小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

BRC決定に屈したNHK幹部は最高裁判決の重みを噛み締めよ

2008-06-19 14:18:57 | Weblog
 6月12日、最高裁は原告である市民団体(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク=バウネットジャパン)の訴えのすべてを退け、NHK全面勝訴の判決を下した。当然である。
 その2日前の10日、BRC(放送と人権等権限に関する委員会)は07年1月29日のNHKのニュース番組『ニュースウォッチ9』に対して抗議を申し入れていたこの市民団体の主張を全面的に認め、このニュース番組が「公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」との決定を下した。
この決定に対しNHKは「今回の決定を真摯に受け止めて、さらに放送倫理の向上に努める」とのコメントを発表した。つまりNHKはBRCの決定に全面屈服したわけだ。
一方市民団体は記者会見を開き、「主張がほぼ全面的に認められて大変うれしく思う」とコメントした。
このBRCの決定と最高裁の判決が相反しているといった誤解を持たれた方が多いようなので、論点を整理しつつ、NHKは今後どういう視点で報道番組を制作していくべきかについてこのブログの読者と一緒に考えていきたい。その前に、NHKと市民団体がなぜ対立するに至ったか、経緯を簡単に述べておこう。
『問われる戦時性暴力』という番組を企画したのは、もちろんNHKである。この番組を制作するに当たってNHKは市民団体に取材を申し入れた。この市民団体は、いわゆる「従軍慰安婦」問題などについて、当時の日本軍が韓国人女性などに対して行っていた非人道的行動を弾劾する活動を行ってきた。そして市民団体はNHKが自分たちの主張を大きく取り上げ、支持もしくは理解を示した番組を制作してくれるものと期待して取材に応じることにした。
しかし01年1月30日に放映された『問われる戦時性暴力』は、市民団体の期待と信頼を大きく裏切るものであった。そのため市民団体は、「取材意図を説明に来たNHK職員の話とまったく違う番組になり、期待と信頼が裏切られた」として、NHKおよび下請け制作2社に損害賠償を求める訴訟を起こしたというわけだ。
一審の東京地裁は、この訴訟を受けて04年3月、実際に取材に当たったNHKの孫請けプロダクションに100万円の賠償を命じた。
二審の東京高裁は07年1月29日、NHKに200万円の賠償を命じ、そのうち100万円についてはプロダクション2社にも連帯責任があるとの判決を下した。
ここまでが、市民団体が起こしたNHKに対する訴訟の途中経過である。が、二審判決を巡って市民団体とNHKの間で二度目の紛争が始まった。その火をつけたのがNHKだった、と言えば、そう言えなくもない。
二審判決があった日、NHKは午後7時のニュースで二審判決の内容を報じ、市民団体が起こした訴訟の概要とNHKの言い分を報道した。その直後、NHKの記者がそのニュースを見た政治家二人のコメント(私はNHKの番組内容に干渉するつもりもないし、干渉したこともないという趣旨)を入手し、その夜9時からの「ニュースウォッチ9」で、政治家二人のコメントとあわせ、改めてNHKの見解を報道した。
実はこの二人の政治家は、NHKに圧力をかけて『問われる戦時性暴力』の番組内容を変えさせたと朝日新聞が報じた当事者だった。そこで市民団体はBRCに「ニュースウォッチ9」の報道は公共放送として守るべき放送倫理に違反している、と訴えたのである。
NHKは市民団体の言い分はすでに7時のニュース(NHKは総合テレビだけでなくあらゆるNHKのニュースの中で最重要視しているのが午後7時のニュースであると位置づけている)できちんと報道している、と考えたのだろう、「ニュースウォッチ9」では市民団体の主張に触れなかった。
その後、約1年半後の今年6月10日、BRCは突如「ニュースウォッチ9」の報道に対し「公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」という決定をしたと発表した。この決定に対し、NHKは「今回の決定を真摯に受け止めて、さらに放送倫理の向上に努め、公共放送に対する期待に応えていきます」とコメントし、BRCに完全屈服したことを明らかにした。一方の当事者である市民団体は記者会見を開き「主張がほぼ全面的に認められて大変うれしく思う。2日後の最高裁判決にも期待したい」と述べた。

とりあえず、「期待権」を損害賠償の理由として市民団体が訴訟に踏み切った事件と、NHKの「ニュースウォッチ9」に下したBRCの決定とはまったく次元の違う問題だったことだけは、このブログの読者はご理解いただけただろうか。
ご理解いただけたという前提に立って、(ここまでは事実を検証しただけで、私の主張はこのブログの冒頭で書いた最高裁の判決に対し「当然である」と書いた部分だけである。この後私の主張を述べる。実はこの文章はgooのブログページでは書いていない。マイクロソフトの「ワード」で書き、後から1ページずつgooのブログページに貼り付ける。その理由は二つあって、①gooのサーバーが欠陥品で、しばしばせっかく書いた文章を「完了」「投稿」しても「投稿が完了」するケースが極めて少ないこと、さらに「投稿が完了」の表示がパソコン画面に出ても実際には記事が掲載されないこともあり、gooに対する信頼感が完全に失われたこと、②この問題を論じるためには読売や朝日の常套手段である、自分たちが主張するために都合のいい事実だけを主張の根拠として取り上げるという戦時下よりひどい体質に私は染まりたくないため、この文章をブログ投稿する前に市民団体とNHKに、私が主張する前提とする事実認識に誤りがないかを確認してもらうため、この文書を両者にFAXした。私が事実と認識していることに誤りがあった場合、ブログ投稿する前に訂正したいからである。だから、両者に事実確認を依頼しても、両者ができることは事実誤認の訂正だけで、私の主張の変更を要求されても一切応じない(ただし重大な事実誤認があった場合、事実誤認に基づいた主張は変更する。それが自称「ジャーナリスト」と私が違う根本的なスタンスである)。

まずBRCの決定とNHKが完全屈服した件から書こう。
最初に私が抱いた疑問は、BRCが問題にした「ニュースウォッチ9」の報道だが、なぜ1年半も経って、しかも最高裁判決の2日前というタイミングで公表したのかということである。難しい判断を迫られるようなケースではなく、「公平・公正に欠けた」報道だというなら、どんなに長くても1週間もあれば結論を出せたはずだ。なぜ結論を1年半も経って、しかも最高裁判決の2日前というタイミングで公表する必要があったのか、BRCには厳密な説明責任がある。
「下司のかんぐり」と言われてしまえばそれまでだが、発表のタイミングを考えると最高裁判決への圧力をかけるため、と解釈されても反論はできまい。一刻一秒を争うような問題だったから発表が最高裁判決の直前になってもやむをえなかったと言うなら、なぜ1年半後が一刻一秒を争うケースになったのか、やはり説明責任を果たすべきだろう。
次にBRCが問題にした「公平・公正に欠けた」と言う主張だが、NHKという公共放送の義務と明記した「公平」とはどういう報道スタンスを要求するのか、きちんと「公平」な報道についての定義を明確にすべきだった。三省堂の『広辞林』によれば、「公平」は「偏っていないこと。片手落ちのないこと」と意味説明がされている。すでに述べたようにNHKは7時のニュースで高裁判決を報じ、その際に市民団体の訴訟理由も報じている。その後政治家のコメントをキャッチして、それは7時のニュースの後だったから9時のニュースで報じた。
確かに政治家のコメントをキャッチした時点で、政治家のコメントに対する市民団体の見解も取材し、報道したほうがよかったとは私も思う。しかしかつてジャーナリストとして駆けずり回っていた私の経験からすると、夜の7時以降9時までの時間帯に市民団体の責任者への取材をすることは事実上不可能だったろうと思う。
現にBRCの責任者が、午後9時まで視聴者からいつかかってくるかもしれない電話に対応するため事務所に居残っているか。NHKがすでに市民団体の主張は7時のニュースで報じており、「公平」は期していると判断してもやむをえない状況だったと私は思う。それでもBRCは「公平」を欠いたとNHKを責めるなら、決定を下すまでの1年半、NHKの報道スタンスを改善するため、NHKにどのような働きかけをしてきたのか、やはり説明責任を果たすべきだ。
 実はこの事件が起きるまで私はBRCという機関はまったく知らなかった。で、BRCはどういう機関なのか調べてみた。その結果BPO(報道倫理・番組向上機構)の内部に属する機関ということがわかった。 
 となると、おかしな事件があった。私は昨年1月テレビ朝日の看板番組「サンデー・プロジェクト」に対するクレームをBPOに申し立てたことがある。が、BPOは「ご意見はテレビ朝日に伝えますが、それ以上のことは出来ないんです」と言われた。BPOにもできないことが、なぜBRCにできるのか。BPOにはできないが、「内部機関のBRCならできます」と、なぜBPOはBRCに私のクレームを取り次がなかったのか。BPOは視聴者のクレームに対する単なるガス抜き機関なのか、と絶望して私は直接テレビ朝日の君和田正夫社長宛てに抗議文を送った(07年2月7日付)。その一部を抜粋する。
  極めて重大なことですが、御社の看板番組である「サンデープロジェクト」で田原氏が安倍内閣の支持率低下をテーマにしたことがありました。そのとき田原氏はいつものように看板(というのかどうか知れませんが)を手にマスコミ各社の世論調査のデータを折れ線グラフで示しながら、安倍内閣の支持率低下を「証明」して見せました。そのとき田原氏がデータとして取り上げたマスコミは朝日新聞、毎日新聞、共同通信、ANNの4社で、各社の支持率はいずれも50%を切っておりました。私は日本で一番売れている読売新聞の世論調査を無視したことに疑問を抱き、同紙に問い合わせたところ同紙の世論調査でも安倍内閣の支持率は低下しているものの数字は55%だったことがわかりました。つまり田原氏は50%台の支持率を出した読売新聞のデータをことさらに無視して安倍内閣を窮地に陥れることを意図した番組を作ったわけです。(中略)
  さて私は当然のことですが、御社の視聴者センターに「なぜ読売新聞のデータをはずしたのか」という問い合わせを入れました。電話に出た女性はあいもかわらず「ご意見は担当者に伝えます」と答えるのみでした。もちろん視聴者センターの女性にその理由がわかるわけがありません。そこで私は「番組担当者に電話をつないでほしい」と頼みましたが、「おつなぎできません」と断られました。そこで私はさらに「では私の電話番号を教えるから、あなたが担当者から理由を聞いて私に電話してほしい」とお願いしましたが、「視聴者の方にいちいちご返事はしておりません」と断られました。これが御社の視聴者センターの視聴者の意見や疑問に対する基本的スタンスです。
視聴者からこういう類のクレームが寄せられた場合、もちろん社長がいちいち対応することは通常ありえない。一般的には抗議文は広報担当のセクションに回され、広報のそれなりの責任者から回答が寄せられるものだが、テレビ朝日からはどの部署からも回答はなかった。つまり完全黙殺されたのである。
私のクレームが理不尽で悪意に満ちたものだったら黙殺されても当然だろう。が、私は『サンデープロジェクト』がある種の政治的意図を持って作られていることを事実を明らかにすることによって証明したこと、さらにテレビ朝日の視聴者センターの対応に対し当たり前の批判をしただけである。このブログをお読みの方は果たして私の抗議文について「悪意に満ちた理不尽なもの」という印象をお持ちになっただろうか。
そして私からテレビ朝日へのクレームを聞いたBPOの職員は、なぜ放送局に対して権限を行使できるBRCにこのクレームを取り次がなかったのか。私はBPOとBPO傘下のBRCに大きな疑問を感じざるを得ない。
再びBRCがNHKに下した「公平・公正を欠いた」との「決定」についての疑問に戻る。すでに「公平」という概念についての『広辞林』の説明は書いた。実は「公平」も「公正」も「民主主義」という概念に含まれたルールである。「民主主義」の概念に含まれたルールはほかにも「いろいろな意見が対立した場合多数決で決める」や「多数決で決める前に少数意見も尊重して議論を尽くす」など、議会制民主主義を制度として維持するためのルールも確立されている。その結果、国会では早く多数決に持ち込みたい政府与党と、それを防ごうとする野党の間で「議論はもう尽くした」と主張する政府与党と「まだ議論は尽くされていない」と抗議する野党の間で本論から外れた、質疑応答に費やす時間をめぐっての議論を延々と何時間も続けるバッカみたいな時間の無駄遣いがしばしば行われる。だからプラトンは「民主主義は愚民政治だ」と決め付け「哲人による独裁政治」を主張したほどである。
実際、民主主義がほぼ世界共通の社会規範として浸透している現在でも、民主主義を維持するために設けられている「少数意見も尊重する」というルールは多数意見を採用するための儀式でしかなく、議会制民主政治の下で少数意見が採用されたためしは世界中で1件もないはずだ。だから私は民主主義については「時間をかけて、多数者の利益(あるいは意見)を正当化するための手続きを定めたルールでしかない」と定義している。
そう考えると、BRCが公共放送の報道番組に求めた「公平」とはどういうことを意味するのか、BRCはまずもって明確にする義務がある。
まずNHKの番組編集に介入したと朝日新聞が報じた政治家のコメントをNHKの記者がいつ(何時何分)入手したかをBRCは確認したのか。そして、政治家のコメントを急遽「ニュースウォッチ9」で放送することにし、NHKもそのコメントに関して見解を述べる必要があると決めたのはいつ(何時何分)で、その時点から市民団体に取材すべきあらゆる手段を尽くしたのか、あるいはすでに7時のニュースで市民団体の主張は充分報じており、政治家のコメントで市民団体が主張を変えることはありえないと判断して市民団体への取材をしなかったのか、BRCが結論を出すのに1年半もかけたのなら、この程度の確認作業をする時間は充分すぎるほどあったはずで、そうした手続きを踏まずに一方的な決定を下したのだとしたら、直ちにBRCは「決定」を取り消し、NHKのニュース番組で謝罪会見をしなければいけない。
実は「公平」という民主主義のルール自体が誤りだとまでは私も主張しないが、「公平」を実施する方法はいろいろあって、どういう方法が完璧に「公平」と言えるのかは判断の基準が極めて難しい。たとえばNHKが毎週日曜日の朝9時から総合テレビで放送している『日曜討論』は出席した各政党の代表者にまったく平等に発言時間を与えている。一方国会の審議で各政党の代表者に与えられる質問時間は各政党に属する議員の数に比例配分して決められている。NHK方式は、国民からの信任を受けて政府与党の座についている自公両党にとっては相対的に不利な扱いを受けていることになる(野党のほうが政党が3つあり、放送時間の5分の3が野党発言に費やされている)。つまり「公平」という民主主義のルール自体が極めてあいまいであって、NHK式のほうが「公正」なのか、国会式のほうが「公正」なのか、そうした議論さえ行われたことがないのが現状である。
公共放送であるNHKは、にもかかわらず民主主義の「ルール」を最大限守ろうという姿勢で、「この放送が視聴者から『公平・公正』だと判断してもらえるだろうか」と常に自己検証することは望みたい。
この後、私がこの問題についてNHK副会長の今井義典氏にお送りしたFAX文書の一部を抜粋してこのブログの結論にしたい。なおFAX文書を会長宛でなく副会長宛にしたのは、会長はまったく違う畑の民間企業の出身であり、NHKの経営体質を改善するために重責を担われることになった人で、この問題に対応するにふさわしい人とは思えなかったからで、それ以外の他意はない。なおそのFAX文書はBRCが決定を下した翌日の6月11日に送ったもので、翌12日の最高裁判決を知る由もない時点で書いた文書であることをお断りしておく。

さて問題のBRC決定に屈服したNHKの姿勢に疑問を感じました。昨夜(10日)川崎の視聴者センターの二人のチーフの方に以下のような意見を申し上げました。
ジャーナリズムは政治家や政府、省庁の官僚だけでなく、どんな巨大企業であろうとも、また政党や市民団体であろうとも、いかなる圧力にも屈してはいけない。教育テレビが放送した『問われる戦時性暴力』は私は見ていないが、NHKの記者やディレクターあるいはプロジューサが意図的に偏向番組を作ったとは思えない。NHKの記者といえども思想の自由はあるが、自分の主張を視聴者に押し付けるような番組を作ることなど不可能なことは、私も知っている。なのにBRCの決定に屈したかのような「真摯に受け止め、今後は公平・公正を期した番組を作るようにします」といった公式見解を発表されると、現場の記者が萎縮してしまい、今後は市民団体の怒りを買うような番組を作ってはいけない、と市民団体の顔色を伺いながら取材することになりかねない。そうなるともう市民団体には取材しないほうがいいと、記者の義務である取材を回避するようになるかもしれない。
市民団体の「自分たちの主張を放送してくれると期待したから取材に応じたのに、自分たちの主張を放送で取り上げなかったはけしからん」という主張自体がNHKの編集権に対する重大な侵害である。なぜNHKは市民団体の主張を丸呑みしたBRCの「公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」という決定に屈したのか(筆者注:この時点では私も市民団体の裁判での主張と、BRCに「ニュースウォッチ9」に対する批判の申し立てをした二つのケースを混同していました)。
これはNHK職員の不祥事が相次いで発覚し、魔女狩り的批判の矢面に立たされている中で生じたことだけに、職員、とくに現場で昼夜を問わず仕事をしている記者たちの士気にもかかわりかねない。
NHKのジャーナリズムとしての姿勢が問われたケースだけに、改めてこの番組を総合テレビで再放送し、取材した市民団体の録画も放送し、この番組の編集責任者に、なぜせっかく取材した内容を番組で取り上げなかったのかを説明させ、NHKの番組制作の基本姿勢を明らかにすべきだ。

ここまで書いて、NHKと市民団体の双方に、私が事実誤認をしていないかの確認を求めるため、今日(19日)の午前中に、事実誤認があった場合ご指摘いただきたいとの依頼のFAXを送った。そして双方から事実誤認の指摘がなかったのでブログで公表することにしたのだが、今朝の朝日新聞の報道でNHKの今井環理事(報道統括)がBRC決定に反論したことを知ったので、今井氏の反論を急遽このブログに追加することにした。 
今井氏の反論は、①原告勝訴の場合、原告側のコメントは放送しないことが多い ②このケースの場合、7時のニュースで原告側コメントを放送しており、その後介入が疑われた二人の政治家の談話が入ったが、放送時間の関係で原告側コメントは省いた、という趣旨であった。NHKがいったん認めたBRCの決定に、毅然とした態度で反論したことを私は高く評価したい。