方株価は一進一退しながらバブル崩壊後の最高値水準で推移してはいる。だが、現実の株価を左右しているのはそうした事情だけではなく、海外の投資ファンドの動向が大きい。国内事情だけで考えると、個人株主の株の売買にかかる源泉税率は、現在は利益の10%だが、来年から20%に引き上げられる。いまのうちに利益を確定しておこうという売り方も増えているようだ。いったん売って、下がったところで買い直すということもありうるから、売買が活発化し、日経平均が下げた日でも証券会社の株価だけは上がるという珍現象も出ている。
 いずれにせよ、日本経済の見通しは経済の専門家でも予想が当たったためしがないと言われるほど付けにくいことは確かだ。とりあえずはっきりしていることは、現在の好況は増税前の駆け込み需要の増大によるもので、増税後の冷え込みがどの程度の期間で回復するかの見通しはまったく付いてない。法律で決まっている15年10月に10%再増税するには、少なくともその半年前には回復軌道にのっていることがだれの目にも見えるような局面になっていないと簡単に増税はできないだろう。ということは逆算して考えると8%への増税後の景気後退が半年程度で終止符を打ち始めることが不可欠となる。つまり景気の底が来年秋には脱し始めないと10%への再増税は空手形に終わる可能性が高くなるということだ。
 見通しとして多少明るい材料はアメリカがどうやらなだらかな長期的景気上昇傾向が定着すつつあるとみられることだ。アメリカも懲りない国だが、二度にわたり土地バブル景気とその崩壊による打撃を経験しているから、さすがに今後は土地バブルを再発させないよう金融政策を行うと思うが、難しいのは実需と投機マネーの動向の見分けである。バブルというのは、実は最初は実需の増大が引き金になっており、実需による土地価格の上昇は健全な経済活動の活発化と言っても良く、金融政策で実需を後退させるようなことがあってはならない。が、実需の増大によって土地価格が上昇を始めると、必ず投機マネーが割り込んでくる。それは自由経済を標榜する以上避けられない現象だが、投機マネーが割り込んできても実需が後退しなければいいのだが、一般の需要家には手が届かない水準まで土地価格が上昇してしまうと、それはもうバブル化していると見なければいけない。そういう状態がだれの目にも見えるようになった時から金融引き締めをはじめたら、一気にバブル崩壊のショックが世界中を覆うことになる。「歴史は繰り返す」と言われるが、そうならないことを期待したい。
 実は投機マネーの大半は個人のお金持ちではなく、好景気でだぶついた金を
抱え込んだ銀行や証券会社、保険会社などの金融機関なのである。その余剰資金が、より有利な「投資先」(と、彼らが勝手に思い込んでいただけの話だったことを何度も経験しているはずだが)としてリーマン・ブラザーズが発行した有価証券(日本で20年前にブームになった抵当証券が原型)に飛びついたのが「失われた20年」の原因である。アメリカで発生したリーマン・ショックが、本来関係がないはずの日本に飛び火した理由はそこにある。一般庶民の虎の子の預貯金を二度とそうしたばくちに使わせないよう財務省は目を光らせなければならない。
 いまの日本経済の好況を支えているのは円安による輸出大企業の業績回復→
株価の高騰→高額所得者(株式を大量に保有している層)の可処分所得の増大
(特に株式売買利益にかかる源泉徴収税が今年一杯10%に抑えられてきたこと
が大きい)による高額商品の実需増加である。
 実需が増大すれば物価は上昇する。それはケインズ経済学を学ばなくても容易にわかる理屈だ。
 日本の戦後の「世界の奇跡」と言われた高度経済成長期は、そのサイクルが成功した典型的なケースだった。日本独特の金融機関の棲み分け(いわゆる「垣根」)と、護送船団方式が大企業から中小企業まで、市場の実需に応えるための設備投資や運転資金などの資金需要を潤沢に支えてきた。それが狂いだしたのは上場企業の時価発行増資が認められるようになって以降である。優良企業は担保や経営者の個人保証が要求される金融機関からの融資(間接金融)を嫌い、増資や社債発行による資金調達による直接金融に方向転換するようになっていった。また長期にわたる高度経済成長が中流階層の広がりを生み、彼らが企業の直接金融を支えていった。そうした好循環は、これからの日本経済には期待できなくなったことを経済政策の基本に据えておく必要がある。
 さて、15年10月に消費税の再増税ができる経済環境が訪れるかどうかはだれも予測できない。政府がいま考えていることは、もし来年4月の増税による景気後退が少なくて済み、1年半で景気が再び活況を回復し、国民も再増税に納得したら消費税を10%に上げますよ、ということだけだ。
 そういう前提で考えると、私は再増税は相当困難だと思う。まず景気がいったん停滞した後(増税直後の不況は不可避だ)、そんなに簡単に短期間で景気が回復するとは考えにくいからだ。なぜか。増税前の駆け込み需要は実は実需だけではなく、今とくに必要としていないものまで買ってしまうからだ。増税というのは実需以上に増税前の景気を押し上げる効果があるということを経済学者のだれも気付いていないのは悲しいかなというしかない。この経験則を経済理論として経済学者が発表したら、おそらくノーベル経済学賞を受賞できるだろう。
 次に仮に神風が吹いて景気が回復したとして、国民が再増税を支持するかど
うかだ。消費税増税の決定で内閣支持率がそれほど低下しなかったのは、増税理由が竹下内閣時の3%導入、橋本内閣時の5%への増税理由(後で詳述するが、日本のマスコミの本質的体質が先の大戦中と全く変わっていないことが今回露呈した)とはまったく違っているからだ。今回の増税は、あくまで民主党政権下での「社会保障と税の一体改革」の流れの延長で決定された、と国民は思っている。だから生活が苦しくなることを承知で、消費税増税を受け入れた結果が内閣支持率に現れたのである。当然国民は今回の増税分がどう使われるか、目を光らせている。もし少しでも消費税増税分が別の用途に使われたりしたら、たとえ景気が回復したとしても再増税に対しては拒否反応を示すことは疑いを容れない。一応政府が発表した来年度予算案には社会福祉関係の予算がある程度増大しているが、それが消費税増税分にきちんと見合っているかどうかのチェックが必要だ。が、それを日本のマスコミに期待してもないものねだりだろう。その理由は後で明確になる。
 だが、今マスコミの関心事は、軽減税率の実施時期と軽減税率の対象商品(食料品など)にしか向かっていない。「お前ら、アホか」と言いたくなるような体たらくだ。軽減税率を10%に再増税する時導入することを自公は合意文書に盛り込んだ。それに対して軽減税率がいつ実施されるか不明だと批判する。再増税がいつ実現できるのかが分からないのに、軽減税率の導入時期だけ明示するなどという無責任なことを政府が約束できるわけがないことくらい当り前だ。
 軽減税率は、10%への増税が可能になった時、間違いなく同時に導入される。まず10%への一律増税を行った後、景気判断によって軽減税率を導入するかもしれないなどという無責任な約束を国民が承知するわけがないことくらいジャーナリストや評論家を標榜する人たちは分からないのか。
 軽減税率は、10%への増税が予定通り可能になれば、その時点(つまり15年10月)に導入される。ただしその場合でも、軽減税率対象品目の消費税は8%に据え置くということだ。大半のジャーナリストや評論家はヨーロッパ諸国の付加価値税を例にとって、食料品は何%が妥当かどうかなどとくだらない競馬の予想屋のようなことを論じているが、いったん定着した消費税率を引き下げることなど政府がするわけがない。
 ヨーロッパの付加価値税は平均で18%前後と極めて高い。それほど高いから食料品など生活必需品である食料品などの付加価値税を低く抑えているのである。ヨーロッパの付加価値税の体系の中で実施されている食料品の軽減税率を、日本の軽減税率の参考にするという発想そのものが非論理的であり、さらにあたかも消費税の持つ逆進性を緩和する唯一の手段と考える思考力の貧弱さを証明していると言わざるを得ない。
 そもそも少子高齢化に歯止めがかからない日本の社会保障制度の現状を維持するためだけでも近い将来消費税を一律17%に引き上げざるを得ないという政府試算も公表されている。仮に15年10月に10%への増税が可能になったとしても、その後も段階的な消費税引き上げは不可避なのだ。そうした中で食料品を軽減税率化するか、それとも低所得層への課税の軽減を図るべきかはこれから十分議論を尽くして国民の支持が得られるような方法を考えていかなければならない。
 今回政府が定めた税制改正大綱には、そうした含みが読み取れる。民自公で合意した「社会保障と税の一体改革」の中身で明記されていたのは消費税増税だけであった。民主党が、消費税増税だけでなく、「社会保障と税の一体改革」の見取り図を国民に分かりやすく示すことが出来ていたら、衆院選・参院選での惨敗は避けられていた。いま民主党政権に替わって自公政府が近未来の見取り図を作成したのが税制改正大綱に盛り込まれた基本的方針である。そういう位置づけで改正案を検証する必要がある。

 消費税増税に伴い政府は税制全般の見直しにも着手した。現在明らかにされたのは、その一部だ。これで税制改正のすべてが網羅されているわけではない。主なものは高額給与所得者への課税強化、自動車税制の見直し、大企業の交際費のうち半分を経費として認め非課税にする、といったメニューが並んでいる。それらの税制改正の中で議論を呼んでいるのは高額給与所得者への課税強化と
自動車税制の見直しである。とりあえず、自動車税制について検証してみよう。
 日本では軽自動車への課税が非常に優遇されてきた。戦後、日本は経済復興の足掛かりを輸出に求めると同時に国内需要の喚起を促すべく産業政策を行ってきた。まず1950年代後半には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電商品が「3種の神器」として喧伝された。56年の『経済白書』が「もはや戦後ではない」と高らかに日本経済の復活をうたった時期でもある。
 私事で恐縮だが、当時中学生だった私の家にはテレビがなく、近所の裕福な家に押しかけてプロレスや相撲を見させてもらったことを覚えている。また野球ファンだった父のお供をして食後に蕎麦屋に行って巨人―阪神戦をよく見たことがある。「食後に蕎麦屋で何を食べたのか」と疑問に思う向きもあろう。実はソフトクリームなのである。日本でソフトクリームを流行らせたのは実は蕎麦屋だった。そのことを覚えている人はまだ少なくないはずだ。
「3種の神器」の次に日本経済のけん引役になったのが3Cだった。60年代半ばの高度経済成長を象徴したのがカラーテレビ、クーラー、カー(自動車)だったのである。この3商品の頭文字がすべてCだったため「3C時代」が高度経済成長の代名詞となった。
 日本政府が自動車を戦後経済復活の柱にしようと考えたのは49年である。その目的を実現するため他国には例を見ない「軽自動車」というジャンルの規格を作り、運転免許証も普通車・小型車・軽自動車の3種類が設けられ(大型は別)、時期や地域によっては実地試験も免除されるなど軽自動車普及のための優遇策が実施された。が、一般庶民の経済力はそれでも軽自動車に飛びつける余裕はなく、政府の思惑は空転した。が、58年に旧中島飛行機の技術者たちが開発した富士重工の「スバル360」が軽自動車ブームのきっかけを作った。スバル360の成功でスズキや本田、三菱、マツダ、ダイハツなどがいっせいに軽4輪の市場に参入、日本に軽自動車の市場が確立、高度経済成長のけん引力になったという経緯がある。当初の軽自動車(このブログでは軽4輪に絞って書いている)の規格は排気量360cc以下だったが、その後数度にわたって改訂され現在は660cc以下まで拡大され、また石油ショックを契機に小型高性能のエンジン開発に拍車がかかった結果、今日、日本の軽自動車はほとんど小型車に劣らない性能を持つようになっている。
 実はマスコミ、とくに大新聞があまり触れたがらないことだが(※自動車メーカーは新聞社にとって大クライアントである)、この日本独自の「軽自動車規格」が外国から非関税障壁として厳しく批判されているのである。今回の税制改正大綱で軽自動車税が増税されることになった本当の理由は、海外からの「日本の軽自動車優遇は非関税障壁だ」という批判に屈したという側面が強い。読売新聞12月13日付朝刊での「税制改正のポイント」解説記事では軽自動車の自動車税(不動産にかかる固定資産税のようなもの)の増税理由を「性能面で普通車との差が小さくなっている一方、税額は、普通車を持っている人が年1回払う自動車税(年2万9500円以上)との差が大きいからだ」と説明しているが、これは軽自動車を買う人への政府の言い訳をうのみにした解説に過ぎず、政府の本音はTPP交渉で海外からの批判を少しでもかわしたいという狙いである。その半面、「日本はこのように海外からの要請にこたえた。アメリカもトラックなど(ピックアップを含む)の関税を引き下げろ」と言える根拠を作ったと考えるのが論理的な解釈であろう。
 次に大企業の交際費は従来はすべて経費として認めないという制度を緩和し、飲食接待についてはかかった費用の半分を経費として認めることにした点である。これは現在のアベノミクス・バブルが中小・零細企業にまで及んでいないことを考慮し、大企業に経済活性化の役割を担わせようという狙いが本音であると言えよう。ただ大企業が政府の期待に応えるかどうか不明なため、とりあえず2年間の時限処置にした。大企業が政府の期待に応え、生じた余裕資金を日本経済活性化のために使う動きが定着したら、この減税処置を延長するであろう。ほかにも時限立法だった個人株主の売買利益にかける源泉徴収税が来年度から20%に倍増することを踏まえ(今年度までは10%)、個人株主の少額投資(年100万円以内)の利益は非課税にするという中流階層に対する株式投資などへの誘い水的な制度であるNISAを新設することになった。リーマン・ショック以降、金融商品のリスクに対する危機感を強めている中流階層が、この誘い水に乗るかどうかは私にも予測がつかない。
 最後に問題の高給サラリーマンに対する課税強化だ。これが実はジャーナリストや評論家、つまり彼らが生活の場にしているマスコミの無能さを完ぺきに露呈してしまった税制改正である。たとえば読売新聞の解説では、ただ政府の増税方針を繰り返しているだけで、軽自動車税増税の解説のような増税理由についての説明に窮し、ウソまでついた。それはそうだ。ウソをつかないと自己否定になってしまうからである。とりあえず、高給サラリーマンへの増税方針は読売新聞が簡潔にまとめているので引用しておこう。
「サラリーマンは、スーツ代など一定額を必要経費として一定額を必要経費として給与収入から差し引き、減税対象額を少なくできる『給与所得控除』が認められている。高収入のサラリーマンは、この控除が縮小され、増税となる」「年収1200万円超の人は2016年1月分から2段階で縮小される。17年1月分から1000万円超の人も増税の対象となり、約172万人が影響を受ける。来年4月からの消費税増税で、収入の少ない人の負担感が増す。その不満を和らげるため、収入の多い人の税負担を増やす」 
 この解説は事実と全く異なっている。政府は高給サラリーマン層の増税理由をちゃんと述べている。読売新聞はあえて政府説明を無視して独自の解説を行った。悪質というしかない。

 実は竹下内閣時の消費税3%導入、橋本内閣時の5%への増税の理由はこうだった。
「日本の累進課税制度は海外先進国の課税制度と比較して高額所得層に対して過酷すぎる。これでは能力があり、一生懸命働いて、その報酬として高額所得を得ている人たちが働く意欲を失いかねない。高額所得層への過酷な累進課税は是正しなければならない」
 政府がそう判断した背景には日本が高度経済成長時代を経て、日本人の大半が中流階層以上という生活意識を持つようになっていたことも背景にあった。そこで高額所得層への減税を図ることにしたのだが、減税だけしたのでは国や地方の財政状況が悪化する。その税収減少を補うのが消費税導入と増税の目的だったはずだ。社会福祉の充実を図るための財源として設けられたヨーロッパの付加価値税とは導入の出発点がそもそも違っていた。そのことを、マスコミはすっかり忘れているようだ。ちなみにアメリカの消費税は各州の独自財源と
して導入されている。そもそもアメリカは連邦国家であり、州の独立性がかな
り強い。連邦法もあるが、きわめて限定されており、住民が守るべき様々な規制や犯罪者に対する罰則は州法で定められている。たとえば犯罪を犯した場合の最高刑罰も死刑を認めている州もあれば死刑を廃止し、その代わりに犯した犯罪の1件ごとに量刑を課し、それらの量刑を合計して懲役250年などといった判決を下す州もある。同様に消費税も州税であり、外国や他州からの観光客が多く訪れるハワイやフロリダなどは観光客からの税収を増やすため消費税を高くしている。その分州の住民の所得税などは低く抑えられている。日本のように高額所得者を優遇するために消費税を導入した国は私が知る限りない。「高額所得者を優遇するため」と私が断定したのは、今回の政府の税制改正大綱の政府の理由説明で政府自身が明らかにしてしまったからだ。そのことは後で書く。消費税導入・増税とセットで実施された高額所得層への減税で日本経済はどういう道をたどったか。
 消費税導入と増税によって高額所得層への課税が大幅に緩和され、消費税5%増税によって所得税の最高税率は40%、住民税(地方税)の最高税率は10%に下げられた(合計で最高50%)。
 その結果、何が生じたか。いわゆる「バブル景気」である。もともと高額所得層は実需で必要な高額商品はすでに持っていた。そこに降ってわいたような可処分所得の増加である。その余裕資金が向かったのが「金が金を生む」と信じられていた商品である。具体的には不動産であり、株であり、ゴルフの会員権や絵画であった。これらの広義な解釈でいえば投機商品のうち、所有し続けることに費用がかかったのが不動産とゴルフの会員権である。ゴルフがいかに好きな人でも、自分がプレーする目的だったら、せいぜい一つか二つ持っていれば十分なはずだ。しかし、所有するだけで年に1回もプレーしないゴルフ会員権でも、年会費が数万円かかる。不動産も空き地のままにしておいても固定資産税がかかる。所有し維持することで費用がかからないのは株と絵画だけである。この時期、株や絵画も高騰したが、異常なほど高騰したのが不動産とゴルフの会員権だった。この二つは、維持することによる費用がかかってもそのコストをはるかに上回る価値の上昇が期待されていたからである。
 そのもっともらしい理由も喧伝されていた。喧伝したのは当然、不動産やゴルフ会員権を売りたい業者だが、彼らにマスコミも同調した。朝日新聞などは、私の友人が開発・販売したゴルフ場の会員権があっという間に売れたと、ゴルフ場の名前まで出した社説を書いた。そのため、そのゴルフ場の会員権は名義変更を開始していなかったが念書売買(株でいえば期限なしの信用取引のようなもの)の相場が一気に2倍に跳ね上がったほどである。念のため、そのゴルフ場はバブル崩壊と同時に破産した。
 そうしたバブル経済の根拠とされたのが、今となってはだれが言い出したの
かは分からないが、東京が世界の金融センターになり、外国企業がどっと東京
に進出しオフィスビルが不足するという噂だった。あとから分かったことだが、
当時の東京のオフィスの空室率は20%ほどに達しており、足りないどころか余っていたのにである。それを百も承知のはずの不動産業者が高値で売り抜けることを目的に暴力団まで雇って都心の土地を買い占め、都心に持っていた土地を売って郊外に引っ越した人たちによって私鉄沿線の郊外の住宅地価格が暴騰した。その後遺症はまだ残っており、いまアベノミクス・バブルで都心の高級マンションは売れ行きが好調だそうだが、郊外の住宅地はバブル崩壊で生き残れた人が少なかったこともあって依然として値上がりしていない。そもそも賃貸から持ち家に移行する世代である30代の人たちの年収が増えないから買い手が少ないという事情もある。話を戻す。
 もともと日本には土地神話が深く国民の間に浸透していた。そこにそういう噂が流れ、噂の真偽も確かめずにマスコミも「東京が世界の金融センターになる」論を振りまいた。そしてマスコミにその「理論的根拠」を提供したのが長谷川慶太郎氏である。今や知る人もほとんどいなくなったが、当時の氏は今の池上彰氏のようにテレビに引っ張りだこだった。最近『日本は史上最長の景気拡大に突入する』なる本を出し、相も変らぬ超楽観主義的観測を振りまいている。どこから長谷川氏に金が流れているかは知る由もないが、氏の超楽観主義的観測に踊らされるバカが増えれば儲かる業界は不動産業界と金融業界であることだけは間違いない。
 ゴルフ会員権の場合は、ゴルフプレーの実需を完全に読み間違えたケースだ。バブル期は企業の接待ゴルフが盛んに行われ、土日はメンバーでも予約を取るのが一苦労という状態だった。そのため、日本にはゴルフ場がまだまだ少ないと思っている人が少なくなかった。また、ゴルフ場のオーナーになることがバブル成金の事業家にとってステータスを高めるための夢にもなっていた。バブル成金だけでなく、大企業も一流ゴルフ場のオーナー企業になることで、企業の知名度・社会的ステータスを高められると思い込んでいた。そもそもそういったバブル思考に染まった事業家や企業に融資していた銀行自らがゴルフ場を保有することに夢中になったのだから、救いようがない話だ。
 それはともかく、今回の税制改正大綱の話に戻る。この問題をきちんと理解していただくには、かつての消費税導入・増税が、どういう経緯で行われ、それがどういう結果を招いたかを、いまだ総括していないマスコミの無能さを理解していただくために明らかにしておく必要があったのだ。
 もう一度、簡単におさらいしておこう。竹下内閣の消費税導入、橋本内閣の消費税増税――その理由は、先進諸外国に比べて日本の高額所得者に対する課税が厳しすぎるため減税したい。だが、高額所得者への減税だけ実施すれば財政難になるため消費税を導入して穴埋めにする――だった。その税制「改正」がバブル景気を生み、そして「失われた20年」の遠因になった。ここまではだれも否定できない事実だ。
 そのことを頭に叩き込んで、今回の高給サラリーマンへの課税強化についての政府の説明はどうだったかを検証する。政府の説明は「給与所得控除が諸外国に比べ、日本の高額給与サラリーマン層は多すぎる。だから、高額給与サラリーマン層の給与所得控除を引き下げる」というものだった。読売新聞の解説とはまったく違う。
 この政府説明は何を意味するか。自民政権自らが過去の消費税導入の理由を完全に否定してしまったことを意味する。
 もう少し噛み砕いて書こう。一般の読者の方はもうお分かりだと思うが、「自分たちが主張してきたことは常に正しかったし、これからも正しい」と信じ込んでいるジャーナリストや評論家には、まだ私が言わんとしていることがまだチンプンカンプンだと思うからだ。
 前の消費税導入や増税の時には、サラリーマン(言っておくが経営者も税務上ではサラリーマン(給与所得者)として扱われる)の所得に対する課税率が諸外国に比べて高すぎると思って課税率を軽減したが、よく調べてみると日本のサラリーマンの課税対象所得は実際の収入ではなく、さまざまな名目の所得控除があり、もともと実収入に比べ課税対象所得額が諸外国に比べて優遇されすぎていた。とくに給与所得控除は累進的に拡大されていて、著しく公平さを欠いていたことが、諸外国の給与所得控除額を調べて分かったので、諸外国並みにする――これが、安倍内閣が決定した税制改正大綱の柱の一つである高給サラリーマン層への課税強化の理由である。再度書く。読売新聞の解説は完全に間違っている。というより意図的にウソの解説をしたとしか考えようがない。
 諸外国のサラリーマンに対する課税制度がどうなっているかは、経済学者でもなんでもない一介のジャーナリストには調べようもないが、少なくとも自民党政府が消費税導入・増税したときには、政府は諸外国の課税実態を承知していたはずだ。日本の高給サラリーマン層の課税対象所得の算出法が極めて優遇されていることを百も承知の上で、日本は高給サラリーマンに対する課税率が過酷すぎると言い張ったということになる。そうしたインチキを黙って見過ごしてきたのが日本のマスコミだったということになる。
 そう考えると戦後のマスコミの姿勢は戦前・戦時中とどこが変わったのかという疑問を持たざるを得ない。とくに戦時中は大本営の発表をうのみにして、日本が敗戦への道をひた走りに走っているときでも、大本営の「また勝った、また勝った」という発表に疑問を挟まず報道してきたことへの反省はどこに行ったのか。私と違って少なくとも大手マスコミは先進国や日本との関係が深い国には出先機関を設置している。マスコミ各社の本社が出先機関に勤務している記者に、その国のサラリーマンに対する課税制度はどうなっているか直ちに調査せよ、という指示を出していれば、竹下内閣や橋本内閣の嘘八百がたちどころに判明していたはずだ。そういう調査を行わずに、竹下内閣、橋本内閣の高額所得者への減税にストップをかけられず、バブル景気の実質的な「生みの親」になり、政府自身が自ら先の高額所得者への減税が誤りであったことを認めても、なおかつ今度は高給サラリーマン層への課税強化を「懸念」する読売新聞は、もはやジャーナリズムではない,と断定せざるを得ない(読者には申し訳ないが、税制改正大綱に対する他紙の論評は知らないので)。
 読売新聞12月13日付の社説を引用しておく。
「(高給サラリーマン層は)将来の家計の負担増を見越し、消費意欲は減退する恐れがある。
 消費増税で低所得者の負担感が増すため、与党は、高所得者への課税強化で不公平感を和らげることを狙ったようだ。
●拙速な所得控除見直し(中見出し)
 だが、控除見直しを巡る本格的な議論は、わずか1週間だった。自営業者と違い、収入を把握しやすい会社員を狙い撃ちにするのでは『取りやすいところから取る』と批判されても仕方がない。
 軽減税率の導入時期を示さない一方で、サラリーマン増税を即決したことに、不満を募らせる人も少なくないだろう」
 読売新聞の主張に、これ以上論評を加える必要はないだろう。ま、私の血祭りにされた読売新聞には気の毒だったと思うが、他紙が税制改正大綱に対してどのような評価をしたかは知らないが、支持していようと批判していようと、マスコミには論評する資格がないことだけは明確である。戦時中の大本営発表をうのみにしてきた体質は、今もそのまま引き継がれているのだから。

 最後に年の瀬を迎えるにあたって、私のブログを読んでくださった皆さんに厚くお礼申し上げるとともに、よいお年を。
 そして少し早いが私からのお年玉を差し上げたい。論理的思考力を高めるためのクイズだ。お分かりになった方はコメントに「解」を書いていただきたい。

問題:上辺が5cm、下辺が7cm、高さが3cmの台形の面積の計算を、公式に頼らず文章で解く方法を書きなさい。
  


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