判決理由後半を今回で終え、最後に判決を言い渡す。
「当人に確認しましたが、そんなことは言っていないことがわかりました」と、小林紀興氏がブログに虚偽記載したと読売新聞読者センターから攻撃されたことについては、氏も「言った、言わない」の論争は録音でもしていれば疑いの余地なく証明できるのだが、もともと他人に対して悪意をもって接するようなことはしない人なので、電話機には録音機能がついているが使用したことはないという。
そのため「言った、言わない」といった平行線の論争に陥ることを避けるため、読売新聞読者センターのいわれのない攻撃にも取り合わなかったようだ。が、氏の怒りを爆発させる事態が生じた。小林紀興氏はブログでマスコミを批判することが大半ではあるが、ときに評価することもある。たとえば読売新聞読者センターを震撼させたブログを投稿した1週間後の8月22日には『緊急提言!! 日本はフェアな歴史認識を世界に向かって発信せよ』と題するブログで、読売新聞読者センターとの関係が悪化している最中にもかかわらず、珍しく読売新聞の社説を高く評価した。そのさわりの部分を転記する。
その社説のタイトルはこうだった。
『「史実」の国際理解を広げたい……日本の発信・説得力が問われる』
しばしば「何様だと思っているのか」と言いたくなるような命令口調の、上から見下すような傲慢さがこのタイトルからはまったく感じられない。むしろ読者の視点に立って読者と歴史認識を共有したいという筆者の切ない思いが私の胸に響いたほどである。
この判決理由文で詳細に小林紀興氏の読売新聞社説に対する評価を繰り返すことは差し控えるが、このブログのさわりの部分からも、氏が読売新聞読者センターに対して悪意を持っていたとは当裁判所も考えにくい。にもかかわらず読売新聞読者センターは氏に対していわれのない憎しみを組織ぐるみで抱き続けていたようだ。
小林紀興氏がそのブログを投稿した日の夜、別件で読売新聞読者センターに電話したという。その時の読者センターのスタッフとのやり取りについて、氏は26日に投稿したブログでこう書いている。
「やっと電話に出てくれた方は(※その夜はなかなか電話がつながらなかったようだ)私の記憶にはない声の肩で、『小林です』と名乗ると、『しょっちゅう電話してくる小林さんですか』と聞いてきたので『そうです』と答えると『ねつ造した方ですね』と非難のボルテージを上げた言い方をした。私は当然『何を根拠にそう言えるのですか』と尋ねたところ『録音があるから』と断言した。『本当ですか』と聞くと『当たり前だ』とすごんだ。『録音があるなら聞かせてください』と言ったところ、『そんなことできるわけがない』と拒否し、さらに『裁判が……(後半がぼそぼそした声で聞き取れなかった)』と続けた。私は一瞬恐怖におののいた。
その後、小林紀興氏はこの問題について書いてきたブログ記事のコピーを添えて読売新聞社のコンプライアンス委員会に裁定を仰いだという。どの会社でもそうだが、コンプライアンス委員会は社内に設けられてはいるが、社外の弁護士なども加わっていて、いわば第三者委員会のような存在である。当然コンプライアンス委員会は氏の申し出を無視せず、慎重に調査したようだ。そしてコンプライアンス委員会は氏に軍配を挙げたとみられる。コンプライアンス委員会から氏への直接の回答はなかったらしいが、読売新聞読者センターのスタッフがほぼ総入れ替えになったことと、その後の読売新聞読者センタースタッフの小林紀興氏への対応がガラッと変わったからだ。
どう変わったのか。小林紀興氏によれば、読売新聞読者センターに電話するたびに、氏に好意を持ってくれているらしい(※これは氏の感じ方で、当人が氏に好意を持っているかどうかは当裁判所としては判断できかねる)人を除いて、しばしば「当人に、ブログに書くことについて了解をとったのか」と詰問されたからだ。そういう詰問をしてくること自体、小林紀興氏がブログで書いた読売新聞読者センターとのやり取りは事実であったことを読売新聞社が(読売新聞読者センターではない)認めたことを意味している。それも一人や二人ではなく、何人もの読者センター・スタッフから同じ詰問をされたというから、読者センターの責任者が氏からの電話に対してはそう対応するように指示したと考えざるを得ない。ただ氏も、読売新聞読者センターとの間でトラブルが生じた直後の25日に投稿したブログでこう反省はしている。
「確かに私が、オスプレイ事故件数を米国防総省が公表した件について読者センターに電話したとき、調子に乗りすぎて『つまり記者としては失格ですね』などという思い上がった質問をぶつけてしまったことは大いに反省しているが、読者センターの方も(たとえ同感していただけたとしても)苦笑いしながら『私にはその質問にはお答えできません』と大人の対応をしていただいていたら、私には事実上その方も私と同意見をお持ちのようだと推測できたし、それで十分だった。だから読者センターで大問題になったわずか1行半ほどの文章を書くことはなかったと思う。人のせいにするわけではないが、これまで営々と築き上げてきた読者センターと私との信頼関係がたった1行半のブログ記事によって崩壊してしまったことに思いを致すと、無念でならない」と。
ただ、小林紀興氏はこの裁判が終わったらブログで書かなければならないことがあるので、早く判決を出してほしいと要望されているので、今日判決を下す予定だが、氏が朝日新聞お客様オフィスに安保法制懇の位置づけについての説明を求めたとき、朝日新聞お客様オフィスのスタッフは「そういうご意見があったことは伝えます。ここは読者の質問に答えるところではありませんから」と肩透かしを食ったという。読売新聞読者センターの方も、そういう対応をしていれば、小林紀興氏がそのやり取りをブログに書いたとしても、何の問題もなかったと思われる。現に氏から朝日新聞お客様オフィスの対応の仕方を聞いて、この判決理由で小林紀興氏の証言をそのまま書いたが、朝日新聞が小林紀興氏や当裁判所に対して攻撃的態度をとってくるとは到底考えられないからだ。
しかし、総入れ替えになった読売新聞読者センターの小林紀興氏に対する敵
意は一部のスタッフを除いてかえって増幅したようだ。すでに述べたように、「当人の了解をとったのか」という詰問は氏も聞き流してきたが、とんでもない追及をしてきたスタッフがいた。それはさすがに氏も黙認するわけにはいかず、再び読売新聞社のコンプライアンス委員会に問題を上げることにした。氏は新聞1面の題字の下に記載されている読売新聞のメールアドレスにコンプライアンス委員会宛に抗議のメールを送ろうとした。が、パソコンのディスプレイには「そのアドレスは存在しません」という表示が出るだけで、メールを送ることは不可能だった。で、やむを得ず読売新聞読者センターにFAXして事情を伝え、絶対に握りつぶさずコンプライアンス委員会に渡してくれるように頼むしかなかった。が、これは考えてみれば泥棒に金を預けるに等しい行為だったようだ。読売新聞読者センターに見事に握りつぶされてしまったようだ。読売新聞読者センターの小林紀興氏への憎悪はますます激しくなり、いま氏は読売新聞読者センターとの関係を完全に遮断している。
氏がアウトルックの画面に張り付けて読売新聞に送信する予定だった元原稿(ワードで書いた文書)を一字一句修正せずそのまま転載する。なお日付は今年1月7日である。
昨日、私は『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈の変更はどこに…。積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿しました。
そして午後8時半ごろだったと思いますが、読者センターに電話をして要点を伝えようとしましたが、電話に出た方は私の声ですぐ分かったようで「小林さんですね。自己批判をしていませんね」といきなり言ってきました。私は「何のことですか」と聞き直すと、相手は「ブログに書くことを了解とってないでしょう」と言われました。またその話か、と思ったのですが、すでに読者センターとの関係は修復できたと思っていただけにショックでした。
ご承知のように、オスプレイ問題について読者センターに私の考えを述べたとき、対応された方が私の考えに同意されたので、あまり深く考えずにそのやり取りをブログに書いてしまいました。
当時私はブログの原稿を読売新聞と朝日新聞にはほぼ大半をFAXしていました。読者センターの責任者だと思いますが、私と電話対応された方を突き止め、私が読者センターの方とのやり取りをでっち上げた、と判断されたようです。その結果、私が読者センターに電話すると「本人に確認したが、そんなことは言っていないことがわかりました。ウソを書かないでください」と言われ続けました。その都度、私は「ウソなんか書いていない」と申し上げてきましたが、あるとき「ねつ造した小林さんですね」と言われ、「ねつ造なんかしていない。ねつ造したという証拠があるのか」と聞き返したところ「録音がある」と言わ
れ、「では聞かせてくれ」と申しましたが「裁判が…」と言いかけて突然電話を切られました。
私はこの問題についてのすべてのブログ原稿をコンプライアンス委員会に送りました。とくに8月26日に投稿したブログ『読売新聞読者センターはとうとう「やくざ集団」になってしまったのか?』ではこう書いています。
「私は誠意を尽くし、3日間かけて読者センターへの反論と批判の記事を書くと同時に、私自身も反省すべき点があったことを認めた」
昨日、読者センターの方から「小林さんですね。自己批判していないでしょう」と言われ、私は即座に反論しました。「そちらのほうこそ私にまだ謝っていないじゃないか」と。
私がコンプライアンス委員会に読売新聞読者センターのコンプライアンス違反についての告発をしたのち、読者センターのスタッフはほとんどが総入れ替えになりました。
その後、私が電話をすると聞き覚えのある方たちが戻ってこられていました。ということはコンプライアンス委員会は私の言い分のほうをお認めいただいたと私は理解しています。しかし、その後電話をするたびに「取材ですか。取材なら広報に回しますよ」とか「ブログに書くことの承認をとったのですか」と言って、私の話に耳を傾けずに電話を切られることが続き、私もしばらく冷却期間を置くしかないと考え電話を控えてきました。
その後、昨年12月頃から再び電話をかけ始め、読者センターの方もかつてのように私の意見に耳を傾けてくれるようになり、先日電話して「憲法改正問題」について愚論を申し上げたときは「ありがとうございました。編集局に伝えさせていただきます」とまで異例の対応をしてくださった方もおられるようになりました。この言葉の重みは新聞社の記者経験がない私にもわかります。(※なお小林紀興氏の「現行憲法無効」論は、今年1月22~24日にかけ3回にわたり
ブログで発表している)
私がブログで「私にも反省すべき点はあることを認めた」と書いたことは、昨日の電話に出られた方にお伝えする必要はないと考えています。私は読者に対しての責任をとる必要があると考えたためにブログに書くことの重大性を改めて認識した旨をお伝えしました。
その後は、私が聞いたことは相手を特定できるようなことは書き方はしていません。例外はNHKの視聴者事業局視聴者部の山本健一副部長とのフィギュアスケート競技の結果のニュース報道スタンスに関するFAXでのやり取りで、山本氏にはブログで公開することを伝えたうえで昨年11月10日に投稿のブログ『フィギュアスケート競技のNHKニュース7の報道スタンスは偏向しているぞ!』で書きました。そして読売新聞読者センターには今後、読売新聞に見解を
求めるときはFAXで申し入れることも伝えました。
昨日の方に対してどういう処分をされるのか、教えてください。私が納得すれば、この件は墓場まで持って行きます。ご返事がなかった場合、また私が納得できる処分でなかった場合、すべての経緯とこの申し入れもブログで公開します。猶予期間は土休日を含め1週間です。
その後、小林紀興氏が読者センターに結果を聞きただしたところ、電話に出た方から「有象無象の読者のブログなんか…」と罵倒され、電話も一方的に切られたという。以降、氏は読売新聞読者センターとの連絡は一切遮断しているという。
当メディア最高裁判所としては、以上で判決に至る経緯を述べてきた。そしてこのケースは単に読売新聞読者センターと小林紀興氏との感情的対立にとどまらず、ジャーナリストとしての基本的姿勢にかかわる問題であると受け止めることにした。
新聞などマスコミも含め、メディアとはどうあるべきかという問題を、この事件は問うている。いまツイッターなどSNSによるいわれのない匿名の個人攻撃や誹謗中傷が氾濫し、社会問題化している。ブログはSNSのはしりともいうべきもので、いまだにツイッターやフェイスブックを抑えて最大のSHSメディアの地位を保っている。小林紀興氏が経済とくにハイテク分野のジャーナリストとして一世を風靡したのは20年ほど前の話で、当時の担当編集者はすべて現役を退いており、小林紀興氏の知り合いで氏のブログを読んでいる可能性があるのは一人しかいないはずだと氏は断言している。
小林紀興氏はジャーナリズムの世界に飛び込んだのはまったく偶然だったという(詳細はブログ第1弾の『私がなぜブログを始めたのか』に書かれている)。氏は偶然この世界に飛び込んで以来、ジャーナリストとはどうあるべきかを自
問自答を続け、今もその姿勢に変化はないという。
氏がこの世界に飛び込んだきっかけは偶然徳田虎雄氏と知り合ったことだったという。「事実は小説より奇なり」というが、氏の経験を小説にしたら「そんなことはありえない」と読者からそっぽを向かれたに違いないという。またなんの文筆活動もしてこなかったにもかかわらず、光文社の申し子ともいえる商業主義出版の大手、祥伝社の伊賀弘三郎編集長(当時)が徳田氏の妨害工作にもかかわらず、いきなり小林紀興氏の本名で出版してくれたのは、ひとえに徳洲会のモットーの一つである「ミカン1個でも貰った医者、看護婦(※当時は「看護婦」だった)は直ちにクビにする」という意味を解明したことを伊賀編集長が高く評価してくれたためだったという。
ビジネス社会における贈答関係は両者の力関係を反映する、という不文律を
発見したのは小林紀興氏が初めてであり、医療も医師にとってはビジネスである以上、治療費を貰う患者のほうから金品を貰うことが何の疑問も持たれずに慣習化していることに鋭いメスを小林紀興氏は入れたのである。そして、そうした慣習が日本に根付いてしまったのは、徳川家康が儒教を事実上の国教にすることで「実力主義・能力主義」の世界に終止符を打つことに成功したことに端を発しているという結論に達したという。
実際戦国時代の日本は実力主義・能力主義が当然であり、だから名のある武将は自分の能力を高く評価してくれる大名を求めて「転職」を重ねるのが当たり前だった。そして転職を重ねるたびに立身出世を遂げていく状態は、まさにアメリカのビジネス社会と同じではないかと氏は指摘したのである。
そういう実力主義・能力主義が存続すると徳川家の安泰は確実なものにできないと考えた家康は、林羅山や藤原惺窩らの儒教学者を重用して儒教を日本社会の精神的規範にすることに成功したというのが小林紀興氏の分析である。さらに氏の発想は大きく広がって行く。本来ビジネス社会では、贈答はお金を貰う側がお金を払う側に対して行われるはずであり、だから「力関係の反映」を意味するのだという結論に達した氏は、その贈答関係が逆転している世界で生きている人間は「聖職」と見なされ、「先生」と呼ばれる共通項があると見抜いた。そういう視点でアメリカの映画を見ると、教師や弁護士、医者は生徒や依頼者、患者に対して「サンキュー」と言っていることに気付いたという。日本では「ありがとうございます」と頭を下げるのは、生徒や依頼者、患者の側である。
いま、医者と患者の力関係は当時と大きく変わった。総合病院の医師は、まだ患者に君臨する状態が続いているが、多くの総合病院が「当院は患者さまやお見舞いの方からのお礼は謝絶させていただいています」といった貼り紙をあちこちに貼るようになっている。開業医であるクリニックの医師は患者に対して極めて低姿勢になっている。少なくとも患者を見下すような言い方をする医師はほとんど見なくなった。例外は近隣に競争相手がいないクリニックで、患者を奪われる心配がないから、患者をベルトコンベアの上の荷物のように扱って平然としている。が、そうした医師も競争相手が出現すれば、患者に対する態度がコロッと変わる。
小林紀興氏は「私は知識で書くジャーナリストではない」と胸を張る。氏は「私は右でも左でも、保守でも革新でもない。私がものを書く基準はまだまだ未熟な民主主義を少しでも成熟化していくこと、また国によって異なる民主主義の概念を世界共通の物差しにしていくこと、そのためには対立が生じた場合の解決する方法はフェアネスを基準にすること」を目指しているという。
昨日の判決理由の中で、仲間意識、身内意識がいかに組織を腐敗させるかを書いた。そうした村社会の中でぬくぬくと既得権益を守っている官僚組織に対してマスコミは手厳しい批判をしてきたはずだ。そのマスコミの中でも最大手の属する読売新聞の、しかも読者の意見に対応する窓口である読者センターが、仲間意識、身内意識の中でかばい合っていたら、果たして読者の信頼が得られるであろうか。
以上で当メディア最高裁判所は判決理由を終える。
判決主文――被告「読売新聞読者センター」に解体を命じる。そのうえで、身内意識を捨てた、読者目線に立った新しい読者との対応部署を設けることを当裁判所として読売新聞社に要請する。以上。
「当人に確認しましたが、そんなことは言っていないことがわかりました」と、小林紀興氏がブログに虚偽記載したと読売新聞読者センターから攻撃されたことについては、氏も「言った、言わない」の論争は録音でもしていれば疑いの余地なく証明できるのだが、もともと他人に対して悪意をもって接するようなことはしない人なので、電話機には録音機能がついているが使用したことはないという。
そのため「言った、言わない」といった平行線の論争に陥ることを避けるため、読売新聞読者センターのいわれのない攻撃にも取り合わなかったようだ。が、氏の怒りを爆発させる事態が生じた。小林紀興氏はブログでマスコミを批判することが大半ではあるが、ときに評価することもある。たとえば読売新聞読者センターを震撼させたブログを投稿した1週間後の8月22日には『緊急提言!! 日本はフェアな歴史認識を世界に向かって発信せよ』と題するブログで、読売新聞読者センターとの関係が悪化している最中にもかかわらず、珍しく読売新聞の社説を高く評価した。そのさわりの部分を転記する。
その社説のタイトルはこうだった。
『「史実」の国際理解を広げたい……日本の発信・説得力が問われる』
しばしば「何様だと思っているのか」と言いたくなるような命令口調の、上から見下すような傲慢さがこのタイトルからはまったく感じられない。むしろ読者の視点に立って読者と歴史認識を共有したいという筆者の切ない思いが私の胸に響いたほどである。
この判決理由文で詳細に小林紀興氏の読売新聞社説に対する評価を繰り返すことは差し控えるが、このブログのさわりの部分からも、氏が読売新聞読者センターに対して悪意を持っていたとは当裁判所も考えにくい。にもかかわらず読売新聞読者センターは氏に対していわれのない憎しみを組織ぐるみで抱き続けていたようだ。
小林紀興氏がそのブログを投稿した日の夜、別件で読売新聞読者センターに電話したという。その時の読者センターのスタッフとのやり取りについて、氏は26日に投稿したブログでこう書いている。
「やっと電話に出てくれた方は(※その夜はなかなか電話がつながらなかったようだ)私の記憶にはない声の肩で、『小林です』と名乗ると、『しょっちゅう電話してくる小林さんですか』と聞いてきたので『そうです』と答えると『ねつ造した方ですね』と非難のボルテージを上げた言い方をした。私は当然『何を根拠にそう言えるのですか』と尋ねたところ『録音があるから』と断言した。『本当ですか』と聞くと『当たり前だ』とすごんだ。『録音があるなら聞かせてください』と言ったところ、『そんなことできるわけがない』と拒否し、さらに『裁判が……(後半がぼそぼそした声で聞き取れなかった)』と続けた。私は一瞬恐怖におののいた。
その後、小林紀興氏はこの問題について書いてきたブログ記事のコピーを添えて読売新聞社のコンプライアンス委員会に裁定を仰いだという。どの会社でもそうだが、コンプライアンス委員会は社内に設けられてはいるが、社外の弁護士なども加わっていて、いわば第三者委員会のような存在である。当然コンプライアンス委員会は氏の申し出を無視せず、慎重に調査したようだ。そしてコンプライアンス委員会は氏に軍配を挙げたとみられる。コンプライアンス委員会から氏への直接の回答はなかったらしいが、読売新聞読者センターのスタッフがほぼ総入れ替えになったことと、その後の読売新聞読者センタースタッフの小林紀興氏への対応がガラッと変わったからだ。
どう変わったのか。小林紀興氏によれば、読売新聞読者センターに電話するたびに、氏に好意を持ってくれているらしい(※これは氏の感じ方で、当人が氏に好意を持っているかどうかは当裁判所としては判断できかねる)人を除いて、しばしば「当人に、ブログに書くことについて了解をとったのか」と詰問されたからだ。そういう詰問をしてくること自体、小林紀興氏がブログで書いた読売新聞読者センターとのやり取りは事実であったことを読売新聞社が(読売新聞読者センターではない)認めたことを意味している。それも一人や二人ではなく、何人もの読者センター・スタッフから同じ詰問をされたというから、読者センターの責任者が氏からの電話に対してはそう対応するように指示したと考えざるを得ない。ただ氏も、読売新聞読者センターとの間でトラブルが生じた直後の25日に投稿したブログでこう反省はしている。
「確かに私が、オスプレイ事故件数を米国防総省が公表した件について読者センターに電話したとき、調子に乗りすぎて『つまり記者としては失格ですね』などという思い上がった質問をぶつけてしまったことは大いに反省しているが、読者センターの方も(たとえ同感していただけたとしても)苦笑いしながら『私にはその質問にはお答えできません』と大人の対応をしていただいていたら、私には事実上その方も私と同意見をお持ちのようだと推測できたし、それで十分だった。だから読者センターで大問題になったわずか1行半ほどの文章を書くことはなかったと思う。人のせいにするわけではないが、これまで営々と築き上げてきた読者センターと私との信頼関係がたった1行半のブログ記事によって崩壊してしまったことに思いを致すと、無念でならない」と。
ただ、小林紀興氏はこの裁判が終わったらブログで書かなければならないことがあるので、早く判決を出してほしいと要望されているので、今日判決を下す予定だが、氏が朝日新聞お客様オフィスに安保法制懇の位置づけについての説明を求めたとき、朝日新聞お客様オフィスのスタッフは「そういうご意見があったことは伝えます。ここは読者の質問に答えるところではありませんから」と肩透かしを食ったという。読売新聞読者センターの方も、そういう対応をしていれば、小林紀興氏がそのやり取りをブログに書いたとしても、何の問題もなかったと思われる。現に氏から朝日新聞お客様オフィスの対応の仕方を聞いて、この判決理由で小林紀興氏の証言をそのまま書いたが、朝日新聞が小林紀興氏や当裁判所に対して攻撃的態度をとってくるとは到底考えられないからだ。
しかし、総入れ替えになった読売新聞読者センターの小林紀興氏に対する敵
意は一部のスタッフを除いてかえって増幅したようだ。すでに述べたように、「当人の了解をとったのか」という詰問は氏も聞き流してきたが、とんでもない追及をしてきたスタッフがいた。それはさすがに氏も黙認するわけにはいかず、再び読売新聞社のコンプライアンス委員会に問題を上げることにした。氏は新聞1面の題字の下に記載されている読売新聞のメールアドレスにコンプライアンス委員会宛に抗議のメールを送ろうとした。が、パソコンのディスプレイには「そのアドレスは存在しません」という表示が出るだけで、メールを送ることは不可能だった。で、やむを得ず読売新聞読者センターにFAXして事情を伝え、絶対に握りつぶさずコンプライアンス委員会に渡してくれるように頼むしかなかった。が、これは考えてみれば泥棒に金を預けるに等しい行為だったようだ。読売新聞読者センターに見事に握りつぶされてしまったようだ。読売新聞読者センターの小林紀興氏への憎悪はますます激しくなり、いま氏は読売新聞読者センターとの関係を完全に遮断している。
氏がアウトルックの画面に張り付けて読売新聞に送信する予定だった元原稿(ワードで書いた文書)を一字一句修正せずそのまま転載する。なお日付は今年1月7日である。
昨日、私は『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈の変更はどこに…。積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿しました。
そして午後8時半ごろだったと思いますが、読者センターに電話をして要点を伝えようとしましたが、電話に出た方は私の声ですぐ分かったようで「小林さんですね。自己批判をしていませんね」といきなり言ってきました。私は「何のことですか」と聞き直すと、相手は「ブログに書くことを了解とってないでしょう」と言われました。またその話か、と思ったのですが、すでに読者センターとの関係は修復できたと思っていただけにショックでした。
ご承知のように、オスプレイ問題について読者センターに私の考えを述べたとき、対応された方が私の考えに同意されたので、あまり深く考えずにそのやり取りをブログに書いてしまいました。
当時私はブログの原稿を読売新聞と朝日新聞にはほぼ大半をFAXしていました。読者センターの責任者だと思いますが、私と電話対応された方を突き止め、私が読者センターの方とのやり取りをでっち上げた、と判断されたようです。その結果、私が読者センターに電話すると「本人に確認したが、そんなことは言っていないことがわかりました。ウソを書かないでください」と言われ続けました。その都度、私は「ウソなんか書いていない」と申し上げてきましたが、あるとき「ねつ造した小林さんですね」と言われ、「ねつ造なんかしていない。ねつ造したという証拠があるのか」と聞き返したところ「録音がある」と言わ
れ、「では聞かせてくれ」と申しましたが「裁判が…」と言いかけて突然電話を切られました。
私はこの問題についてのすべてのブログ原稿をコンプライアンス委員会に送りました。とくに8月26日に投稿したブログ『読売新聞読者センターはとうとう「やくざ集団」になってしまったのか?』ではこう書いています。
「私は誠意を尽くし、3日間かけて読者センターへの反論と批判の記事を書くと同時に、私自身も反省すべき点があったことを認めた」
昨日、読者センターの方から「小林さんですね。自己批判していないでしょう」と言われ、私は即座に反論しました。「そちらのほうこそ私にまだ謝っていないじゃないか」と。
私がコンプライアンス委員会に読売新聞読者センターのコンプライアンス違反についての告発をしたのち、読者センターのスタッフはほとんどが総入れ替えになりました。
その後、私が電話をすると聞き覚えのある方たちが戻ってこられていました。ということはコンプライアンス委員会は私の言い分のほうをお認めいただいたと私は理解しています。しかし、その後電話をするたびに「取材ですか。取材なら広報に回しますよ」とか「ブログに書くことの承認をとったのですか」と言って、私の話に耳を傾けずに電話を切られることが続き、私もしばらく冷却期間を置くしかないと考え電話を控えてきました。
その後、昨年12月頃から再び電話をかけ始め、読者センターの方もかつてのように私の意見に耳を傾けてくれるようになり、先日電話して「憲法改正問題」について愚論を申し上げたときは「ありがとうございました。編集局に伝えさせていただきます」とまで異例の対応をしてくださった方もおられるようになりました。この言葉の重みは新聞社の記者経験がない私にもわかります。(※なお小林紀興氏の「現行憲法無効」論は、今年1月22~24日にかけ3回にわたり
ブログで発表している)
私がブログで「私にも反省すべき点はあることを認めた」と書いたことは、昨日の電話に出られた方にお伝えする必要はないと考えています。私は読者に対しての責任をとる必要があると考えたためにブログに書くことの重大性を改めて認識した旨をお伝えしました。
その後は、私が聞いたことは相手を特定できるようなことは書き方はしていません。例外はNHKの視聴者事業局視聴者部の山本健一副部長とのフィギュアスケート競技の結果のニュース報道スタンスに関するFAXでのやり取りで、山本氏にはブログで公開することを伝えたうえで昨年11月10日に投稿のブログ『フィギュアスケート競技のNHKニュース7の報道スタンスは偏向しているぞ!』で書きました。そして読売新聞読者センターには今後、読売新聞に見解を
求めるときはFAXで申し入れることも伝えました。
昨日の方に対してどういう処分をされるのか、教えてください。私が納得すれば、この件は墓場まで持って行きます。ご返事がなかった場合、また私が納得できる処分でなかった場合、すべての経緯とこの申し入れもブログで公開します。猶予期間は土休日を含め1週間です。
その後、小林紀興氏が読者センターに結果を聞きただしたところ、電話に出た方から「有象無象の読者のブログなんか…」と罵倒され、電話も一方的に切られたという。以降、氏は読売新聞読者センターとの連絡は一切遮断しているという。
当メディア最高裁判所としては、以上で判決に至る経緯を述べてきた。そしてこのケースは単に読売新聞読者センターと小林紀興氏との感情的対立にとどまらず、ジャーナリストとしての基本的姿勢にかかわる問題であると受け止めることにした。
新聞などマスコミも含め、メディアとはどうあるべきかという問題を、この事件は問うている。いまツイッターなどSNSによるいわれのない匿名の個人攻撃や誹謗中傷が氾濫し、社会問題化している。ブログはSNSのはしりともいうべきもので、いまだにツイッターやフェイスブックを抑えて最大のSHSメディアの地位を保っている。小林紀興氏が経済とくにハイテク分野のジャーナリストとして一世を風靡したのは20年ほど前の話で、当時の担当編集者はすべて現役を退いており、小林紀興氏の知り合いで氏のブログを読んでいる可能性があるのは一人しかいないはずだと氏は断言している。
小林紀興氏はジャーナリズムの世界に飛び込んだのはまったく偶然だったという(詳細はブログ第1弾の『私がなぜブログを始めたのか』に書かれている)。氏は偶然この世界に飛び込んで以来、ジャーナリストとはどうあるべきかを自
問自答を続け、今もその姿勢に変化はないという。
氏がこの世界に飛び込んだきっかけは偶然徳田虎雄氏と知り合ったことだったという。「事実は小説より奇なり」というが、氏の経験を小説にしたら「そんなことはありえない」と読者からそっぽを向かれたに違いないという。またなんの文筆活動もしてこなかったにもかかわらず、光文社の申し子ともいえる商業主義出版の大手、祥伝社の伊賀弘三郎編集長(当時)が徳田氏の妨害工作にもかかわらず、いきなり小林紀興氏の本名で出版してくれたのは、ひとえに徳洲会のモットーの一つである「ミカン1個でも貰った医者、看護婦(※当時は「看護婦」だった)は直ちにクビにする」という意味を解明したことを伊賀編集長が高く評価してくれたためだったという。
ビジネス社会における贈答関係は両者の力関係を反映する、という不文律を
発見したのは小林紀興氏が初めてであり、医療も医師にとってはビジネスである以上、治療費を貰う患者のほうから金品を貰うことが何の疑問も持たれずに慣習化していることに鋭いメスを小林紀興氏は入れたのである。そして、そうした慣習が日本に根付いてしまったのは、徳川家康が儒教を事実上の国教にすることで「実力主義・能力主義」の世界に終止符を打つことに成功したことに端を発しているという結論に達したという。
実際戦国時代の日本は実力主義・能力主義が当然であり、だから名のある武将は自分の能力を高く評価してくれる大名を求めて「転職」を重ねるのが当たり前だった。そして転職を重ねるたびに立身出世を遂げていく状態は、まさにアメリカのビジネス社会と同じではないかと氏は指摘したのである。
そういう実力主義・能力主義が存続すると徳川家の安泰は確実なものにできないと考えた家康は、林羅山や藤原惺窩らの儒教学者を重用して儒教を日本社会の精神的規範にすることに成功したというのが小林紀興氏の分析である。さらに氏の発想は大きく広がって行く。本来ビジネス社会では、贈答はお金を貰う側がお金を払う側に対して行われるはずであり、だから「力関係の反映」を意味するのだという結論に達した氏は、その贈答関係が逆転している世界で生きている人間は「聖職」と見なされ、「先生」と呼ばれる共通項があると見抜いた。そういう視点でアメリカの映画を見ると、教師や弁護士、医者は生徒や依頼者、患者に対して「サンキュー」と言っていることに気付いたという。日本では「ありがとうございます」と頭を下げるのは、生徒や依頼者、患者の側である。
いま、医者と患者の力関係は当時と大きく変わった。総合病院の医師は、まだ患者に君臨する状態が続いているが、多くの総合病院が「当院は患者さまやお見舞いの方からのお礼は謝絶させていただいています」といった貼り紙をあちこちに貼るようになっている。開業医であるクリニックの医師は患者に対して極めて低姿勢になっている。少なくとも患者を見下すような言い方をする医師はほとんど見なくなった。例外は近隣に競争相手がいないクリニックで、患者を奪われる心配がないから、患者をベルトコンベアの上の荷物のように扱って平然としている。が、そうした医師も競争相手が出現すれば、患者に対する態度がコロッと変わる。
小林紀興氏は「私は知識で書くジャーナリストではない」と胸を張る。氏は「私は右でも左でも、保守でも革新でもない。私がものを書く基準はまだまだ未熟な民主主義を少しでも成熟化していくこと、また国によって異なる民主主義の概念を世界共通の物差しにしていくこと、そのためには対立が生じた場合の解決する方法はフェアネスを基準にすること」を目指しているという。
昨日の判決理由の中で、仲間意識、身内意識がいかに組織を腐敗させるかを書いた。そうした村社会の中でぬくぬくと既得権益を守っている官僚組織に対してマスコミは手厳しい批判をしてきたはずだ。そのマスコミの中でも最大手の属する読売新聞の、しかも読者の意見に対応する窓口である読者センターが、仲間意識、身内意識の中でかばい合っていたら、果たして読者の信頼が得られるであろうか。
以上で当メディア最高裁判所は判決理由を終える。
判決主文――被告「読売新聞読者センター」に解体を命じる。そのうえで、身内意識を捨てた、読者目線に立った新しい読者との対応部署を設けることを当裁判所として読売新聞社に要請する。以上。
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