頭が悪い人は、いま国会で問題になっている選挙制度改革について、こういう主張をする。読売新聞論説委員のことである。
読売新聞は4月14日の社説で『衆院選挙制度――「格差」と定数削減は別問題だ』と主張した。論点を箇条書き的に整理する。
① 与党(自公政府)は各地の高裁で「違憲(状態)」「無効」の判決が相次いだ先の総選挙の違憲状態を解消するため、小選挙区定数の0増5減を実現すべく区割り法案を衆院に提出した。この法案が可決されれば「一票の格差」は解消し(※格差は1.998倍になる)違憲判決基準の2倍未満に収まる。
② しかるに野党(民主・維新など)は、最高裁判決は違憲状態の主因が「一人別枠方式」にあると選挙制度そのものの改革を求めているのに、自公は肝心の「一人別枠方式」を温存しようとしている(※つまり数合わせの違憲解消策に過ぎず最高裁判決の趣旨を無視している)ことを理由にして、自公法案に反対している。
③ しかし民主は昨年11月(※当時は民主政権)に0増5減の選挙制度改革に賛成したはずで、この反対はご都合主義だ。
④ 抜本改革に関する各党の主張の隔たりは大きい。合意形成が困難だから自公法案を成立させるのが立法府の最低限の責務だ。
⑤ そもそも野党が定数削減と絡めた改革案を唱えること自体がおかしい。「一票の格差」是正とは次元の異なる問題だ。定数削減の主張は国民受けを狙ったポピュリズム(大衆迎合主義)そのものだ。
⑥ 6月の会期末まで、時間は限られている。これ以上「違憲」は放置できない。緊急処置として自公提案の法案を成立させるべきだ。
私はこれまでブログで「民主主義」の欠陥については何度も書いてきた。大哲学者のプラトンやアリストテレスなどが主張したように民主主義は「衆愚政治(愚民政治とも言う)」の側面が小さくないことは否定できない。
だが、民主主義の欠陥を克服する新しい政治システムが発明されていない以上(永遠に発明不可能かもしれない)、私たちは民主主義の欠陥を理解したうえで民主主義をより成熟させていくしか現状改革の方法がない。この本質的な問題を、読売新聞社説氏はまったく分かっていないようだ。つまり社説氏が果たすべき最大の責務は、国民が正確な理解をしたうえで国政に民意を反映させるための情報を提供することだ、ということをまったく理解されていないようだ。国民に誤った情報を提供して、誤解を招かせるごとき主張をすることは言論の自由の範囲を超えていると言わざるを得ない。
民主主義の歴史はヨーロッパでは古代ギリシアにさかのぼる。デモクラシーの語源そのものが古典ギリシア語の「デモクラティア」であり、ポリスと呼ばれた都市国家では民会による民主政治が行われた。ただし古代アテネなどの民主政治は各ポリスの「自由市民」と呼ばれる特権階級だけが参政権を持つ制度で、ポリスのために戦う従軍の義務と表裏一体をなすものだった。当然女性や奴隷、他のポリスでは「自由市民」であっても移住者は、移住先のポリスで実際に戦士として従軍するまでは市民権が得られなかった。つまり古代民主主義は「特権階級の、特権階級による、特権階級のための」政治システムだったのである。
その後、このような擬似民主主義は封建体制に継続され、「貴族の、貴族による、貴族のための」政治システムに変貌する。その封建体制を崩壊させたのが18世紀後半に起きたフランス革命である。1787年に始まった絶対王政に対する一般市民・農民・下級戦士などの反乱によってアンシャン・レジーム(旧体制)が崩壊し、近代民主主義の原点となった議会制民主主義が誕生した。
その流れを汲んで生まれたのがアメリカ型民主主義であった。アメリカ型民主主義がどのような歴史をたどり、今日に至ったのかを詳細に検証するのは専門家に任せるとして、概略だけを述べておきたい。これは日本型民主主義がいかに形骸化していることを検証するために絶対必要な作業だからである。
まず結論から先に述べておきたい。そのほうが理解しやすいと思うからだ。
アメリカ型民主主義の基本的概念(社会的規範)には「フェアネス」という思想がある。これは欠陥が少なくない民主主義を成熟させていくために欠くことができない基本的要素だ、と私は考えている。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年である。その後16世紀の初めにスペイン人が入植して中南米を征服、フロリダに植民地セントオーガスティンを建設した。
次いで17世紀初めにイギリス人がバージニアに上陸、ジェームズタウンを建設した。さらに1620年にはイギリスからメイフラワー号がプリマス(ボストンの近く)に入港、イギリス人の大量移住が始まった。
その後、アメリカに新天地を求めて(宗教改革に敗れたキリスト教徒が大半を占めていた)オランダ人、スウェーデン人、フィンランド人などが次々に移住し、さらにイギリスに対抗してカナダへ移住をしていたフランス人もカナダから五大湖を渡ってアメリカに南下を始めた。
1775年、英本国の厳しい植民地政策に反抗してイギリス人以外のヨーロッパからの移住民が結束して独立戦争を始めた。彼らは「自由か死か」を合言葉に銃をとって軍事力、特に海軍力に優れたイギリス軍と戦い、81年にはイギリス軍を降伏させ、アメリカは独立を勝ち取った(国際的に独立が承認されたのは83年のパリ条約による)。
独立後のアメリカは北部・南部・西部がそれぞれ異なった顔を持って別々の道を歩んでいった。北部が商工業を中心に資本主義経済を発達させれば、南部は黒人奴隷の労働力を基盤とした綿花王国を築き、西部は牧畜に活路を求めた。アメリカ映画の代表的な存在だった西部劇の主人公たちがカーボーイなのはそうした理由による。そもそもアメリカが独立した時点からアメリカ合衆国を形成した各州が、あたかも独立国家のような体をなしてきたのも、そうした歴史的背景があったからである。
ここで南北戦争の真相について、スティーブン・スピルバーグ監督作品『エイブラハム・リンカーン』のウソについて明らかにしておく。スピルバーグは、リンカーンを「奴隷解放の父」として描いており、事実アメリカでもそう扱われている。だが、リンカーンはもともと奴隷解放論者ではなかったし、大統領に選出された時の就任演説にも彼の考えがはっきり表れている。
「私は奴隷制度が布かれている州におけるこの制度に、直接にも間接にも干渉する意図はない。私はそうする法律上の権限がないと思うし、またそうしたいという意思もない」(1861年3月4日)
ではなぜリンカーンが「奴隷解放の父」と呼ばれるようになったのか。
実はリンカーンは共和党所属の初の大統領だった。歴史的に共和党は北部や西部を基盤にしており、南部を基盤にしていた民主党とはつねに対立していた。西部劇に黒人がほとんど登場しないのはそのためであり、今日に至るも共和党が銃規制に反対しているのは西部や北部に圧倒的な影響力を持つ全米ライフル協会の政治力の巨大さのためである。
問題は商工業を中心に発達してきた北部にとって、安価な労働力である黒人に自由を与え、南部から北部に移住させたいと考える共和党支持者が増えてきたことにある。この共和党勢力の増大に危機感を抱いたのが南部を基盤とする民主党だった。「保守派の共和党、リベラル派の民主党」と言われている現在の対立関係を考えると隔世の感がある。
そして、ついに大統領選挙で共和党のリンカーンに敗れた南部各州を政治的に支配していた民主党は、「リンカーン自身は奴隷解放論者ではなくても、共和党政権が続くと時間の問題で奴隷制が崩壊する」と考え、アメリカ合衆国から離脱して「アメリカ連合国」として独立を宣言したのだ。例えば日本でいえば唯一の黒字である東京都が都民の税金を他の赤字道府県のために使われるのは嫌だ、と神奈川や千葉、埼玉の各県に働きかけて「首都圏国」の独立を宣言するようなものである。さすがにリンカーンもこの独立宣言を無視できず、「アメリカ連合国」に対して戦争を始めたというのが南北戦争の原因である。
だから戦争に突入したときリンカーンは奴隷制を布いていた北軍側の州に対して「奴隷解放をするつもりはない」と約束している。そして北軍の勝利に終わったのち(南軍が負けた要因の一つに南部の奴隷黒人の反乱もあった)、リンカーン自身が自分の政治生命を維持するため「奴隷解放論者」に転向したというのが真実である。
伝説はえてして実像を虚像に変えてしまう。忠臣蔵の大石内蔵助は主君の仇討をした大忠臣のごとく思われているが、実像はまったく違う。彼の本心は断絶させられた浅野藩を、切腹させられた浅野内匠頭の弟・大学を擁立してお家再興を実現することにあった。もし大石の策略が成功して浅野藩再興が成功していたら、大石は最大の功労者として浅野藩の実権を掌握する地位に就いていたであろう。が、たとえ浅野藩の再興が成ったとしても石高は大幅に削られていただろうから、再雇用されるのはほんの一握りの上級武士だけ、ということは大石にも、また下級武士の赤穂浪士にもわかりきっていた話だった。だから大石にとっては赤穂藩再興の目的を果たすためには下級武士の跳ね返りを抑え込まねばならず、主君の仇討を目指していた浪士たち(彼らには再雇用される保証がなく、「主君の仇を討つ」という大義名分だけが生き甲斐になってしまっていた)の手綱を握り続けておく必要があった。結果的に大石の策略は成功せず、それまでの赤穂浪士たちとのいきさつから引くに引けなくなり、大石は吉良家討入りの総大将として後世に名をはせることになるが、もし浅野藩再興が成っていたらどうなっていただろうか。おそらく浅野藩の実権を掌握した大石を、赤穂浪士たちは「裏切り者」として付け狙い、暗殺しようとしたであろうことは間違いない。そう言い切れる理由は、もし大石が本気で仇討を考えていたとしたら、なぜ山科に豪邸を構えて遊郭に通いつめて、あいじんに子供まで生ませたのか、論理的な説明がつかない。吉良家が放ったスパイの目をくらますため、というのが通説になっているが、スパイの目を欺くためだったら田舎にこもって畑仕事でもしてのほほんとした生活を送っていれば十分だったはず。浅野藩取り潰しで手に入れた莫大な分配金で、なぜ貧困な生活に苦しみながら仇討の機会を狙っていた赤穂浪士の生活を援助してやらなかったのか。はっきり言って有り余るほどの金があり、酒と女好きだっただけというのが山科での隠遁生活の真実と考えるのが論理的だろう。
まだある。秀吉伝説である。信長が暗殺された後、信長の跡目相続をめぐって秀吉は柴田勝家と対立した。勝家はすでに成人していた信長の三男(次男説もある)・信孝を擁立したが、秀吉は信長の長男であり、信長とともに本能寺で果てた長男・信忠の長男・三法師(まだ3歳)を擁立して争った(世に言う清洲会議)。この時の秀吉の主張は三法師は信長の直系であり、たとえ3歳でも三法師が織田家の当主になるべきだというものだった。いちおう清洲会議では秀吉の「筋論」が勝利したが、本能寺の変の時期には信長が事実上「天下人」だったことを考えると、三法師が成人した時点で政権を三法師(成人後は織田秀信)に返還すべきであった。もしその「正論」が本音であったとしたら、秀吉が死の直前、徳川家康と前田利家を枕元に読んで、「秀頼成人の際には政権を秀頼に」と懇願したのは虫のいい話である。
伝説は実像を虚像に変える話はまだまだあって、司馬遼太郎などはそうした虚像作りの名人であった。その最高傑作が坂本龍馬であり、司馬自身そのことを承知していたためあえて龍馬の本名を使わず、著書の中では「竜馬」としたということは知る人ぞ知る話だ。伝説はしばしば実像を虚像に変えるという事実だけご理解いただければ十分である。
本題に戻る前、というか本題に欠かせない話なので、アメリカ型民主主義成立の話に戻る。アメリカが北部・南部・西部と異なる産業基盤を持って歩み、それが民主党と共和党の政治的対立を生み、さらに南北戦争にまで発展してしまったことはすでに書いた。その結果、決して奴隷解放論者ではなかったリンカーンが自らの政治生命のために奴隷解放論者に転向し、奴隷解放宣言を行って「奴隷解放の父」という虚像がつくられてしまったことはご理解いただけたと思う。
あえて追い打ちをかければ、リンカーンはもともとは奴隷解放論者ではなかっただけでなく。アメリカ史上まれにみる非人道的大統領であった。アメリカの歴代大統領の中で、原住民であったインディアンに対して最も非人道的な政策を行ったのがリンカーンだったのである。それも、リンカーンが生来のインディアン嫌いだったからではなく、共和党の支持基盤である西部の牧畜業者のためにインディアンを豊かな牧草地帯から追い払うことが目的で、命令に服さないインディアン部族に対する虐殺行為は「奴隷解放の美名」の陰に隠されてしまったが、これもまた伝説が実像を虚像に変えた証拠の一つである。
もう少し続ける。
アメリカが人種のるつぼと言われているのはだれでもよく知っていると思う。「人種のるつぼ」ということはどういうことを意味するのか。ソ連における共産主義体制の崩壊が証明したように、異なる人種・民族は異なる言語・宗教・風習・文化・伝統を擁しており、それらをひとつの共同体としてまとめるためには共通の社会的規範(ルールといってもよい)を作らなければならない。ソ連圏の場合、強大な軍事的強制力で無理やりまとめてきたが、共産主義体制の崩壊と同時に、この強制力も壊滅してしまった。その結果一気に爆発したのが東欧圏の大混乱であった。旧ユーゴスラビア、旧チェコスロバキアなどの内乱を見れば、軍事的制圧がなくなると人種・民族の混合国家がたどる道は火を見るより明らかであろう。中国も共産主義体制が終焉すれば、少数民族自治区のチベットなどが独立しようとし、中国政府がそれを阻止しようとすればたちまち内乱状態になることは間違いない。
ある意味では人種のるつぼであるアメリカの場合も、人種・民族間の紛争がいつ生じてもおかしくない国家構成になっているのである。
実際、黒人への人種差別感情が白人の間でまだまだ残っているアメリカで。黒人大統領が誕生し、しかもさしたる実績も上げられず、むしろ第1期在任中には経済的にはかえって悪化させてしまったオバマ大統領が再選されたことは奇跡と言ってもいい。
日本人に対する差別も、太平洋戦争中の強制収容ばかりがクローズアップされてきたが、いまだに「リメンバー・パールハーバー」の反日感情を持っているアメリカ人がいるだけでなく、実は真珠湾攻撃の35年も前にカリフォルニアでは排日運動が激化していた。1906年の日系児童の学級隔離、13年の排日土地法成立(日本人の土地所有禁止・借地制限など)、24年の排日移民法と、黒人差別と甲乙つけがたいほどの人種差別の洗礼を、日系移民は受けてきた。
太平洋戦争の末期に、もう勝敗の帰趨が見えていたのに広島と長崎に原爆を、それも別々の種類の原爆(広島に投下されたのはウラン235、長崎に投下されたのはプルトニウムをそれぞれ核燃料とした原爆)を使ったということは、アメリカが「自国兵士の損害を最小限にとどめるため」「戦争を早期終結させるため」などといかなる言い訳をしようと、原爆の実際的効果を確かめるための実験だったことは絶対に否定できない。歴史に仮定の話をしても仕方がないが、ドイツに対してだったら、あのような人体実験的な原爆投下に踏み切ったであろうか、という思いはぬぐいきれない。
黒人や日系人に対してだけではない。先住民のインディアンに対してはもっと残酷だった。「人民の、人民による、人民のための」という歴史的名言を残したリンカーンですら、先述したように自らが所属する共和党における権力基盤を強化するためインディアンの居住区をペンペン草も生えない場所に定めたり、命令に服しないインディアンは容赦なく惨殺したりした。またメキシコ人からもテキサスやカリフォルニアを奪い取ったうえ、メキシコ住民を弾圧した。
とはいえ、アメリカも人種間対立を放置してきたわけではない。人種問題は、国家分裂の温床になりかねないからだ。
では、アメリカはどうやって人種対立の芽を摘もうとしたのか。
そこがアメリカのすごいところなのだが、政治的にも経済的にも圧倒的な勢力を占めるアングロサクソンの絶対的優位性を自ら否定することによって、人種対立を和らげようとしたのである。その方法が「フェアネス」を社会全体の規範的ルールにすることであった。アメリカが根強い人種差別問題を抱えながらも、いざというときは星条旗のもとに全アメリカ人が結束できるのは、人種・民族間の宗教や文化・慣習・風習などの相違を超えて、すべての国民にフェアネスの規範的ルールを適用してきたからである。
そして、この「フェアネス」のルールがアメリカ型民主主義の概念として定着してきたことを、私たち日本人も学ぶ必要がある。
1960年6月、私がまだ大学生だったころの話だが、当時の岸内閣が日米安保条約の改定を強行しようとして(いわゆる「60年安保」)、デモ隊が国会周辺を取り巻き、日本中が革命前夜のように騒然としたことがある。読売新聞がこの安保闘争をどう報道したかはまったく覚えていないが、マスコミの多くは「民主主義の危機」と岸内閣を批判した。その時、岸は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には〝声なき声“が聞こえる」とうそぶいて物議をかもした。
いまマスコミは60年安保改定、さらに続く70年安保改定についてどう評価し、当時の主張についてどのように自らの主張についての検証をしているか。読売新聞も朝日新聞も昭和の時代を再検証しているが、その検証の中で自らも含めてマスコミが果たした役割についての検証はまったくしていない。なぜ日本のマスコミは自己検証しないのか。アメリカのマスコミは必ず自己検証を重ねながら主張を行っている。マスコミがそういう姿勢では、日本に成熟した民主主義が育つわけがない。
民意を反映する政治というのは、政府に反対する運動が盛んになることではない。もちろん国民は権力に対して厳しく監視し、国の将来を危うくするような政治に対しては抗議の活動をする義務がある。あえて言う。「権利」ではなく「義務」である。
一方、民意を政治に反映させるため、自分の考えを国会や地方議会で実現してくれそうな候補を積極的に応援し、支持を広げるための活動を行う義務がある。これも「権利」ではなく「義務」である。
その場合の行動基準は、はたして自分の考えや行動(反対運動にせよ、支持運動にせよ)がフェアか否か、また論理的か非論理的かを自ら考えチェックする訓練を積む必要がある。実はディベート教育というのはそのために必要なのだ。
ディベートを単純に論争で勝つためのテクニック(たとえばレトリックなど)や説得力をもつ話術を学ぶための教育ではない(アメリカのディベート教育も論争に勝つためのテクニックを重視するきらいがないではないが)。ディベート教育の真の目的は学生にフェアで論理的な思考力を身に付けさせるためのものでなければならない。マスコミの主張も、論理的かつフェアでなければならないことは言うまでもない。
したがって真の意味で民意が反映されるような選挙制度を確立することが、最高裁判決に応える国会の最大の責務であることをマスコミは国民に訴える義務がある。国会の責務は単なる数合わせで「違憲」の基準とされた「一票の格差」を是正すればいいというものではあるまい。
もちろん、総選挙が目前に迫っているという状況であれば、とりあえず「一票の格差」を解消するための0増5減を最優先し、そのための区割り作業を与野党協力して一刻も早く国会で成立させなければならないのは当然である。
だが、0増5減を最優先せよと主張するなら、同時に区割り作業を終えたら直ちに衆院を解散し、改めて国民の民意を問うべく総選挙を行え、とも主張すべきだろう。それが論理的かつフェアな主張というものである。
読売新聞社説氏の頭の悪さを論理的かつフェアに検証してみよう。
0増5減の区割り法案は自民にとって極めて有利な選挙制度改革である。自民の石破幹事長は「0増5減は自民にとって不利な区割りになる」と主張するが、そんなレトリックに騙されてはならない。仮に5減される議員のすべてが自民党所属だったとしても「一人別枠方式」が温存される限り、地方を選挙基盤としている自民にとって有利な制度下での選挙が今後も続く。自民が抜本的な選挙制度改革を後回しにして、とりあえず「一票の格差」を「違憲」基準内の2倍未満にしたら、それで選挙制度改革の幕は間違いなく閉じる。再び2倍を超える格差が生じたら、その都度区割り作業で格差を2倍未満にする「選挙改革」が間違いなく常態化する。そんなことが社説氏には読めないのか。バカと言われても反論できまい。
もし完全に有権者数に比例して選挙区の区割りを行えば、圧倒的に都市型政党(現段階では維新やみんな)が有利になる。そして民主主義が多数決を前提とする限り政治は大都市重視になる。だから私はこのブログの初めに民主主義には欠陥があることを明らかにしている。しかし、その多数決の欠陥を補う方法は、地方を選挙地盤としている自民にとって有利な選挙制度によって補うという姿勢は、明らかに自民の政党エゴである。
そもそも読売新聞は民主政権の時代には野党の自民に批判を集中していた。今度は自民が政権の座についたから野党になった民主を批判するというのか。そこにはジャーナリズムとしての矜持も、権力に対する警戒心も何もない。あるのは権力にすり寄るといった戦前・戦中の姿勢そのものだ。
社説氏は「6月の会期末まで、時間は限られている」「緊急処置として自公提案の法案を成立させるべきだ」とのたまう。
確かに今夏の参院選を考えると、通常国会の会期を延長することは不可能だ。だが、ことは参院選の区割り問題ではない。別に参院選までに決めなければならない問題でもない。どっちみち参院選で自公が勝てば、ねじれ状態は完全に解消する。民主など野党がすじを通して選挙制度の抜本改革にこだわるなら、すじを通させればいい。
当然、衆院選の選挙制度改革は、参院選での与野党の大きな争点になるだろう。その結果、与党が勝って国民が「0増5減」案を支持すれば、国民が選挙制度の抜本改革を拒否したことになる。たとえ、その選択が間違ったものであったとしても、国会は国民の選択に粛々と従えばいい。つまり秋の臨時国会で決着が自動的につく話だ。
社説氏は、国民が自らの意志でどういう選挙制度の改革を望むか、そのための正確な情報を提供するだけでよい。つまり、参院選で自公が勝てば、最高裁が国会に要求した「一人別枠方式」の廃止を、国民が拒否することを意味する、という厳然たる事実だけを国民に伝えるのが、現時点での社説氏の果たすべき最善の使命だ。社説氏の責任は、それ以上でも、それ以下でもない。少なくとも現時点においては……。
読売新聞は4月14日の社説で『衆院選挙制度――「格差」と定数削減は別問題だ』と主張した。論点を箇条書き的に整理する。
① 与党(自公政府)は各地の高裁で「違憲(状態)」「無効」の判決が相次いだ先の総選挙の違憲状態を解消するため、小選挙区定数の0増5減を実現すべく区割り法案を衆院に提出した。この法案が可決されれば「一票の格差」は解消し(※格差は1.998倍になる)違憲判決基準の2倍未満に収まる。
② しかるに野党(民主・維新など)は、最高裁判決は違憲状態の主因が「一人別枠方式」にあると選挙制度そのものの改革を求めているのに、自公は肝心の「一人別枠方式」を温存しようとしている(※つまり数合わせの違憲解消策に過ぎず最高裁判決の趣旨を無視している)ことを理由にして、自公法案に反対している。
③ しかし民主は昨年11月(※当時は民主政権)に0増5減の選挙制度改革に賛成したはずで、この反対はご都合主義だ。
④ 抜本改革に関する各党の主張の隔たりは大きい。合意形成が困難だから自公法案を成立させるのが立法府の最低限の責務だ。
⑤ そもそも野党が定数削減と絡めた改革案を唱えること自体がおかしい。「一票の格差」是正とは次元の異なる問題だ。定数削減の主張は国民受けを狙ったポピュリズム(大衆迎合主義)そのものだ。
⑥ 6月の会期末まで、時間は限られている。これ以上「違憲」は放置できない。緊急処置として自公提案の法案を成立させるべきだ。
私はこれまでブログで「民主主義」の欠陥については何度も書いてきた。大哲学者のプラトンやアリストテレスなどが主張したように民主主義は「衆愚政治(愚民政治とも言う)」の側面が小さくないことは否定できない。
だが、民主主義の欠陥を克服する新しい政治システムが発明されていない以上(永遠に発明不可能かもしれない)、私たちは民主主義の欠陥を理解したうえで民主主義をより成熟させていくしか現状改革の方法がない。この本質的な問題を、読売新聞社説氏はまったく分かっていないようだ。つまり社説氏が果たすべき最大の責務は、国民が正確な理解をしたうえで国政に民意を反映させるための情報を提供することだ、ということをまったく理解されていないようだ。国民に誤った情報を提供して、誤解を招かせるごとき主張をすることは言論の自由の範囲を超えていると言わざるを得ない。
民主主義の歴史はヨーロッパでは古代ギリシアにさかのぼる。デモクラシーの語源そのものが古典ギリシア語の「デモクラティア」であり、ポリスと呼ばれた都市国家では民会による民主政治が行われた。ただし古代アテネなどの民主政治は各ポリスの「自由市民」と呼ばれる特権階級だけが参政権を持つ制度で、ポリスのために戦う従軍の義務と表裏一体をなすものだった。当然女性や奴隷、他のポリスでは「自由市民」であっても移住者は、移住先のポリスで実際に戦士として従軍するまでは市民権が得られなかった。つまり古代民主主義は「特権階級の、特権階級による、特権階級のための」政治システムだったのである。
その後、このような擬似民主主義は封建体制に継続され、「貴族の、貴族による、貴族のための」政治システムに変貌する。その封建体制を崩壊させたのが18世紀後半に起きたフランス革命である。1787年に始まった絶対王政に対する一般市民・農民・下級戦士などの反乱によってアンシャン・レジーム(旧体制)が崩壊し、近代民主主義の原点となった議会制民主主義が誕生した。
その流れを汲んで生まれたのがアメリカ型民主主義であった。アメリカ型民主主義がどのような歴史をたどり、今日に至ったのかを詳細に検証するのは専門家に任せるとして、概略だけを述べておきたい。これは日本型民主主義がいかに形骸化していることを検証するために絶対必要な作業だからである。
まず結論から先に述べておきたい。そのほうが理解しやすいと思うからだ。
アメリカ型民主主義の基本的概念(社会的規範)には「フェアネス」という思想がある。これは欠陥が少なくない民主主義を成熟させていくために欠くことができない基本的要素だ、と私は考えている。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年である。その後16世紀の初めにスペイン人が入植して中南米を征服、フロリダに植民地セントオーガスティンを建設した。
次いで17世紀初めにイギリス人がバージニアに上陸、ジェームズタウンを建設した。さらに1620年にはイギリスからメイフラワー号がプリマス(ボストンの近く)に入港、イギリス人の大量移住が始まった。
その後、アメリカに新天地を求めて(宗教改革に敗れたキリスト教徒が大半を占めていた)オランダ人、スウェーデン人、フィンランド人などが次々に移住し、さらにイギリスに対抗してカナダへ移住をしていたフランス人もカナダから五大湖を渡ってアメリカに南下を始めた。
1775年、英本国の厳しい植民地政策に反抗してイギリス人以外のヨーロッパからの移住民が結束して独立戦争を始めた。彼らは「自由か死か」を合言葉に銃をとって軍事力、特に海軍力に優れたイギリス軍と戦い、81年にはイギリス軍を降伏させ、アメリカは独立を勝ち取った(国際的に独立が承認されたのは83年のパリ条約による)。
独立後のアメリカは北部・南部・西部がそれぞれ異なった顔を持って別々の道を歩んでいった。北部が商工業を中心に資本主義経済を発達させれば、南部は黒人奴隷の労働力を基盤とした綿花王国を築き、西部は牧畜に活路を求めた。アメリカ映画の代表的な存在だった西部劇の主人公たちがカーボーイなのはそうした理由による。そもそもアメリカが独立した時点からアメリカ合衆国を形成した各州が、あたかも独立国家のような体をなしてきたのも、そうした歴史的背景があったからである。
ここで南北戦争の真相について、スティーブン・スピルバーグ監督作品『エイブラハム・リンカーン』のウソについて明らかにしておく。スピルバーグは、リンカーンを「奴隷解放の父」として描いており、事実アメリカでもそう扱われている。だが、リンカーンはもともと奴隷解放論者ではなかったし、大統領に選出された時の就任演説にも彼の考えがはっきり表れている。
「私は奴隷制度が布かれている州におけるこの制度に、直接にも間接にも干渉する意図はない。私はそうする法律上の権限がないと思うし、またそうしたいという意思もない」(1861年3月4日)
ではなぜリンカーンが「奴隷解放の父」と呼ばれるようになったのか。
実はリンカーンは共和党所属の初の大統領だった。歴史的に共和党は北部や西部を基盤にしており、南部を基盤にしていた民主党とはつねに対立していた。西部劇に黒人がほとんど登場しないのはそのためであり、今日に至るも共和党が銃規制に反対しているのは西部や北部に圧倒的な影響力を持つ全米ライフル協会の政治力の巨大さのためである。
問題は商工業を中心に発達してきた北部にとって、安価な労働力である黒人に自由を与え、南部から北部に移住させたいと考える共和党支持者が増えてきたことにある。この共和党勢力の増大に危機感を抱いたのが南部を基盤とする民主党だった。「保守派の共和党、リベラル派の民主党」と言われている現在の対立関係を考えると隔世の感がある。
そして、ついに大統領選挙で共和党のリンカーンに敗れた南部各州を政治的に支配していた民主党は、「リンカーン自身は奴隷解放論者ではなくても、共和党政権が続くと時間の問題で奴隷制が崩壊する」と考え、アメリカ合衆国から離脱して「アメリカ連合国」として独立を宣言したのだ。例えば日本でいえば唯一の黒字である東京都が都民の税金を他の赤字道府県のために使われるのは嫌だ、と神奈川や千葉、埼玉の各県に働きかけて「首都圏国」の独立を宣言するようなものである。さすがにリンカーンもこの独立宣言を無視できず、「アメリカ連合国」に対して戦争を始めたというのが南北戦争の原因である。
だから戦争に突入したときリンカーンは奴隷制を布いていた北軍側の州に対して「奴隷解放をするつもりはない」と約束している。そして北軍の勝利に終わったのち(南軍が負けた要因の一つに南部の奴隷黒人の反乱もあった)、リンカーン自身が自分の政治生命を維持するため「奴隷解放論者」に転向したというのが真実である。
伝説はえてして実像を虚像に変えてしまう。忠臣蔵の大石内蔵助は主君の仇討をした大忠臣のごとく思われているが、実像はまったく違う。彼の本心は断絶させられた浅野藩を、切腹させられた浅野内匠頭の弟・大学を擁立してお家再興を実現することにあった。もし大石の策略が成功して浅野藩再興が成功していたら、大石は最大の功労者として浅野藩の実権を掌握する地位に就いていたであろう。が、たとえ浅野藩の再興が成ったとしても石高は大幅に削られていただろうから、再雇用されるのはほんの一握りの上級武士だけ、ということは大石にも、また下級武士の赤穂浪士にもわかりきっていた話だった。だから大石にとっては赤穂藩再興の目的を果たすためには下級武士の跳ね返りを抑え込まねばならず、主君の仇討を目指していた浪士たち(彼らには再雇用される保証がなく、「主君の仇を討つ」という大義名分だけが生き甲斐になってしまっていた)の手綱を握り続けておく必要があった。結果的に大石の策略は成功せず、それまでの赤穂浪士たちとのいきさつから引くに引けなくなり、大石は吉良家討入りの総大将として後世に名をはせることになるが、もし浅野藩再興が成っていたらどうなっていただろうか。おそらく浅野藩の実権を掌握した大石を、赤穂浪士たちは「裏切り者」として付け狙い、暗殺しようとしたであろうことは間違いない。そう言い切れる理由は、もし大石が本気で仇討を考えていたとしたら、なぜ山科に豪邸を構えて遊郭に通いつめて、あいじんに子供まで生ませたのか、論理的な説明がつかない。吉良家が放ったスパイの目をくらますため、というのが通説になっているが、スパイの目を欺くためだったら田舎にこもって畑仕事でもしてのほほんとした生活を送っていれば十分だったはず。浅野藩取り潰しで手に入れた莫大な分配金で、なぜ貧困な生活に苦しみながら仇討の機会を狙っていた赤穂浪士の生活を援助してやらなかったのか。はっきり言って有り余るほどの金があり、酒と女好きだっただけというのが山科での隠遁生活の真実と考えるのが論理的だろう。
まだある。秀吉伝説である。信長が暗殺された後、信長の跡目相続をめぐって秀吉は柴田勝家と対立した。勝家はすでに成人していた信長の三男(次男説もある)・信孝を擁立したが、秀吉は信長の長男であり、信長とともに本能寺で果てた長男・信忠の長男・三法師(まだ3歳)を擁立して争った(世に言う清洲会議)。この時の秀吉の主張は三法師は信長の直系であり、たとえ3歳でも三法師が織田家の当主になるべきだというものだった。いちおう清洲会議では秀吉の「筋論」が勝利したが、本能寺の変の時期には信長が事実上「天下人」だったことを考えると、三法師が成人した時点で政権を三法師(成人後は織田秀信)に返還すべきであった。もしその「正論」が本音であったとしたら、秀吉が死の直前、徳川家康と前田利家を枕元に読んで、「秀頼成人の際には政権を秀頼に」と懇願したのは虫のいい話である。
伝説は実像を虚像に変える話はまだまだあって、司馬遼太郎などはそうした虚像作りの名人であった。その最高傑作が坂本龍馬であり、司馬自身そのことを承知していたためあえて龍馬の本名を使わず、著書の中では「竜馬」としたということは知る人ぞ知る話だ。伝説はしばしば実像を虚像に変えるという事実だけご理解いただければ十分である。
本題に戻る前、というか本題に欠かせない話なので、アメリカ型民主主義成立の話に戻る。アメリカが北部・南部・西部と異なる産業基盤を持って歩み、それが民主党と共和党の政治的対立を生み、さらに南北戦争にまで発展してしまったことはすでに書いた。その結果、決して奴隷解放論者ではなかったリンカーンが自らの政治生命のために奴隷解放論者に転向し、奴隷解放宣言を行って「奴隷解放の父」という虚像がつくられてしまったことはご理解いただけたと思う。
あえて追い打ちをかければ、リンカーンはもともとは奴隷解放論者ではなかっただけでなく。アメリカ史上まれにみる非人道的大統領であった。アメリカの歴代大統領の中で、原住民であったインディアンに対して最も非人道的な政策を行ったのがリンカーンだったのである。それも、リンカーンが生来のインディアン嫌いだったからではなく、共和党の支持基盤である西部の牧畜業者のためにインディアンを豊かな牧草地帯から追い払うことが目的で、命令に服さないインディアン部族に対する虐殺行為は「奴隷解放の美名」の陰に隠されてしまったが、これもまた伝説が実像を虚像に変えた証拠の一つである。
もう少し続ける。
アメリカが人種のるつぼと言われているのはだれでもよく知っていると思う。「人種のるつぼ」ということはどういうことを意味するのか。ソ連における共産主義体制の崩壊が証明したように、異なる人種・民族は異なる言語・宗教・風習・文化・伝統を擁しており、それらをひとつの共同体としてまとめるためには共通の社会的規範(ルールといってもよい)を作らなければならない。ソ連圏の場合、強大な軍事的強制力で無理やりまとめてきたが、共産主義体制の崩壊と同時に、この強制力も壊滅してしまった。その結果一気に爆発したのが東欧圏の大混乱であった。旧ユーゴスラビア、旧チェコスロバキアなどの内乱を見れば、軍事的制圧がなくなると人種・民族の混合国家がたどる道は火を見るより明らかであろう。中国も共産主義体制が終焉すれば、少数民族自治区のチベットなどが独立しようとし、中国政府がそれを阻止しようとすればたちまち内乱状態になることは間違いない。
ある意味では人種のるつぼであるアメリカの場合も、人種・民族間の紛争がいつ生じてもおかしくない国家構成になっているのである。
実際、黒人への人種差別感情が白人の間でまだまだ残っているアメリカで。黒人大統領が誕生し、しかもさしたる実績も上げられず、むしろ第1期在任中には経済的にはかえって悪化させてしまったオバマ大統領が再選されたことは奇跡と言ってもいい。
日本人に対する差別も、太平洋戦争中の強制収容ばかりがクローズアップされてきたが、いまだに「リメンバー・パールハーバー」の反日感情を持っているアメリカ人がいるだけでなく、実は真珠湾攻撃の35年も前にカリフォルニアでは排日運動が激化していた。1906年の日系児童の学級隔離、13年の排日土地法成立(日本人の土地所有禁止・借地制限など)、24年の排日移民法と、黒人差別と甲乙つけがたいほどの人種差別の洗礼を、日系移民は受けてきた。
太平洋戦争の末期に、もう勝敗の帰趨が見えていたのに広島と長崎に原爆を、それも別々の種類の原爆(広島に投下されたのはウラン235、長崎に投下されたのはプルトニウムをそれぞれ核燃料とした原爆)を使ったということは、アメリカが「自国兵士の損害を最小限にとどめるため」「戦争を早期終結させるため」などといかなる言い訳をしようと、原爆の実際的効果を確かめるための実験だったことは絶対に否定できない。歴史に仮定の話をしても仕方がないが、ドイツに対してだったら、あのような人体実験的な原爆投下に踏み切ったであろうか、という思いはぬぐいきれない。
黒人や日系人に対してだけではない。先住民のインディアンに対してはもっと残酷だった。「人民の、人民による、人民のための」という歴史的名言を残したリンカーンですら、先述したように自らが所属する共和党における権力基盤を強化するためインディアンの居住区をペンペン草も生えない場所に定めたり、命令に服しないインディアンは容赦なく惨殺したりした。またメキシコ人からもテキサスやカリフォルニアを奪い取ったうえ、メキシコ住民を弾圧した。
とはいえ、アメリカも人種間対立を放置してきたわけではない。人種問題は、国家分裂の温床になりかねないからだ。
では、アメリカはどうやって人種対立の芽を摘もうとしたのか。
そこがアメリカのすごいところなのだが、政治的にも経済的にも圧倒的な勢力を占めるアングロサクソンの絶対的優位性を自ら否定することによって、人種対立を和らげようとしたのである。その方法が「フェアネス」を社会全体の規範的ルールにすることであった。アメリカが根強い人種差別問題を抱えながらも、いざというときは星条旗のもとに全アメリカ人が結束できるのは、人種・民族間の宗教や文化・慣習・風習などの相違を超えて、すべての国民にフェアネスの規範的ルールを適用してきたからである。
そして、この「フェアネス」のルールがアメリカ型民主主義の概念として定着してきたことを、私たち日本人も学ぶ必要がある。
1960年6月、私がまだ大学生だったころの話だが、当時の岸内閣が日米安保条約の改定を強行しようとして(いわゆる「60年安保」)、デモ隊が国会周辺を取り巻き、日本中が革命前夜のように騒然としたことがある。読売新聞がこの安保闘争をどう報道したかはまったく覚えていないが、マスコミの多くは「民主主義の危機」と岸内閣を批判した。その時、岸は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には〝声なき声“が聞こえる」とうそぶいて物議をかもした。
いまマスコミは60年安保改定、さらに続く70年安保改定についてどう評価し、当時の主張についてどのように自らの主張についての検証をしているか。読売新聞も朝日新聞も昭和の時代を再検証しているが、その検証の中で自らも含めてマスコミが果たした役割についての検証はまったくしていない。なぜ日本のマスコミは自己検証しないのか。アメリカのマスコミは必ず自己検証を重ねながら主張を行っている。マスコミがそういう姿勢では、日本に成熟した民主主義が育つわけがない。
民意を反映する政治というのは、政府に反対する運動が盛んになることではない。もちろん国民は権力に対して厳しく監視し、国の将来を危うくするような政治に対しては抗議の活動をする義務がある。あえて言う。「権利」ではなく「義務」である。
一方、民意を政治に反映させるため、自分の考えを国会や地方議会で実現してくれそうな候補を積極的に応援し、支持を広げるための活動を行う義務がある。これも「権利」ではなく「義務」である。
その場合の行動基準は、はたして自分の考えや行動(反対運動にせよ、支持運動にせよ)がフェアか否か、また論理的か非論理的かを自ら考えチェックする訓練を積む必要がある。実はディベート教育というのはそのために必要なのだ。
ディベートを単純に論争で勝つためのテクニック(たとえばレトリックなど)や説得力をもつ話術を学ぶための教育ではない(アメリカのディベート教育も論争に勝つためのテクニックを重視するきらいがないではないが)。ディベート教育の真の目的は学生にフェアで論理的な思考力を身に付けさせるためのものでなければならない。マスコミの主張も、論理的かつフェアでなければならないことは言うまでもない。
したがって真の意味で民意が反映されるような選挙制度を確立することが、最高裁判決に応える国会の最大の責務であることをマスコミは国民に訴える義務がある。国会の責務は単なる数合わせで「違憲」の基準とされた「一票の格差」を是正すればいいというものではあるまい。
もちろん、総選挙が目前に迫っているという状況であれば、とりあえず「一票の格差」を解消するための0増5減を最優先し、そのための区割り作業を与野党協力して一刻も早く国会で成立させなければならないのは当然である。
だが、0増5減を最優先せよと主張するなら、同時に区割り作業を終えたら直ちに衆院を解散し、改めて国民の民意を問うべく総選挙を行え、とも主張すべきだろう。それが論理的かつフェアな主張というものである。
読売新聞社説氏の頭の悪さを論理的かつフェアに検証してみよう。
0増5減の区割り法案は自民にとって極めて有利な選挙制度改革である。自民の石破幹事長は「0増5減は自民にとって不利な区割りになる」と主張するが、そんなレトリックに騙されてはならない。仮に5減される議員のすべてが自民党所属だったとしても「一人別枠方式」が温存される限り、地方を選挙基盤としている自民にとって有利な制度下での選挙が今後も続く。自民が抜本的な選挙制度改革を後回しにして、とりあえず「一票の格差」を「違憲」基準内の2倍未満にしたら、それで選挙制度改革の幕は間違いなく閉じる。再び2倍を超える格差が生じたら、その都度区割り作業で格差を2倍未満にする「選挙改革」が間違いなく常態化する。そんなことが社説氏には読めないのか。バカと言われても反論できまい。
もし完全に有権者数に比例して選挙区の区割りを行えば、圧倒的に都市型政党(現段階では維新やみんな)が有利になる。そして民主主義が多数決を前提とする限り政治は大都市重視になる。だから私はこのブログの初めに民主主義には欠陥があることを明らかにしている。しかし、その多数決の欠陥を補う方法は、地方を選挙地盤としている自民にとって有利な選挙制度によって補うという姿勢は、明らかに自民の政党エゴである。
そもそも読売新聞は民主政権の時代には野党の自民に批判を集中していた。今度は自民が政権の座についたから野党になった民主を批判するというのか。そこにはジャーナリズムとしての矜持も、権力に対する警戒心も何もない。あるのは権力にすり寄るといった戦前・戦中の姿勢そのものだ。
社説氏は「6月の会期末まで、時間は限られている」「緊急処置として自公提案の法案を成立させるべきだ」とのたまう。
確かに今夏の参院選を考えると、通常国会の会期を延長することは不可能だ。だが、ことは参院選の区割り問題ではない。別に参院選までに決めなければならない問題でもない。どっちみち参院選で自公が勝てば、ねじれ状態は完全に解消する。民主など野党がすじを通して選挙制度の抜本改革にこだわるなら、すじを通させればいい。
当然、衆院選の選挙制度改革は、参院選での与野党の大きな争点になるだろう。その結果、与党が勝って国民が「0増5減」案を支持すれば、国民が選挙制度の抜本改革を拒否したことになる。たとえ、その選択が間違ったものであったとしても、国会は国民の選択に粛々と従えばいい。つまり秋の臨時国会で決着が自動的につく話だ。
社説氏は、国民が自らの意志でどういう選挙制度の改革を望むか、そのための正確な情報を提供するだけでよい。つまり、参院選で自公が勝てば、最高裁が国会に要求した「一人別枠方式」の廃止を、国民が拒否することを意味する、という厳然たる事実だけを国民に伝えるのが、現時点での社説氏の果たすべき最善の使命だ。社説氏の責任は、それ以上でも、それ以下でもない。少なくとも現時点においては……。