小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「TPPを、日本食文化を世界に広めるための“神風”に」 石油ショックを克服した産業界の知恵は?

2015-11-09 05:49:43 | Weblog
 なぜ政府はTPP交渉の合意内容を小出しにするのか。一応現時点では政府は合意内容をすべて公開したとしているが、こう小出しを続けられると、本当にすべて明らかにしたのかという疑問を持たざるを得ない。
 政府が小出しにした理由は定かではないし、メディアも政府が小出しにしてきたことへの疑問を呈していないので不明だが、一気に全てを公開してしまうと、国内の産業界とりわけ農畜産業界に大混乱が生じるとでも思ったのかもしれない。
 実は私は安倍内閣の政策のすべてに反対しているわけではない。安保法制についても、私の反対論の主要な点は2点であった。一つは現行憲法では日本の武力行使は「専守防衛」に限定されているという解釈(憲法制定時の吉田内閣は「自衛のための武力行使も憲法上認められない」と解釈していたくらいだ)。もう一つは、現行憲法制定時の日本の国力、とりわけ国際社会に占める地位は現在のそれは比較にならないほど低かった。が、現在の日本が国際社会に占める地位や国力に伴う責任は憲法制定時と比較にならないほど大きくなっており、その責任を果たすためには憲法を改正して、国際社会とりわけアジア太平洋地域の平和と安全に貢献すべき責任を課せられていると私は思っている。が、そのために日本が果たすべき役割は、安倍内閣が目指しているアメリカ軍事力を補完することではなく、アジア太平洋の諸国と協力して集団安全保障体制を構築することではないかという考えが基本にあるからだった。
 が、安倍総理の基本的思考法は、祖父の岸元総理が60年安保改定でやり残した日米安保条約の片務性を解消して双務的な関係にすることにあった。安倍総理自身は自らの手で日米安保条約の再改定ができるとは思っていないだろうが、近い将来の自公内閣に日米安保条約の再改定を委ねるつもりであることは間違いないと思う。日米安保条約の再改定によって片務性を解消することは大切だが(その結果、沖縄の米軍基地の大幅な減少と地位協定の解消を日本はアメリカに要求できることになる)、現行憲法を改定せず、解釈変更によって日米安保条約を多少でも双務的にすることは、外交面だけでなく軍事面でもアメリカへの追随を強めるだけという結果になりかねないからだ。
 そうした問題をはらんでいる安保法制には、私はあくまで反対の姿勢を貫くつもりだが、安倍内閣の政策には賛同できる要素も少なくない。その一つに「農協改革」がある。
 全中をピラミッドの頂点とする農協組織は、自民党にとって最大級の票田である。そのため自民党政権はこれまで零細農家に対して「生活保護」的な農家保護政策を継承してきた。読者が勘違いされると困るので、従来の自民党の農政の中心は「農業保護」ではなく「零細農家保護」であった。実際、競争力がある大規模農家は政府の「農家保護」のための減反政策に従わず、自主流通米
制度を確立させ、農協組織に頼らずそれぞれ独自の流通ルートを築いてきた。
 安倍内閣の農協改革は、まだ問題点が残ってはいるが、これまでの自民党政権が手を付けられなかった農協組織解体への第一歩になる可能性があると考えてもいいのではないか、と私は思っている。
 なぜ安倍内閣は、自らの首を絞めかねない農協改革に乗り出したのか(「なぜ乗り出さざるを得なかったのか」と書いた方がより正確かもしれないが)。その背景にはTPP交渉で日本が仲間外れにされる可能性が強かったという事情があった。つまり日本が輸入農産物の関税を段階的に引き下げても、関税引き下げに見合うだけの「農家保護」政策を続ける限り、海外の輸出国にとって日本への輸出が伸びないため、「農家保護」も段階的に引き下げることを日本に要求していたという事情があったのではないか。
 また現在の零細農家に対する「農家保護」政策に対する国民の不満も頂点に達しつつあった。なぜ農家だけを特別扱いにして保護政策を続けるのかという、一般庶民のいらだちは募る一方になっていた。
 もともと食生活の多様化による「コメ離れ」は少子高齢化が社会問題として浮上する前から指摘されていた。私たち高齢者の学校給食の主食は、コメ不足問題もあってコッペパンだった。政府は必死になってコメの増産に乗り出し、琵琶湖に次ぐ日本で2番目の大きな湖である秋田県八郎潟を干拓して農地にしたのが、現在の大潟村である。大潟村は1964年10月に発足したが、当時の人口はわずか6世帯14人にすぎなかった。その後開拓者は次々に増えたが、水はけが悪く高品質のコメ作りに農家は大変な苦労を重ねたようだ。
 一方国内のコメ需給関係は大きく様変わりしていく。大家族化が崩壊して核家族化時代が始まると、若い人たちの世帯の朝食はご飯からパンに移行するようになった。つまりコメ余り現象が生じだしたのだ。その結果、日本の農政は大転換を始め、八郎潟を開拓した6年後の1970年には減反政策も始めた。政府は大潟村でコメ作りの苦労を重ねていた入植者農家にも米作から畑作への転換を迫り、村を二分する大騒動が生じた。政府のやることはいつも、結果が出るまで動かず、結果が出てから政策を大転換し、だれも責任をとろうとしない。
 大潟村の米農家を救ったのは、大潟村の土や水利事情に適したコメの品種改良に成功したためだった。いまではコシヒカリに次ぐブランド米の地位を確立したあきたこまちがそれだ。コシヒカリより早熟で、コシヒカリと同様の食味特性を持つ品種改良を目指した努力が実り、1984年に秋田県の奨励品種に指定され、大潟村の農家は村を挙げてあきたこまちの生産に取り組むことになった。
 当然、大潟村の農家の多くは政府の減反政策に従わず、政府はやむを得ず1995年に食糧管理法を廃止し、自主流通米制度を認めるようになった。日本の農政が大混乱していたこの時期、日本の産業界を一大ショックが襲った。第1次石
油ショックであった。1973年10月、第4次中東戦争をきっかけにアラブ産油
国が足並みを揃えて原油価格を一気に4倍に引き上げたのだ。
「結果論」と言われればそれまでだが、この石油ショックは日本産業界にとって“神風”になった。エネルギーや工業資源(原材料)として欠かせない石油消費量の99.7%を日本は輸入、それも大半を中東に依存していた。工業立国を目指していた日本が工業製品の製造コストの何%を石油に依存していたのかは工業製品によって異なるし、厳密なコスト構造はどの企業も公表していないから想像することも難しいが、人件費を除く総コストは少なくとも2~3倍に跳ね上がったのではないだろうか。しかし、この一大ピンチを日本産業界は二つの合言葉で乗り切った。
 ● 省力省エネ
 ● 軽薄短小
 日本にとって幸いだったのは、アメリカが石油産出国だったことだ。もちろん自国の産出量だけではアメリカも工業生産力を賄うには十分ではなかったが、アメリカ産業界は日本産業界ほどには石油ショックに対する打撃を受けなかった。この差が、その後の日米国際競争力逆転の大きな要因となった。それまでは、日本の技術は海外とくにアメリカから「物まね」と揶揄されていた。が、この時期日本産業界挙げて取り組んだ「省力省エネ」「軽薄短小」のための技術革新の目玉として取り組んだエレクトロニクス技術が飛躍的に躍進し、日本の自動車や電気製品が海外を席巻するようになったのである。

 TPP問題に戻る。日本政府は交渉合意内容を小出しにしてきた。農畜産業に携わる人たちへのショックを和らげることが目的だったのかはわからないが、要するにがん患者に医者が症状を小出しに伝え、一気にショックを与えないような行為と同じといってもいいかもしれない。だが、政府はもう零細農家への「生活保護」的保護政策を続けるべきではない。日本人の食生活は、大家族時代のコメ主食生活に戻るわけがないし、しかも少子高齢化で国内のコメ需要の減少傾向に歯止めがかけられないことは、分かりきった話だ。学校給食の主食をパンからコメに再転換しても、その需要増などたかが知れている。
 だが、一方日本の農畜産家には“神風”も吹き始めている。言うまでもなく欧米やアジアで生じている「日本食ブーム」である。いまのところ、「日本食」を名乗る店が海外の繁華街で急増している段階にとどまっているが、日本食文化というのは単に料理方法だけではない。
 たとえばフランス本国でのフランス料理店が、隠し味としてしょうゆを使用しだしてから少なくとも30年以上の歴史を持つが、当時の醤油は日本産ではなく、フランスと仲が良かった中国産が大半を占めていた。中国の醤油は日本産
に比べて甘く、隠し味としてははっきり言って不適だった。フランスのシェフ
が日本を訪れて日本のフランス料理店でフランス料理を食し、そのうまさにびっくりしたという逸話はよく知られている。
 たまたま醤油の話をしたが、日本食文化を支えているのは世界に冠たる日本産の食材なのだ。そのことに気付き始めた日本の農畜産家も今相当な勢いで増えている。だから、「TPP歓迎。海外に打って出るチャンスだ」と前向きにとらえだしている農畜産家も少なくない。
 政府は従来のような農家保護政策を止めて、農畜産家の意識改革に取り組み、コストダウンと国際競争力をもっと高めるような品質改良に取り組む農畜産家への支援を農政の中心に据えるべきだろう。
「TPPを、日本食文化を世界に広めるための“神風”に!」を合言葉にして、日本農政の大転換を進めるべきだ。日本産業界が石油ショックを“神風”に変えたように…。

 私事ですが、健診で胆管がんの疑いが見つかり、12日に胆管の検査のため入院することになりました。がんの種類としては肺がんや大腸がん、胃がん、乳がん、子宮がんなどに比べ極めて知名度が低いがんですが、かなりリスクが高いがんのようです。ネットで調べたところ、胆管がんの場合、全切除したとしても1年後の生存率は70%、3年後の生存率は37%、5年後の生存率も26%と、5年後の生存率は4人に1人ということです。
 私は高齢者なので、出来れば手術をせずに抗がん剤や放射線治療を希望していたのですが、その選択をした場合の1年後の生存率は22%、3年後は3%、5年後は1%という、きわめて悪質ながんのようです。しかも手術そのものもかなり高度な技術が必要で、手術自体による死亡率も数%~10%と高く、手術による死亡率は20人に1人、場合によっては10人に1人というリスキーな手術になるようです。群馬大で問題になった腹腔鏡手術より困難な手術かもしれません(群馬大のケースでは手術失敗による死亡率は8.7%です)。
 私は決して諦めてもいませんし、むしろそれほど悪質ながんなら「受けて立ってやる」くらいの強い気持ちで検査(検査自体も相当なリスキーな検査のようです)に臨むつもりですが、最悪の場合、このブログが最後のブログになる可能性は否定できませんので、長年にわたって私のブログを読んできてくださった方たちに現状をお伝えしておきます。

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