現時点(14日)では各メディアの参院選情報分析の結果はわからない。15日か16日には一斉に出そろうと思う。が、終盤に入って選挙戦を左右しかねない状況が生まれた。一つは韓国との緊張関係の激化。もう一つはかんぽ生命の悪質な営業が明るみに出たこと。他にもハンセン病訴訟で被害者家族や遺族への国家賠償判決を国が全面的に受け入れ、安倍総理や菅官房長官が真摯な謝罪表明をしたことは、政府与党にとって有利と見る向きもあるようだが、これまで放置してきた責任に頬被りして選挙で有利な材料として使えるか、私は疑問に思う。もし、有利な材料として使う与党候補者がいたら、かえって「恥知らず」という批判を浴びかねない。
韓国との緊張関係の激化だが、どう作用するかはふたを開けるまで分からない。いまの日本人の対韓悪感情の高まりからすれば、与党に有利と見られがちだが、7月4日のNHK『ニュース7』での党首インタビューで、安倍自民総裁が安全保障対策として対韓輸出規制を行うことにした根拠として徴用工問題を挙げたことは海外からも「トランプ流の日本版ファーストだ」と厳しい批判を浴びた。その時点では明らかにはされていなかったが、私は韓国艦船の日本哨戒機に対するレーザー照射について、韓国側がいまだに非を認めず謝罪していないことが原因だと思っていたので、安倍さんの発言を聞いて呆れると同時にびっくりした。G20サミットで自由貿易の旗手としてふるまった安倍総理の報復発言が国内外から批判を浴びたのは当然だった。その後、日本側が規制品目に挙げた半導体生産に欠かせない3原材料を、輸入先の韓国企業が第3国に横流ししていたことで、以前から説明を求めてきた日本に対して韓国側が誠意ある回答をしてこなかったことが原因であることがわかり、しかも横流し先が日本とは必ずしも友好的な関係にない国である可能性が強いということになると、韓国に対する輸出規制は当然の行為と言える。また14日の『日曜討論』の特別番組「参院選特集」で自民・萩生田幹事長代行が「まだ明らかにできないが安全保障上の問題がほかにもある」と発言したことからも、安倍さんの「徴用工問題」発言が野党から総攻撃を受ける可能性もある。なお、この特別番組で公明の斎藤幹事長が「徴用工問題は安全保障上の措置ではない」と、安倍発言がなかったようなことを言い出し、共産の小池書記長から「NHKの党首インタビューで安倍さんがそう言った」と、ぴしゃっとやられた。公明は自民のブレーキ役どころか、補完役を通り越して下足番になってしまったようだ。
もう一つ急浮上したのははかんぽ生命の問題だ。1企業の不祥事と言ってしまえばそれまでだが、小泉・自民党が行った郵政民営化(2007年)の「負のレガシー」でもあり、与党にとっては重い荷物を背負うことになった。しかも、郵政民営化によって廃止されたとはいえ、当時全国24,000の郵便局の約4分の3を占めていた特定郵便局の集票力は、農協組織の集票力に匹敵するとも言われ、選挙戦終盤になり旧特定郵便局の集票力が機能不全に陥るのではないかと私は思う。争点不在で与党楽勝と見られていた参院選に暗雲か…?
いずれにせよ、前回のブログで書いた年金問題、消費税問題では与党は受け身の状態になっていたが、選挙戦に突入したとたん安倍・自民党が前面に打ち出してきたのが憲法改正問題である。実は7月3日付朝日新聞朝刊に掲載された、朝日と東大・谷口研究所の改憲に関する、各党の参院選立候補者に対する共同調査の記事によれば、改憲賛成候補者の割合は自民が93%なのに対して連立与党の公明は17%に減ったという(公明の賛成派は2013年参院選では74%、16年参院選では83%、17年衆院選でも64%だった)。あらかじめ私の立ち位置を明らかにしておくが、私は1言1句、現行憲法を変えるべきではないとは考えていない。が、安倍政権による9条の「加憲」は、単に自衛隊の存在を明記するだけといった生易しいものではない。
まず安倍総理の「9条加憲」の目的は「違憲論争に終止符を打つ」「国民のために命懸けで活動している自衛隊員に『あなたは違憲だ』というのは、あまりにも失礼ではないか」だけのように、一見見える。安倍さんが、そうとしか言っていないからだ。「ウソも100回つけば本当になる」とはドイツ・ナチスの宣伝相ゲッベルスが残した“名言”とされているが、安倍さんはナチスの研究に堪能なのだろうか。実は安倍さんが「違憲論争に終止符を打ちたい」と言い出して以降、何回か自民党本部事務局に電話をして「現在、どのメディアで違憲論争が活発に行われているのか、私も興味があるので教えてほしい」と聞いたのだが、「私は知りません」という答えしか返ってこなかった。つまり、いまはまったく行われていない「違憲論争」なるものをでっちあげて、100回以上メディアを通じて喋りまくっていれば、そのうち国民も安倍さんの改憲論を信じてくれるようになるとでも思っているのだろうか。
で、ふと疑問に思ったことがある。いったい、肝心の安倍さんは自衛隊を違憲と考えているのか、合憲と考えているのか、「違憲論争に終止符を打ちたい」と言い出したことによって、かえって訳が分からなくなった。もし「合憲派」なら、いまさら憲法を改正しなくてもいいことになると思うのだが…。ということは、事実上、安倍さんが執念としてきた2020年の憲法改正は物理的に不可能な時点になっても、参院選の争点を憲法改正に絞り込み、「議論すらしない政党を選ぶのか、議論を進めていく政党を選ぶのか」と憲法改正への意欲をむき出しにする目的が理解できない。もし理解できるとしたら、思考力ゼロの人か、あるいは人間離れした哲学的思考の持ち主なのだろうか。
もし安倍さんが「違憲派」であるなら、「自衛隊は合憲だ」としてきた政府の公式見解は間違っていると、まずそう主張すべきだろう。そのうえで、安倍さんが事実上の軍隊として自衛隊を位置づけ、「憲法違反であっても自衛隊をつぶすわけにはいかないから憲法を変えよう」というなら、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を明記している9条2項は障害になるだろう。
でも安倍さんが言うように、自衛隊が違憲だと考えている憲法学者はいまでも6割を超えているのは事実だ。データとしてはちょっと古いが、ネットで調べたところ、2015年に朝日新聞が憲法学者にアンケート調査(有効回答数122人)したのが最新のようだ。調査結果は、「違憲派」は77人(違憲50人、違憲の可能性大27人)に対して、「合憲派」は41人(合憲28人、合憲の可能性大13人)、無回答4人である。確かに「違憲派」憲法学者はサンプル数の6割を超えている。ただ、朝日の調査に欠けていたのは、「違憲派」学者に対して「では自衛隊を廃止すべきと考えるか」という質問をしなかったことだ。それは朝日の体質かもしれない。そういう質問をしていれば、おそらく大半の憲法学者はNOと回答していたと思う。
実は私も違憲論者の一人だ。また中学生や高校生に憲法との整合性を聞いたらほぼ100%が「違憲」と答えるだろう)。しかし、私も含めて憲法9条との整合性に疑問を持っている国民の大半も、「違憲だから自衛隊を廃止しろ」と主張したりはしていない。憲法9条の文脈上は明らかに違憲だが、自衛隊は日本にとって必要な組織だと、大半の国民が考えている。つまり「違憲」と考えている人たちも、自衛隊の存在を認めているし、大災害時における自衛隊員の活動に感謝すらしている。ただ、ほとんどの人たちは自衛隊が戦争をするための軍隊だとは、実感として思っていないだろうし、自衛隊員も戦争で人を殺すことが目的で入隊したわけではないと思う。安倍さんは、自分と大多数の国民(憲法学者も含めて)の間のパーセプション・ギャップの大きさにそろそろ気づいてもいいころだと思うが…。
ただ自衛隊の役割が、1991年の湾岸戦争以降、大きく拡大したことは事実で、国会でも憲法との整合性が問われる機会が多くなったのは事実である。湾岸戦争で日本はアメリカに対して130億ドルもの資金を提供したが、自衛隊は派遣しなかったため、国際社会から非難され、またイラクから侵略されたクウェートが湾岸戦争で支援してくれた国々に感謝したなかに日本が含まれなかったこともあって、翌92年にはPKO(国際平和維持活動)協力法が成立、以降自衛隊の海外派遣が活発化するようになった。 が、自衛隊の海外派遣には2003年、小泉総理が自衛隊の派遣先は「非戦闘地域」と限定してしまったため、自衛隊のPKO活動に大きな制約がかかり、南スーダンへの派遣では自衛隊の活動付近で政府軍と反政府軍の間で戦闘が生じ、そのことを記述した日報を防衛省が隠ぺいしたことから国会が紛糾し、当時の稲田防衛相が引責辞任に追い込まれたことがある。自衛隊の南スーダン派遣は軍事行動を行うためではなかったが、たまたま活動近辺で紛争が生じることはありうる。そのため自衛のための最低限の武器類は持っていくが、その使用は厳しく制限されている。万一の際、「自分たちは武器を使用するために来たのではない」と現場から退避したら、かえって国際社会から非難を浴びていた。そうした場合、日本の憲法の制約など、何の言い訳にもならない。身を張ってテロリストから避難民を救援してこそ、国際社会から感謝され、日本は尊敬に値する地位を築ける。もちろん日報の隠ぺいは許されることではないが、近くで戦闘行為があっても立派に任務を果たしてきた自衛隊員たちを、私たちは同胞として誇りに思うべきだろう。
ところで、安倍さんが違憲論者だとしても、政府の公式見解はこうだ(防衛省ホームページから)。
「わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限のもの」で「憲法第9条第2項で保持が禁止されている『戦力』にあたるか否かは…わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かによって決められ」「大陸間弾道ミサイル(ICBM)、長距離戦闘爆撃機、攻撃型空母の保有は許されない」。「憲法第9条はその文言からすると、国際社会に『武力の行使』一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している『国民の平和的生存権』や憲法第13条が『生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利』は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されない」(※ホームページは「ですます」文だが、「である」文に変えた)
つまり、この範囲なら自衛隊による「実力」の行使が認められるというのが政府の公式見解である。「日本を守るためではない」他国の軍事行動に対しては、自衛隊が共同で「実力」を行使することはできないとしてきたのだが、従来は憲法違反と解釈されてきた「集団的自衛権」の行使を可能にする安保法制まで成立させた以上、さらに憲法を改正するとしたら「専守防衛」の基本原則すら廃止して、「自衛」を口実にした他国攻撃戦争まで容認する憲法に変えることしか考えられない。実際、吉田茂内閣が現行憲法を国会で成立させたとき(国民投票は行っていない。国会での採決だけで成立させた)、当時の社会党や共産党は9条に猛反対した。例えば共産党の野坂参三議員は「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と。これに対し吉田総理は「そうした考えは有害だ」と断じたうえで、「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実である」と突っぱねている。つまり現行憲法制定時における日本政府の憲法解釈は「日本完全非武装」主義だったのだ。
が、1950年6月25日、朝鮮動乱が勃発した。金日成率いる北鮮軍が韓国に攻め込み、わずか3日で首都ソウルを陥落、韓国の李承晩大統領がアメリカの軍事支援を要求した。このとき日本に駐留していた米陸軍4個師団が根こそぎ韓国軍支援のため朝鮮半島に移動してしまった。朝鮮動乱が朝鮮戦争に衣替えした瞬間であり、同時に日本は文字通り丸裸になったのである。このときの米軍の行動と日本の安全保障政策が、実は憲法議論の原点になっている。憲法問題についての歴史認識の原点は、この時期までさかのぼる必要がある。
同年7月8日、国連軍総司令官マッカーサーはGHQを通じて日本に「警察力の増強」を指令した。この指令を受け、吉田総理は8月、警察予備隊を創設、日本は再軍備への第1歩を踏み出す。朝鮮戦争は米軍の参加を受けて中国も「義勇軍」の名で本格参戦、泥沼化していく。こうした状況の中でアメリカは日本列島を防共の砦とすべく、講和への動きを加速する。51年9月8日、サンフランシスコ講和条約が成立、同日、日米安保条約も成立した。日本はこの日をもって独立を回復したのだから、本来、占領下において制定され、しかも国民の承認を得ていない日本国憲法のその後の有効性について国会で真剣に議論すべきだった。そして憲法を独立後も1言1句改定せずに存続させるならさせるで、国民投票による審判を仰ぐべきであった。が、当時の吉田内閣はそうしなかった。そのために「アメリカから押し付けられた憲法」という議論がいまだに絶えない状況がつくられてしまったのである。
なぜこのとき吉田内閣は憲法問題をなおざりにしたのか。再独立したということになれば、自国の防衛は可能な限り自国の力で行うのは当たり前の話だ。もちろん当時の日本の経済力からして、そんな力がないことは自明である。だから日米安保によって米軍の力を借りて日本の安全保障の根幹とする防衛政策(これが国連憲章が認めた集団的自衛権の本来の意味で、日本がその権利を行使できることを定めたのが日米安保条約。アメリカは日本の要請に応じて日本防衛の任につくことを約束しただけで、米軍の日本駐留はアメリカの集団的自衛権行使ではない)を採用せざるを得なかったことは私も否定はしない。集団的自衛権についてはいまだに憲法学者や政治家、メディアの間に大きな誤解があるが、国連憲章51条が認めた集団的自衛権はあくまで「自国防衛のために他国に軍事的支援を要請する権利」を容認しているだけで、「他国防衛のために自国の軍事力を行使する権利」などではない。もちろん他国から頼まれたとしても、必ず応じなければならないなどという「義務」は、国連憲章のいかなる条文にも記載されていない。日本がアメリカの基地を提供しているのは、万一日本が他国から攻撃された場合は日米安保条約に基づいてアメリカに日本と共同で日本防衛の任に当たってもらうという、日本の集団的自衛権行使の権利を明記したものだが、日本が攻撃されてもいないのに日本が勝手に他国への攻撃を始めたとしても米軍は自衛隊を支援する義務はない。そのことは裏返せば、アメリカが自国を攻撃されてもいないのに他国と戦争(あるいは軍事衝突)を始めた場合、自衛隊はたとえアメリカから要請されても米軍と行動を共にしなければならない義務はないことを意味する。トランプ大統領が言っている「日米安保は不平等」とは、日本はアメリカに対して集団的自衛権を行使できるのに、アメリカは日本に対して集団的自衛権を行使できないのはおかしいという意味であり、それは日米安保条約を素直に読めば、その通りなのである。それは安倍さんが安保法制を成立させたとしても、自衛隊が米軍に協力できる条件(新三要件)により、アメリカが他国から攻撃されるようなことがあっても日本に害が及ばない限り(存立危機条項)米軍を支援する義務がないことに、トランプは「不平等だ」と不満を抱いているのだ。
だが、トランプも大変な勘違いをしている。日本に基地を置く米軍は日本防衛のためだけではない。いまの自衛隊の軍事力からすれば、日本防衛のために必要な駐留米軍の規模は、いまの3分の1も必要ないと思う(私は軍事専門家ではないので、日本防衛のためにはどの程度の米軍に駐留してもらえればいいかは専門家が計算してほしい)。だから、必要以上の駐留米軍には日本から撤退してもらう一方、必要とする米軍駐留費はトランプが要求しているように全額日本が負担すべきだと思う。ただ、その場合、日本に駐留してもらう米軍兵士は日本の傭兵になるわけだから、すべて日本の法律に従ってもらうし、日本防衛以外の勝手な任務には就かないことをアメリカに約束してもらう。これでトランプさんも納得してくれるだろう。野党はそう主張すべきだと思うのだが…。
韓国との緊張関係の激化だが、どう作用するかはふたを開けるまで分からない。いまの日本人の対韓悪感情の高まりからすれば、与党に有利と見られがちだが、7月4日のNHK『ニュース7』での党首インタビューで、安倍自民総裁が安全保障対策として対韓輸出規制を行うことにした根拠として徴用工問題を挙げたことは海外からも「トランプ流の日本版ファーストだ」と厳しい批判を浴びた。その時点では明らかにはされていなかったが、私は韓国艦船の日本哨戒機に対するレーザー照射について、韓国側がいまだに非を認めず謝罪していないことが原因だと思っていたので、安倍さんの発言を聞いて呆れると同時にびっくりした。G20サミットで自由貿易の旗手としてふるまった安倍総理の報復発言が国内外から批判を浴びたのは当然だった。その後、日本側が規制品目に挙げた半導体生産に欠かせない3原材料を、輸入先の韓国企業が第3国に横流ししていたことで、以前から説明を求めてきた日本に対して韓国側が誠意ある回答をしてこなかったことが原因であることがわかり、しかも横流し先が日本とは必ずしも友好的な関係にない国である可能性が強いということになると、韓国に対する輸出規制は当然の行為と言える。また14日の『日曜討論』の特別番組「参院選特集」で自民・萩生田幹事長代行が「まだ明らかにできないが安全保障上の問題がほかにもある」と発言したことからも、安倍さんの「徴用工問題」発言が野党から総攻撃を受ける可能性もある。なお、この特別番組で公明の斎藤幹事長が「徴用工問題は安全保障上の措置ではない」と、安倍発言がなかったようなことを言い出し、共産の小池書記長から「NHKの党首インタビューで安倍さんがそう言った」と、ぴしゃっとやられた。公明は自民のブレーキ役どころか、補完役を通り越して下足番になってしまったようだ。
もう一つ急浮上したのははかんぽ生命の問題だ。1企業の不祥事と言ってしまえばそれまでだが、小泉・自民党が行った郵政民営化(2007年)の「負のレガシー」でもあり、与党にとっては重い荷物を背負うことになった。しかも、郵政民営化によって廃止されたとはいえ、当時全国24,000の郵便局の約4分の3を占めていた特定郵便局の集票力は、農協組織の集票力に匹敵するとも言われ、選挙戦終盤になり旧特定郵便局の集票力が機能不全に陥るのではないかと私は思う。争点不在で与党楽勝と見られていた参院選に暗雲か…?
いずれにせよ、前回のブログで書いた年金問題、消費税問題では与党は受け身の状態になっていたが、選挙戦に突入したとたん安倍・自民党が前面に打ち出してきたのが憲法改正問題である。実は7月3日付朝日新聞朝刊に掲載された、朝日と東大・谷口研究所の改憲に関する、各党の参院選立候補者に対する共同調査の記事によれば、改憲賛成候補者の割合は自民が93%なのに対して連立与党の公明は17%に減ったという(公明の賛成派は2013年参院選では74%、16年参院選では83%、17年衆院選でも64%だった)。あらかじめ私の立ち位置を明らかにしておくが、私は1言1句、現行憲法を変えるべきではないとは考えていない。が、安倍政権による9条の「加憲」は、単に自衛隊の存在を明記するだけといった生易しいものではない。
まず安倍総理の「9条加憲」の目的は「違憲論争に終止符を打つ」「国民のために命懸けで活動している自衛隊員に『あなたは違憲だ』というのは、あまりにも失礼ではないか」だけのように、一見見える。安倍さんが、そうとしか言っていないからだ。「ウソも100回つけば本当になる」とはドイツ・ナチスの宣伝相ゲッベルスが残した“名言”とされているが、安倍さんはナチスの研究に堪能なのだろうか。実は安倍さんが「違憲論争に終止符を打ちたい」と言い出して以降、何回か自民党本部事務局に電話をして「現在、どのメディアで違憲論争が活発に行われているのか、私も興味があるので教えてほしい」と聞いたのだが、「私は知りません」という答えしか返ってこなかった。つまり、いまはまったく行われていない「違憲論争」なるものをでっちあげて、100回以上メディアを通じて喋りまくっていれば、そのうち国民も安倍さんの改憲論を信じてくれるようになるとでも思っているのだろうか。
で、ふと疑問に思ったことがある。いったい、肝心の安倍さんは自衛隊を違憲と考えているのか、合憲と考えているのか、「違憲論争に終止符を打ちたい」と言い出したことによって、かえって訳が分からなくなった。もし「合憲派」なら、いまさら憲法を改正しなくてもいいことになると思うのだが…。ということは、事実上、安倍さんが執念としてきた2020年の憲法改正は物理的に不可能な時点になっても、参院選の争点を憲法改正に絞り込み、「議論すらしない政党を選ぶのか、議論を進めていく政党を選ぶのか」と憲法改正への意欲をむき出しにする目的が理解できない。もし理解できるとしたら、思考力ゼロの人か、あるいは人間離れした哲学的思考の持ち主なのだろうか。
もし安倍さんが「違憲派」であるなら、「自衛隊は合憲だ」としてきた政府の公式見解は間違っていると、まずそう主張すべきだろう。そのうえで、安倍さんが事実上の軍隊として自衛隊を位置づけ、「憲法違反であっても自衛隊をつぶすわけにはいかないから憲法を変えよう」というなら、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を明記している9条2項は障害になるだろう。
でも安倍さんが言うように、自衛隊が違憲だと考えている憲法学者はいまでも6割を超えているのは事実だ。データとしてはちょっと古いが、ネットで調べたところ、2015年に朝日新聞が憲法学者にアンケート調査(有効回答数122人)したのが最新のようだ。調査結果は、「違憲派」は77人(違憲50人、違憲の可能性大27人)に対して、「合憲派」は41人(合憲28人、合憲の可能性大13人)、無回答4人である。確かに「違憲派」憲法学者はサンプル数の6割を超えている。ただ、朝日の調査に欠けていたのは、「違憲派」学者に対して「では自衛隊を廃止すべきと考えるか」という質問をしなかったことだ。それは朝日の体質かもしれない。そういう質問をしていれば、おそらく大半の憲法学者はNOと回答していたと思う。
実は私も違憲論者の一人だ。また中学生や高校生に憲法との整合性を聞いたらほぼ100%が「違憲」と答えるだろう)。しかし、私も含めて憲法9条との整合性に疑問を持っている国民の大半も、「違憲だから自衛隊を廃止しろ」と主張したりはしていない。憲法9条の文脈上は明らかに違憲だが、自衛隊は日本にとって必要な組織だと、大半の国民が考えている。つまり「違憲」と考えている人たちも、自衛隊の存在を認めているし、大災害時における自衛隊員の活動に感謝すらしている。ただ、ほとんどの人たちは自衛隊が戦争をするための軍隊だとは、実感として思っていないだろうし、自衛隊員も戦争で人を殺すことが目的で入隊したわけではないと思う。安倍さんは、自分と大多数の国民(憲法学者も含めて)の間のパーセプション・ギャップの大きさにそろそろ気づいてもいいころだと思うが…。
ただ自衛隊の役割が、1991年の湾岸戦争以降、大きく拡大したことは事実で、国会でも憲法との整合性が問われる機会が多くなったのは事実である。湾岸戦争で日本はアメリカに対して130億ドルもの資金を提供したが、自衛隊は派遣しなかったため、国際社会から非難され、またイラクから侵略されたクウェートが湾岸戦争で支援してくれた国々に感謝したなかに日本が含まれなかったこともあって、翌92年にはPKO(国際平和維持活動)協力法が成立、以降自衛隊の海外派遣が活発化するようになった。 が、自衛隊の海外派遣には2003年、小泉総理が自衛隊の派遣先は「非戦闘地域」と限定してしまったため、自衛隊のPKO活動に大きな制約がかかり、南スーダンへの派遣では自衛隊の活動付近で政府軍と反政府軍の間で戦闘が生じ、そのことを記述した日報を防衛省が隠ぺいしたことから国会が紛糾し、当時の稲田防衛相が引責辞任に追い込まれたことがある。自衛隊の南スーダン派遣は軍事行動を行うためではなかったが、たまたま活動近辺で紛争が生じることはありうる。そのため自衛のための最低限の武器類は持っていくが、その使用は厳しく制限されている。万一の際、「自分たちは武器を使用するために来たのではない」と現場から退避したら、かえって国際社会から非難を浴びていた。そうした場合、日本の憲法の制約など、何の言い訳にもならない。身を張ってテロリストから避難民を救援してこそ、国際社会から感謝され、日本は尊敬に値する地位を築ける。もちろん日報の隠ぺいは許されることではないが、近くで戦闘行為があっても立派に任務を果たしてきた自衛隊員たちを、私たちは同胞として誇りに思うべきだろう。
ところで、安倍さんが違憲論者だとしても、政府の公式見解はこうだ(防衛省ホームページから)。
「わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限のもの」で「憲法第9条第2項で保持が禁止されている『戦力』にあたるか否かは…わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かによって決められ」「大陸間弾道ミサイル(ICBM)、長距離戦闘爆撃機、攻撃型空母の保有は許されない」。「憲法第9条はその文言からすると、国際社会に『武力の行使』一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している『国民の平和的生存権』や憲法第13条が『生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利』は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されない」(※ホームページは「ですます」文だが、「である」文に変えた)
つまり、この範囲なら自衛隊による「実力」の行使が認められるというのが政府の公式見解である。「日本を守るためではない」他国の軍事行動に対しては、自衛隊が共同で「実力」を行使することはできないとしてきたのだが、従来は憲法違反と解釈されてきた「集団的自衛権」の行使を可能にする安保法制まで成立させた以上、さらに憲法を改正するとしたら「専守防衛」の基本原則すら廃止して、「自衛」を口実にした他国攻撃戦争まで容認する憲法に変えることしか考えられない。実際、吉田茂内閣が現行憲法を国会で成立させたとき(国民投票は行っていない。国会での採決だけで成立させた)、当時の社会党や共産党は9条に猛反対した。例えば共産党の野坂参三議員は「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と。これに対し吉田総理は「そうした考えは有害だ」と断じたうえで、「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実である」と突っぱねている。つまり現行憲法制定時における日本政府の憲法解釈は「日本完全非武装」主義だったのだ。
が、1950年6月25日、朝鮮動乱が勃発した。金日成率いる北鮮軍が韓国に攻め込み、わずか3日で首都ソウルを陥落、韓国の李承晩大統領がアメリカの軍事支援を要求した。このとき日本に駐留していた米陸軍4個師団が根こそぎ韓国軍支援のため朝鮮半島に移動してしまった。朝鮮動乱が朝鮮戦争に衣替えした瞬間であり、同時に日本は文字通り丸裸になったのである。このときの米軍の行動と日本の安全保障政策が、実は憲法議論の原点になっている。憲法問題についての歴史認識の原点は、この時期までさかのぼる必要がある。
同年7月8日、国連軍総司令官マッカーサーはGHQを通じて日本に「警察力の増強」を指令した。この指令を受け、吉田総理は8月、警察予備隊を創設、日本は再軍備への第1歩を踏み出す。朝鮮戦争は米軍の参加を受けて中国も「義勇軍」の名で本格参戦、泥沼化していく。こうした状況の中でアメリカは日本列島を防共の砦とすべく、講和への動きを加速する。51年9月8日、サンフランシスコ講和条約が成立、同日、日米安保条約も成立した。日本はこの日をもって独立を回復したのだから、本来、占領下において制定され、しかも国民の承認を得ていない日本国憲法のその後の有効性について国会で真剣に議論すべきだった。そして憲法を独立後も1言1句改定せずに存続させるならさせるで、国民投票による審判を仰ぐべきであった。が、当時の吉田内閣はそうしなかった。そのために「アメリカから押し付けられた憲法」という議論がいまだに絶えない状況がつくられてしまったのである。
なぜこのとき吉田内閣は憲法問題をなおざりにしたのか。再独立したということになれば、自国の防衛は可能な限り自国の力で行うのは当たり前の話だ。もちろん当時の日本の経済力からして、そんな力がないことは自明である。だから日米安保によって米軍の力を借りて日本の安全保障の根幹とする防衛政策(これが国連憲章が認めた集団的自衛権の本来の意味で、日本がその権利を行使できることを定めたのが日米安保条約。アメリカは日本の要請に応じて日本防衛の任につくことを約束しただけで、米軍の日本駐留はアメリカの集団的自衛権行使ではない)を採用せざるを得なかったことは私も否定はしない。集団的自衛権についてはいまだに憲法学者や政治家、メディアの間に大きな誤解があるが、国連憲章51条が認めた集団的自衛権はあくまで「自国防衛のために他国に軍事的支援を要請する権利」を容認しているだけで、「他国防衛のために自国の軍事力を行使する権利」などではない。もちろん他国から頼まれたとしても、必ず応じなければならないなどという「義務」は、国連憲章のいかなる条文にも記載されていない。日本がアメリカの基地を提供しているのは、万一日本が他国から攻撃された場合は日米安保条約に基づいてアメリカに日本と共同で日本防衛の任に当たってもらうという、日本の集団的自衛権行使の権利を明記したものだが、日本が攻撃されてもいないのに日本が勝手に他国への攻撃を始めたとしても米軍は自衛隊を支援する義務はない。そのことは裏返せば、アメリカが自国を攻撃されてもいないのに他国と戦争(あるいは軍事衝突)を始めた場合、自衛隊はたとえアメリカから要請されても米軍と行動を共にしなければならない義務はないことを意味する。トランプ大統領が言っている「日米安保は不平等」とは、日本はアメリカに対して集団的自衛権を行使できるのに、アメリカは日本に対して集団的自衛権を行使できないのはおかしいという意味であり、それは日米安保条約を素直に読めば、その通りなのである。それは安倍さんが安保法制を成立させたとしても、自衛隊が米軍に協力できる条件(新三要件)により、アメリカが他国から攻撃されるようなことがあっても日本に害が及ばない限り(存立危機条項)米軍を支援する義務がないことに、トランプは「不平等だ」と不満を抱いているのだ。
だが、トランプも大変な勘違いをしている。日本に基地を置く米軍は日本防衛のためだけではない。いまの自衛隊の軍事力からすれば、日本防衛のために必要な駐留米軍の規模は、いまの3分の1も必要ないと思う(私は軍事専門家ではないので、日本防衛のためにはどの程度の米軍に駐留してもらえればいいかは専門家が計算してほしい)。だから、必要以上の駐留米軍には日本から撤退してもらう一方、必要とする米軍駐留費はトランプが要求しているように全額日本が負担すべきだと思う。ただ、その場合、日本に駐留してもらう米軍兵士は日本の傭兵になるわけだから、すべて日本の法律に従ってもらうし、日本防衛以外の勝手な任務には就かないことをアメリカに約束してもらう。これでトランプさんも納得してくれるだろう。野党はそう主張すべきだと思うのだが…。
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