小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「桜を見る会」騒動で、安倍総理の改憲への執念は雲散霧消するのか?

2019-11-25 01:13:18 | Weblog
 訳の分からないことがある。「桜を見る会」のことだ。「桜を見る会」は総理が主催する会のようだが、その費用は総理の懐からではなく、公費(税金)で賄われているという。21日のテレビ番組で、下村自民党議員は、「総理が主催する会だから、総理が招待する客にある程度の枠があってもいいと思う」と主張した。もちろん公費で賄われる歓談会でなければ、総理の後援者だけ集めて開催しても、問題はないと思う。ただ、その場合でも、総理の選挙事務所や講演会が歓談会費用を出していれば、公職選挙法に引っかかる。
 では、政治家の資金集めパーティはどうか。政治家の事務所や後援会がパーティ費用を出していれば、そのケースも公職選挙法に引っかかる。この資金集めパーティも、実は灰色の世界だ。本当に参加者が応援したい政治家のために「頑張ってくれよ」という思いを込めて参加費を払ってパーティに参加するのであれば、それは非難するに値しない。ただし、疑問を持たれないように政治資金収支報告書には金の出入りは記載しておく必要がある。
が、なかには自分が参加するだけでなく、友人・知人を誘って参加する人もいる。「パーティ費は私が出すから」と。そういう人は、政治家との密接な関係を誇示して、「なんか困ったことがあったら、何でも言ってくれ」と利益供与をほのめかす。私自身はそういう類のパーティには参加したことがないので、本当にどの程度の利益供与が行われているのかは知らない。
 似たような政府の公式行事として「園遊会」がある。主催者は天皇で、招待者は約2000人だ。今年の「桜を見る会」に比べて招待者はけた違いに少ない。もちろん政治家の秘書や後援会関係者などは一切招待されない。では、天皇制復活の活動をしている「日本会議」(安倍総理をはじめ与野党300人の国会議員も会員)の関係者を天皇は特別枠として招待しているのだろうか。今年の園遊会に安倍総理の私的関係者が招待されたか、メディアは徹底的に調査すべきだ。政府の公式行事の重みをわかっていない政治家たちが政治の中枢に君臨している。そういう事態に危機感を覚えていない人たちが、メディアで「大した問題ではない」とうそぶく。日本のこれからはどうなるのだろうか。
 野党は「桜を見る会」に総理をはじめ政府の要職にある政治家たちに割り当てられた招待者枠について「公私混同」と批判する。が、取材をする側にとって「公私混同」は難しい問題だ。私も現役時代、政治家や経営者と私的に飲食する機会はたびたびあった。飲食の席だから、相手もつい本音を漏らすこともある。その意図は、私には分からない。ただ、「これはオフレコだけど」と念を押されて本音を語る場合は、「取材源は明らかにせず書いてくれ」という意図が背後にあることぐらいは承知していた。そういうケースについて書くか書かないかの判断は難しい。相手の意図が読めないこともあるからだ。だが、「オフレコだよ」と言われずに本音を語ってくれた場合は、取材源を明かさずに書くこともある。取材する場合の、そうした場合の選択は相手との信頼関係にもよる。はっきり言って悩ましい問題ではある。
「桜を見る会」の招待者に関して言えば、政府は共産党の宮本・衆院議員が国会で招待者の名簿を含む資料の提出を要求した5月9日に大型シュレッダーで破棄したという。にわかには信じがたい話だ。大体今どき、名簿作成を手書きで行うほど、日本は遅れた国か。いずれ電子データが流出することも間違いない。その場合、電子データの入手先は秘匿するのが、メディアであろうと政治家であろうと当然のことだ。
 しかし、よくもまあ、名簿はシュレッダーで破棄したなどと、白々しい嘘がつけたものだ。電子データが明らかになった時、またトカゲの尻尾きりで下っ端の官僚が犠牲にされる。政府は22日になって「桜を見る会」の招待者のうち、各省庁が推薦した3954人の名簿を国会に提出した。が、国家公務員以外の推薦者はほとんど黒塗りだったという。さて、政府が提出したこの名簿は手書きだったのか。9日から22日まで、相当の期間があったから、急遽手書きの名簿を作る時間的余裕はあっただろう。それに、黒塗りの部分は手書きで氏名や肩書を書く必要がないから、1000人分くらいだったら簡単に作れる。ま、そこまでせこいことやるかね、政府は…。でもそこまでせこいことをやらないと、省庁推薦者だけをパソコン処理して名簿を作成したなどというばかばかしい嘘が直ちにばれてしまうから、やっぱりせこいことやったんだろうな。
 名簿に関するせこさは置いておくとして、「桜を見る会」問題で臨時国会は完全に空転したまま終わりそうになった。安倍総理の宿願ともいえる憲法問題はどこかへ飛んでしまった。安倍総理の残された任期は、事実上来年1月に開催される通常国会以降となるから実質1年半しかない。その短期間に憲法審査会での議論を煮詰め、、政府が憲法改正案を国会に提出できるか、可能性はほとんどなくなったと言っていいだろう。まず、政府内でも公明党が政府案の作成について徹底抗戦するだろう。公明党にとっては安保法制の成立に協力したのが、自公連立政権を維持するためのギリギリの妥協ラインだった。実際、集団的自衛権行使に道を開いた安保法制には、公明党の支持母体である創価学会が最初から反対だった。その創価学会を何とか説得して安保法制は成立させたが、憲法改正にまで安倍政権に手を貸すということになると創価学会が持たなくなる。
安倍改憲論の抵抗勢力は公明党だけではない。自民党内部からも石破氏を中心とする抵抗勢力が水面化で動き始めている。石破グループのだれがセットしたかは明らかではないが、石破氏と山尾氏(立憲民主党)、玉木氏(国民民主党代表)の3人がそれぞれの改憲論のすり合わせを行った。各人の改憲論は必ずしも完全に一致しているわけではないが、憲法9条2項(戦力の不保持・交戦権の否認)を残したままで「自衛隊を明記する」という安倍改憲論には同意できないという基本路線で一致、山尾氏の「立憲的改憲論」には同意していた立憲民主党代表の枝野氏の激怒を招いた。安倍総理は「9条2項を残す以上、自衛体を明記しても自衛隊の活動は何も変わらない」とうそぶいているが、ならなぜ憲法に自衛隊を明記することにそれほどこだわるのか。実際、評論家の田原総一郎氏は安倍総理と面会した時、「集団的自衛権を行使できるようになった以上、もう憲法を改正する必要はない」と安倍氏が語ったと証言している。
安倍さんに言わせれば、「自衛隊は違憲だという憲法学者がまだ6割もいる。違憲論争に終止符を打ちたい」というのが憲法改正の目的のようだが、憲法9条2項を残して自衛隊を憲法に明記すれば、憲法9条の論理的整合性はさらに崩れる。安倍さんはそれが本当の目的で、第1段階として9条2項を残して「9条の2」として自衛隊を明記し憲法9条の論理的整合性をいったん崩し、その後、第2段階として「やっぱり憲法9条の整合性を回復するためには2項を削除する必要がある」という論法で、さらなる憲法改正を狙っているのかもしれない。安倍さんが軍国主義復活まで考えているか否かはわからないが、少なくとも軍国主義復活への道を掃き清める結果になることだけは間違いない。もし、安倍さんが単純に日米安保条約の片務性を何とかしたいというのであれば、憲法を変えなくても自衛隊のアメリカ基地をつくって、日本もアメリカに守ってもらう以上、日本もアメリカが攻撃された場合(※アメリカが勝手に始める他国との戦争には関与しない)日本もアメリカを守るという姿勢を明確にすればいいだけの話だ。集団的自衛権の行使を可能にした以上、アメリカに自衛隊基地を作っても何の問題もない。ただし、米政府とは現在の日米間の地位協定と同様の地位協定は結んでもらうのは当然だろう。「思いやり予算も」だ。前にもブログで書いたが、自衛隊のアメリカ基地ほど世界で最も安全な基地はない。アメリカが攻撃されない以上、自衛隊員は遊んでいていいのだから。そしてアメリカを攻撃できる国は、世界に一つもない。9.11のようなテロは起こりうるが、テロは国家的攻撃ではないから、自衛隊が出動する必要もない。

【追記】「桜を見る会」に、反社に分類される人物が招待されていたらしい。それも詐欺師グループの代表者が安倍総理から招待され、その招待状を広告に利用していたというから、もう「おどろ木、桃ノ木、山椒の木」のような話だ。もちろん私は安倍総理が、詐欺グループの代表者と親しい関係にあるとか、反社の人物であることを承知の上で選挙のために招待したとまでは思っていない。が、政治家枠がこんなでたらめに使われているのが実態なら、もう「桜を見る会」は来年の中止だけでなく永遠にやめるか、さもなければ政治家枠は一切廃止して、省庁枠もすべて公開を原則にする、つまり黒塗りの名簿しか出せないような招待者は外すこと、そしてあとは47都道府県に人口割で数百名を推薦させること(推薦基準を明確にして地域の社会貢献に本当に尽くした人物に絞る)、同様の特別枠として政令都市にはやはり人口比に応じて総数100人以下の推薦枠を設けることにしたらどうか。大体反社のような人物が「桜を見る会」に招待者としては入れること自体が、私には考えられない。もしテロリストが潜り込んでいたらどうする。招待状を持っていたらチェックなしに紛れ込めることを意味しており、そんな危機管理体制で来年、日本でオリンピックを開催できるのか。(27日記す)