小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍政権はなぜ沖縄県民の民意を無視するのか? 司法の場で沖縄県が国に勝つ方法を考えた。

2019-03-25 02:14:34 | Weblog
 沖縄県と政府の対立がとうとう抜き差しならなくなった。22日、沖縄県が福岡高裁那覇支部に、名護市辺野古の埋め立て承認撤回の訴訟を起こしたからだ。
 沖縄県は2月24日、米軍基地拡張のための辺野古沖埋め立てについて県民の賛否を問う県民投票を実施した。投票率は52.48%に達し、「反対」票は40万を超え、投票総数の72.15%に達した。一方メディアは、この結果の評価を巡り完全に二分した。朝日と毎日は1面トップで投票結果を報じ、ともに「政府は沖縄県民の民意を尊重すべきだ」と論じた。一方、読売と産経は県民投票を軽んじることが目的だったのかどうかは知らないが、1面トップ記事で、読売は高齢者に対する投薬量問題を、産経は海上自衛隊が観艦式に韓国海軍を招待しないという記事を掲載した。
 1面トップの扱いだけでなく、解説記事でも両者の対応は際立った対立を見せた。1面トップでは扱わなかった日経も朝日、毎日と歩調を合わせた。
 朝日「反対の強い民意が示され、安倍政権の対応が問われる」
 毎日「埋め立てを強行する政府に強い民意を突き付ける形となった」
日経「辺野古移設に絞っても反対の民意が示された」
この3紙に対し読売、産経は沖縄県民が示した民意そのものを軽んじるかのような記事を掲載した。
読売「投票率が52%で広がりを欠いた。影響は限定的になりそうだ」
産経「反対は全有権者の5割どころか4割にも達しなかった」
確かに投票率52.48%は高いとは言えない。が、先の知事選の投票率は上回ったし、少なくとも有権者の5割以上が投票し、かつ有効投票数の72.15%という圧倒的な「反対」票が投じられたという事実が持つ重さは決して軽いものではない。また投票率がこの程度にとどまったのは自公の「自主投票」という県民投票対策の結果による要因を見逃すわけにはいかない。
もし自公が堂々と「辺野古埋め立て賛成」論で反対派と対峙していたら、反対票の割合は多少下がった可能性は否定することはできないだろうが、投票率はおそらく60%を超え、かつ反対票も有効投票総数の65~70%くらいには達していたと思われる。
県民投票の結果について安倍総理は「重く受け止める」としながらも、事実上沖縄県民の民意を踏みにじってきた。沖縄県の玉城知事は県民投票後、安倍総理と4回も面談して埋め立て工事の中止を訴えたが、安倍総理は一切聞く耳を持たず、玉城知事としてはやむを得ず司法の判断を仰ぐことにしたのだろう。現段階では司法がどういう判断を下すかもちろんわからないが、司法の場で玉城陣営はこう主張すべきだという点を整理しておく。

① 政府が主張する「世界一危険と言われている普天間基地の固定化につながる」というレトリックの欺瞞性を明らかにすること。このレトリックは「辺野古移設が唯一の選択肢だ」という非論理的な前提を認めなければ成り立たない議論である。「普天間の移設先」がなぜ辺野古しかないのか。現に橋本氏が大阪府知事だったか、大阪市市長の時だったかに、普天間の移設先として名乗りを上げたくらいだ。政府は最初から「辺野古ありき」で普天間基地移設を論じてきている。最初から辺野古が「唯一の選択肢」というスタンスを崩していないから、もともと沖縄県民の民意を考慮するつもりなどなかったことを法廷で明らかにすることが重要だ。

② 次に、確かに国全体あるいは全国民の利益と一つの県の利益が相反した場合、時にはやむを得ず国の方針を優先せざるを得ないケースもあることは私も否定はしない。が、普天間基地の辺野古移設が、このケースに当てはまるだろうか。当てはまりようがないのだ。政府は日本の安全保障上辺野古移設が必要だと主張するが、そういうだけで「日本の安全保障政策と辺野古移設の論理的必然性」について、国会で一度も全国民や沖縄県民に説明したことがない。政府は少なくとも「沖縄に米軍基地を集中することが、アメリカの覇権政策を支援するためではなく、日本の安全保障上欠かせないこと」また「他国によって沖縄が攻撃される可能性が極めて高く、日本の自衛隊の『実力』だけでは沖縄を防衛することが不可能だから」という政府の認識について、政府は明確かつ論理的な「国民への説明責任を果たす義務がある」ことを、法廷で明らかにしなければならない。

③ また尖閣諸島をめぐる中国との間に生じている領有権問題に対処するためだったら、サッサと尖閣諸島を実効支配するために自衛隊基地をつくればいい。あっ、尖閣諸島は安保条約第5条の対象になることをオバマ前大統領も、トランプ現大統領も明言してくれているのだから、普天間基地の移設先としては尖閣諸島が最適だ。尖閣諸島を守るために米軍が血を流してくれるというのなら、尖閣諸島の米軍基地を維持するための経費は全額日本が負担すればいい。日本国民のほとんどがこの費用負担を喜んで容認するだろう。なぜなら教科書にも記載されている「日本の領土」竹島は、いま韓国に実効支配されている。外務省アジア太平洋局韓国課の幹部によれば「日本は平和的な話し合いで領土問題を解決するという方針ですから、実力での奪還は考えていません」ということなので、尖閣諸島も我が国が誇る実力部隊でありながら、事実上「張り子のトラ」でしかない自衛隊が、実力で尖閣諸島を実効支配するなどということは考えられない。尖閣諸島が安保条約5条の対象だということも、オバマやトランプのリップ・サービスにすぎず、大統領が代わればいつ反故にされるか分かったものではない。だから日本の首相はアメリカの大統領が代わるたびに、頭を下げてオバマやトランプと同じリップ・サービスをお願いして日本国民をごまかし続けなければならない。何しろ正式な文書での約束ではないからね。だけど、いまとりあえず現職大統領が「尖閣諸島は安保条約第5条の対象だ」と言ってくれているのだから、その口約束が生きているうちに普天間基地を尖閣諸島に移設して尖閣諸島を守ってもらうのが最善の方法だろう。

④ このブログを書いているうちに、私も年のせいかだんだん頭に血が上ってきた。で、ことのついでに憲法問題にも触れてしまおう。安倍総理は憲法改正の目的について17年5月3日の憲法記念日に日本会議が主催した「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを寄せ、こう語った。「今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、いまなお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任」だから、「違憲論争に終止符を打つために憲法9条に自衛隊を書き込む。しかし現行憲法9条は1字1句いじらず残す。だから自衛隊の活動には現行憲法の歯止めはかかり続ける」。
私は前回のブログで安倍さんの「重く受け止める」という発言の日本語 としての本来の意味が「軽視する」あるいは「無視する」ことを意味する表現だったことを初めて知り、「物書きのプロを自認していた私としては、恥じ入るばかりだ」と懺悔したが、また新たな日本語の使い方を安倍さんから教わることになったようだ。自衛隊に対する日本人の信頼は9割を超えているのに、憲法に自衛隊を書き込まないと無責任なのか? すでに9割以上の日本人が自衛隊に信頼を寄せているのに、しかも自衛隊の活動は全く変わらないのに、なぜ憲法に自衛隊を書き込む必要があるのか、私の幼稚な頭では全く理解できなかった。で、自民党本部と公明党本部に問い合わせた。「多くの憲法学者や政党のあいだで自衛隊を違憲とする議論が今なお存在しているのが事実なら、具体的に現在行われているはずの『違憲論争』の内容を知りたいので、具体的にどういうメディアや集会などで違憲論が活発に行われているのですか?」。 自民党本部の職員も公明党本部の職員は意外にフェアで、「私もそうした事実は確認していません」と返事をしてくれた。つまりどこにも存在していない「議論」を、権力者になったら小説のように、存在しているかのようにでっちあげる権利が生じるようなのだ。私はこれまで事実に基づいた主張しかしてこなかったジャーナリストとして、こういうこともありだということを初めて知った。いっぱしのジャーナリストを気取っていた私としては恥じ入るばかりだ。とにかく安部さんには教わることがありすぎて、私ごときにはとてもついていけない。

 最後の改憲議論はさておき、辺野古移設問題に関して法廷でここまで政府を追い詰めれば、政府の本音が出る。出さざるを得なくなる。
 では政府の本音とは何か。これが政府の、これまでひた隠しにしてきた本音だ。
 政府によれば日本の安全保障の基本は、アメリカの核の傘によって守られているという一点に尽きる。自国の領土であるはずの竹島を韓国に実効支配されていても、手も足も出せないのは、「自衛隊が実力で竹島を奪還する」と言い出せば、アメリカから「やるな」と命令されるからだ。いや、ひょっとしたら、すでに実力行使について日本政府はアメリカに水面下で打診したかもしれない。アメリカにとっては東南アジアの覇権を維持する要の柱は日米韓の同盟関係であり、そのためには日本の都合など知ったことではないのだ。日韓に軍事的緊張が生じれば、アメリカの覇権構想が根底から崩れかねない。日韓の衝突はアメリカにとって最悪の事態である。だから、尖閣諸島についてははリップ・サービスをしてくれても、竹島についてはリップ・サービスどころか、韓国に「竹島は日本の領土だから返してあげなさい」とも、絶対に言わない。日本はアメリカも頼りにできず、かといって自衛隊という実力組織を有していながら、その実力を行使することもできない。
 日本政府の最大のジレンマは、現行憲法によって自衛隊という、国連憲章51条が認めている個別的自衛権を有していながら、いざというときにその実力を行使できない点にある。しかし、これが日本政府の大きな勘違いの原因でもあるのだが、日本を取り巻く安全保障環境は、実は戦後最も安定しているのだ。ソ連邦の崩壊によって一応冷戦時代は終結した。いま経済力も軍事力もかなりの力をつけた中国が、東南アジア地域の覇権をめぐってアメリカと対峙し、新冷戦時代が始まったと言われている。しかしかつてのような大国による植民地主義(帝国主義とも)の時代は先の大戦の終結によって完全に終焉した。理由は簡単、戦争という資金・人的な膨大な犠牲を払っても、その犠牲に見合う経済的利益は得られないことが先の大戦の結果として大国もわかったからだ。
 実際、日本もアメリカを相手に戦争を始めるというばかげた行動は論外としても、満州国をでっちあげたり朝鮮を併合して、世界の孤児となりながらも結果的に経済的収支はどうだったのか。その検証を、戦後政府はもとよりいかなる政党も、また経済や外交の専門家も行っていない。いや、そもそもそういう検証が必要だという認識を持っている人すら誰もいない。私以外はだが…。
 もちろん戦争で犯した人道的犯罪についての検証と国際社会への謝罪は、被害を受けた国の人たちの心が癒えるまで続ける必要があるし、贖罪もしなければならないと思う。が、そうした人道上の責任を果たすだけでなく、日本は植民地経営の収支も明らかにすべきだ。満州国や朝鮮の経営と運営のためにどれだけ資金を投入し、どれだけ経済的利益を得たのか。
 戦争は宗教や民族間の対立と地域の覇権争いを除けば、経済的権益の拡大や衝突が最大の原因である。日本は海に囲まれ他民族の侵入による民族対立もなければ、日本の国教ともいえる仏教にもいろいろな宗派はあるが、キリスト教やイスラム教のような宗派間の血で血を洗うような覇権争いは経験していない。儒教もまた聖徳太子が定めたとされる17条憲法の第1条にある「和を以て貴しとなす」が日本人の精神的規範となってきたように、覇権争いを禁止してきた。神道は、勘違いしている人も多いようだが宗教ではない。いろいろなお祝い事や催事の儀式を定めたものにすぎず、だから神道には「戒律」がない。
 ということは、現在の日本が戦争に巻き込まれるリスクは天文学的に小さいことを意味する。自ら経済的権益の拡大を求めて再びばかげた戦争をおっぱじめない限りは…。
 もちろん、日本が戦争を始めなくても日本が他国から攻撃される可能性はゼロではない。が、その可能性は天文学的確率であり、限りなくゼロに近い。それでも他国による日本侵略の目的にどんなケースがありうるか考えてみる。
 日本には人的資源以外、国際競争力のある資源は海洋資源を除けば事実上ゼロと言っていい。しいて言えば世界的にも有数な良質な軟水(自然水)があるが、まさか水資源を略奪するために日本を攻撃するバカな国はないだろう。
 資源が目的でないとすれば、日本が占めている地政学的地位だ。これは非常に大きい。もし中国やロシアが日本を支配できれば、覇権を太平洋に展開できる大きな拠点になる。だが中国やロシアがそうした野望をあらわにすれば、日米安保条約がなくても世界中を敵に回すことになる。そんなリスクを冒せるほど中国やロシアの軍事力は大きくはない。
 それでもちょっかいくらい出す国が完全にないとは言い切れない。そうした時厄介なのは自衛隊だ。なにせ韓国に、我が国の領土と教科書にも明記している竹島を占領されていても、手も足も出せない「張り子のトラ」の実力組織でしかなく、仮に安部さんが夢にまで見る憲法9条への自衛隊明記が実現したとしても、現行憲法9条の1項、2項には手を付けず、自衛隊の行動は現行憲法の縛りを受けるというのだから、「張り子のトラ」状態は今後も続くと考えていいだろう。ま、それでもおもちゃのピストルでコンビニ強盗ができるくらいだから、他国からしたらやはり自衛隊の軍事力は脅威であり、おいそれと日本を攻撃しようなどとは考えないだろう。
 さらに付け加えるならば、日本の安全保障環境にとって今最大のリスク要因は、政府が安全保障のかなめと位置付けている日米安全保障条約である。日本政府もいまは覇権主義など毛頭も考えてもいないと思うが、世界一の軍事大国アメリカに反発する国は少なくない。当然極東に展開している米軍基地は、そうした国々にとっては脅威であり、いざという時に備えた軍事力を強化せざるを得ない。米中貿易摩擦で経済成長に陰りが見えだした中国だが、軍事予算だけは突出して拡大しているのもそのせいだし、北朝鮮が身の程も知らずに核やミサイル開発に狂奔するのもアメリカから敵視政策をとり続けられているからに他ならない。またロシアとの間でいったんは急速に進みだしていた融和関係に突如ブレーキがかかったのも、ロシアが歯舞・色丹の2島を日本に返還した場合、米軍基地がこれらの地域に展開されるのではないかという危惧をプーチン大統領が抱いたためだ。
 私は何もアメリカと敵対関係になれなどと言っているのではない。アメリカは経済的にも日本との関係は切っても切れない状況にあり、日本の国益から考えてもアメリカとは最大の友好関係を維持すべきだと考えている。が、安全保障の面からみると日本、とりわけ沖縄に展開されている過剰な米軍基地は中国やロシア、北朝鮮にとっては重大な脅威であり、もしこれらの国とアメリカが偶発的にでも軍事衝突に至ったら、真っ先に沖縄が火の海になる。
 私は現実には核戦争などありえないと思っているが、ある国が核を保有すれば、その国と何らかの問題を抱えている国は対抗上、核を開発せざるを得ない。現に中国と国境問題を抱えているインドが中国の核に対抗して核を持った途端、カシミール地方の帰属をめぐってインドと対立しているパキスタンは即座にインドの核に対抗して核を開発した。今後、パキスタンと何らかの紛争を生じる国が出たら、その国はパキスタンの核に対抗するため核を持たざるを得なくなる。「日本はアメリカの核の傘に守られているから安全」と信じ込んでいるノータリンが日本には多いが、これまで述べてきた理由からアメリカの核は、いまや日本にとって最大の安全保障上のリスク要因なのである。


【追記】司法の世界は本来、事実に対する冷静で客観的な判断と最高度に研ぎ澄まされた論理的思考力が発揮されなければならないはずだ。そのため司法が力(政治権力とは限らない。世論も力だ)から完全に独立した判断を示せる権限を与えられている。が、最近の司法の判断を見るとき、裁判官がそうした自覚を明確に持っているのか、疑問に思わざるを得ないケースがしばしば見受けられる。もともと「三権分立」の思想は、欠陥だらけの民主主義の政治システムをより理想に近づけるために人類が生み出した大きな知恵の一つだ。司法にだけ与えられた特別な権利を、司法が自ら放棄して力に屈することがあっていいのだろうか。繰り返す。力は政治権力だけではない。世論もまた大きな力だ。世論はしばしば感情によって左右される。メディアによって、あるいは政治権力によって誘導される。そうした力に屈せず、時には政治権力や世論を敵に回しても、民主主義を追い求めるのが司法の最大の責任だ。民主主義は、人類が2000年以上の歴史を経ても、なお追い続けなければならない「青い鳥」だ。あと1000年の歴史を経ても、人類は民主主義の政治システムが包含する宿命的欠陥を克服することは困難かもしれない。にもかかわらず、私たちは「青い鳥」を追い続けなければならない。それが人類が人類たるゆえんだと思うからだ。司法が、その闘いの先頭に立ってくれることを願うだけだ。

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