淡彩スケッチ ひとりあそび

  へたはへたなりに 楽しんでいます    ( by satoyama )
  

峠の茶屋   [758]

2017-07-04 14:37:26 | 淡彩スケッチ
            
                峠の茶屋 「一軒家」    
                           水彩  F6
                10年くらい前から、通りがかりに何度か立ち寄っている。
              わらびもちを添えた蕎麦がメインのようだ。
              今回は一年振りだったが、屋根がきれいに葺き替えられていた。

              人家も途絶えた、カーブの多い坂道。
              それも、建物は道路から少し奥まったところに建ち、看板も目立たない。
              知っていても、気を付けなければ通り過ごすこともある。
              元はどなたかの別宅としてでも使われていたのではと思われる。

              建物周辺の傾斜を利用した外部空間は、憩いの場として開放してくれて
             いるから、今までにも何度かスケッチをさせてもらっている。


       
                
             
                 アジサイのこと 
 
               5、6年前に、裏六甲を通っていて、濃いブルーのアジサイ花に気が付いた。
               車を止めて、その家のひとから、挿し木をするためにと貰って帰ったことが
              あった。
               しかし、その後、咲く花の色は期待に沿うものではなかった。


               やはり土が違えば仕方のないことかとあきらめていたが、今年、やっと見事な
              「六甲ブルー」を披露してくれた。

         

高千穂峡へ

2017-06-13 00:07:11 | 淡彩スケッチ
          
              (宮崎)高千穂峡  F3

          
              (宮崎日向)馬ヶ背 F3

          2泊3日の宮崎県 日向岬の馬ヶ背、天岩戸神社、高千穂峡をめぐる
         ツア―に参加してきた。
          大層な構えであるけれど、往、復とも夜行のフエリーの船上泊で、その間に
         挟まれた昼間一日を利用するだけのものである。

          神戸からのものでありながら、正味一日を使うだけ、費用も1万円前後。
          私向きのものであった。

          馬ヶ背は、日向岬の突端、幅細くなった部分が柱状節理による70mもの
         断崖絶壁になっていて、その姿から名づけられたという。

          天岩戸神社への道筋、深い深い山と山の重なりとそのなかに点在する民家を
         遠くに眺めたり、神社から天岩戸と言われている洞窟を眺めているうち、
         記紀の神話か、史実なのかと、混沌としてきた。
          まさにパワースポットである。
          不思議な体験であった。


法起寺へ   [755]

2017-04-29 22:11:08 | 淡彩スケッチ
         
              法起寺三重塔  田圃の畔から   F4

         
              法起寺三重塔を伝説の古池[菩提池」より見下ろして描く  F4


           法輪寺周辺でのスケッチの後、法起寺へも廻った。
         5、600mほどの道は、以前は無舗装の農道のようなものであって、
        道中には視界を遮るものはなかったから、塔を眺めながら近づいて行った
        ことが懐かしい。

         法起寺の日本最古の三重塔(国宝)を田圃の中の畔に腰を下ろして描いた。
         背後の緩やかな斜面に広がる30軒足らずの集落の中に、1300年もの昔、
        この塔が生まれた頃の人たちの子孫がまだ居るのだろうかと、ぼんやりとした
        想いがながれた。

         夕暮も近く、疲れ切っていたが、地域のコミュニテイバスを待つ50分ほど
        の間に、近くの伝説の古池「菩薩池」の前から、塔を見下ろしてもう一枚ラフ
        スケッチをした。

斑鳩 法輪寺   [754]

2017-04-27 18:45:47 | 淡彩スケッチ
          
                 
                 法輪寺 三重塔  水彩  F4

          

                 屋根越しにみる三重塔   F4

          

                 法輪寺土塀    F4

             今年も奈良・斑鳩へ行ってきた。

          JRの法隆寺駅から法隆寺への道を初めて歩いたのは小学6年生の時であった。
          新卒20歳の女先生が、初めて担当したクラスの生徒だった自分を連れて
         行ってくれたのである。
          法隆寺五重塔や中宮寺の弥勒菩薩像に初めて接しての驚きは、田舎育ちの
         子供にとっては大きかった。

          3時間もかかる法隆寺まで、自分一人だけを連れて行ってくれた先生の意図は
         分からないけれど、仏像彫刻や建築史への興味を深めることにつながった。

          この度は、その中宮寺の門前を素通りして、その先の法輪寺と法起寺へと歩を
         進めた。

          法輪寺の三重塔は、この後に訪れた法起寺の国宝三重塔と同じ飛鳥様式のもの
         であったけれど、昭和19年に落雷のため、惜しいことに消失し、幸田文さん
         たちの助力などを受けて昭和50年に再建されたもので、いわゆる飛鳥様式に
         そってきっちりと復元されている。

          また、この寺に残る木造虚空蔵菩薩立像は、自分の最も好きな仏像で、いつ訪れ
         ても優しく迎えてくれる。

          辛い思いを持っていても、そんなことは、わたしはずうっと見てきていますよと
         諭してくれる。

さくら並木    [753]

2017-04-14 15:36:55 | 淡彩スケッチ
         
              さくら並木   F3

             家を出て5,6分ほど歩くと桜並木の続く堤防に出る。
          散歩というか、ウオーキングといえるか、時間が有って気が向いた時に
         歩くコースである。
          堤防沿いの畑では花卉栽培が盛んで、夏は夜の明ける前から農家の
         人たちは作業をしている。
          このそばを、貧乏人の私ごときが、のんびり歩くのは気が少々気が引ける
         のである。

          桜花を近くから描くのは手に負えないから、この並木を遠くから描いたが、
         何がポイントか分からぬ、しまりのないものになってしまった。


平福 (宿場)    [752]

2017-04-04 20:43:45 | 淡彩スケッチ
       
             川端土蔵群    F4

       
             日本稲田100選   2013年 撮影

       
             陰陽道のライバル 阿倍晴明、芦屋道満の塚   2013年撮影

           平福(宿場)
         姫路と鳥取をつなぐ旧因幡街道沿いにある。(この地域では国道373号)
         鳥取藩の参勤交代の宿場町として、智頭宿、大原宿などと共に栄えていた。
         宮本武蔵初決闘の地をはじめ、小さな町の内に往時をしのぶ遺跡が残っている。
         直ぐそばを流れる作用川を船便にも生かしていたという。
         近在には、日本稲田100選のひとつ大木谷や、平安時代に活躍した陰陽道の
        ライバル 阿倍晴明、芦屋道満の塚もある。

         豪雨による水害で被害を受けていた川端も、きれいに修復されていた。

電車乗り放題券   [751]

2017-04-01 00:49:57 | 淡彩スケッチ
          
               西鈴蘭台駅(神戸電鉄)  F4
 
          
               西鈴蘭台駅周辺    F4 

 
              最近は市街地へ出るのにバスを利用するようになっているが、神戸電鉄の
          沿線に住んでいるので、一日乗り放題券10枚綴りチケット(3500円)を
          持っていて、何の目的も無しに利用することがある。

           この日も、以前2年ほどアパート暮らしをしていたことのある西鈴蘭台駅
          周辺をふらついてきた。

           掲載のものはその時のスケッチである。
           日中の駅は閑散としていて、電車待ちに描きはじめたが、結局乗り遅れる
          ことになってしまった。

           この後、三田へも行った。
         

藍那八王子宮 農村歌舞伎舞台   [750]

2017-03-25 21:16:47 | 淡彩スケッチ
         
            藍那八王子宮 農村歌舞伎舞台   F6

         
            現況写真
         
            現況写真


           神戸市北区に現存する農村歌舞伎舞台のうち、著名なもの5件を見学して回ろうと
          計画して、今回のものが4番目になる。

           八王子宮の境内に建ち、藍那里づくり協議会の手による説明板には
          「明治初年に建立された間口7.9m、奥行き5mの入母屋造茅葺の
          舞台である。藍那には本舞台の他に厳島神社と釈迦堂に農村歌舞伎舞台が
          あったが、厳島神社の歌舞伎舞台は廃絶、釈迦堂の舞台も昭和40年の台風
          23号により茅葺の屋根を飛ばされてしまったため、、今現在も昔の形を
          残すのはこの舞台のみである。」とあった。

           義経一行が鵯越えのために通過したという伝説のこの地は、山間の狭い
          地を神戸電鉄と県道が通り抜け、急峻な斜面の、勾配が少し緩んだ地に
          住戸が建っている。

           斜面に這うように建つ20戸ほどの集落の中の、そのまた高台に八王子宮は
          建っていた。
          農村歌舞伎舞台の痛みはひどく、補修、修繕だけでは手の施しようもないのが
          心配である。


菜の花の丘

2017-03-21 00:02:03 | 淡彩スケッチ
          
               「菜の花の丘 1」   F4


          
               「菜の花の丘 2」   F4

          
          
                「雪の里」   F1

  
           神戸総合運動公園の菜の花の丘へ行ってきた。
           秋にはコスモスの丘ともなり、市民憩いの場である。
           この日は、海を臨む高台だけに肌寒かったが、遠足の幼稚園児の元気な声が
           響き渡っていた。


           5,6年前に描いた取りとめも無いスケッチが、思いがけないところに架けられて
           いるのに気が付いて、懐かしく、写真に撮って帰って来た。
           大事にされているようで嬉しかった。


加西・横尾歴史街道   [748]

2017-03-05 22:01:38 | 淡彩スケッチ
        
               北条・横尾町家並み  淡彩  F4

        
               北条・高井家住宅

        
               北条・水田家住宅

   
         廃線問題を抱えつつも、ボランテイア女性駅長で評判の北条鉄道を利用して、終点北条町の
     横尾街道へ行ってきた。
      かっての丹波街道としての華やかさは残っていないけれど、道沿いに並ぶ建物に、この地の
     建築様式がはっきりと残っていた。

      この街並みは、兵庫県歴史的景観形成地区に指定もされ、この中に建つ高井家住宅、水田家
     住宅は国の有形文化財の指定を受けている。

      切妻、平入り。
      道に沿って庇をつけ、庇の上に明り取りの小窓をつけている。
      一階の天井裏に設けた物置や使用人の住まいに利用した空間のためのものである。(厨子二階)
      最近のものは、この部分の高さを大きくして、中二階として利用していて、様式としては
     2階建である。
      道に面した開口の格子は、格子状の引き戸、雨戸を含めて美しかった。
      通りに面した出棺出口も初めて見ることが出来た。
    
      腰を下ろしてのスケッチは寒かった。


『古代ギリシャ 特別展』 を観て [ 747 ]

2017-02-04 10:29:33 | 淡彩スケッチ
         
  「わびすけ」   水彩 4F

          
                  「篠山・福住の民家」   淡彩 3F

            久しぶりに時間がとれたので、特別展「古代ギリシャ 時空を超えた旅」(神戸市立博物館)を
         観てきた。
          東京、長崎での展示に続くものである。
          海からも、山からも風が吹いてくるようで、この日の三宮は寒むかった。

          紀元前6500年頃から4世紀頃までの、ギリシャ文明の黎明から最盛期を飾る遺物、作品が300点
         あまりが展示されていた。
          日本の縄文、弥生文化の進展より遥かに古い時代にくり広げられていたものである。
          火山噴火で埋もれていて無傷で出土したもの、500メートルの海底からひきあげられた鍛造人物像、
         今なお輝く黄金の装身具、色鮮やかなフレスコ画、壺絵の面白さ、アルカイックなものから超写実な
         ものへの変遷、オリンピック発祥のころの遺物などなど。
          しばし遠い遠い世界を想った。


集落のはずれ   [746]

2017-01-28 10:44:19 | 淡彩スケッチ
       
         三田・大原 (1)   F4

            
                三田・大原 (2)

           先日、近所のご婦人と出先の市街地三宮で思いがけず出会った。
         普段からそれはどお付き合いのある人ではなかったが、素知らぬ顔もしておれず、
        10才ほど年長のその人の歩調に合わせて話合いながら、地下鉄、バスを乗り継いて
        一緒に帰って来た。
         家の近くまで来たとき、その人はさらりと「いいおつれさんでした」と言って別れて
        行った。
         こういう言いまわしのあることに気がついた。

         少し時間をとれたので、三田市大原へ車で行ってきた。
        人口増加率が、全国的にも一、二と言われていたころの大型団地が近くまで来ている
        けれど、バブルもはじけ、その周辺のこの地には穏やかな集落が残っている。

   

今日この頃  [744]

2016-12-29 21:58:11 | 淡彩スケッチ
        
           「くだもの」  水彩  F6

            
             
                石峯寺三重塔  神戸市北区淡河町  水彩  F6
  
           関心ごとが出来て、生活のスケジュールがこのことを中心に回るようになった。
         夜の2時、3時までデスクワークにのめり込んだり、月に1度は泊まり込むこともある。
         しかし、80近くになっての、体力の衰えにいら立つている。

         7,8年前まで、運営のお世話をしていた水彩画の会がある。
         素人の自分には指導できる力は無かったけれど、この会があったからこそこの歳なのに
        小、中学校以来の筆を持てるようになったと喜んでくれる人はそれなりに居た。
         この会に所属していても上手くはなれないから、描くことに慣れたら、どんどん他の
        まともな会や文化教室へ移りなさいよと言っていたが、常に14,5人くらいは集まって
        来てくれていた。
         人の集いを願ってのものは実っていた。

         自分の挫折があって、120回ほど続いたその後は、このグルーブに自主運営をお願いして、
        年に1,2度顔出しするだけになっていた。

 
         最近、このグループで作品展を開催するからと、私にも出展を呼びかけてくれたので、
        喜んで参加させてもらった。
         夫々が素晴らしい作品を持ち寄っていて、涙が出るほど嬉しかった。
 
         掲載の絵はその時に出展したものである。
         2,3年前のもので、この場には既に掲載したものである。


篠山 ・ 丸山  [ 743 ] 

2016-12-03 22:19:19 | 淡彩スケッチ
      
              「 篠山・丸山 」  サイズ f6
 
   最近、新聞、雑誌や広報誌で取り上げられることの多い篠山・丸山へ行ってきた。

 篠山城址から走行10分くらいだったろうか、民家も途絶えた山間の道を行った先に
丸山集落が表れた。
 茅葺屋根の倉庫らしい建物と無人の農作物の売り場が目につくだけだったが、車を
留めて歩きだしたところに掲示板があった。

 「集落丸山
 丸山集落は、1794年に畑地区の奥畑から、城の水守として移住してきたのが始ま
りで、約260年の歴史をもちます。
 過疎と高齢化が進み12戸のうち7件が空き家になっていたところ、2007年から
古民家改修が行われ、民宿やレストランとして利用されるようになりました。
 地元住民がNPOなどの支援を受け、地域再生のモデル事業として展開しています。」

 10軒あまりの、もとは茅葺であったであろう鉄板葺きの大きな民家がパラパラとあち
こちに散在するだけで、店舗らしきものは勿論、看板一枚も揚がっていないから、どこが
民宿でレストランなのか分からない、静かな佇まいの集落であった。
 心休まる、故郷の姿であった。

 スケッチポイントを探していたら、通りがかりの男性が、「視線が変わっていいですよ」
と言って教えてくれたのは、高台にある公民館まえからの眺めであった。
 ベンチもあって、ほぼ集落の全景を眺めることが出来た。

 翌日の新聞夕刊には

 古くから残る建物を生かした観光振興の実情を視察するため、菅義偉官房長官が訪れ、
住民たちと耕作放棄地が解消するなど、再生が進む集落の現状について意見交換し、
『 限界集落の課題解決は政府にとって大きな問題。丸山の成功事例を今後の参考にしたい 』
と話した。   
   との記事が出ていた。

 一日違いの偶然であった。