散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

汎太平洋の鐘 (小石川2丁目)

2010-06-20 07:11:34 | Weblog
      

              

 文京区小石川の源覚寺の境内にある「鐘」は、元禄3年(1690)粉河丹後守の鋳造によ

り源覚寺に奉納されました。昭和12年(1937)、サイパン島の南洋寺に転出し南洋群島

で響きわたりました。しかし昭和19年(1944)にサイパン島民玉砕して、その後は全く

消息不明になっていました。  

 ところが昭和40年(1965)米国テキサス州オデッサ市において発見されました。発見

者はミツエ・ヘスターさんです。昭和49年(1974)に、アメリカのカリフォルニア州オ

ークランド市在住のD.Ⅴフレヤー氏によって、サンフランシスコさくら祭りに展示され、

その後源覚寺に寄贈されたものです。数奇な運命をたどった「鐘」です。現在では年の暮れ

に除夜の鐘として皆さんの煩悩を消し去ってくれています。



またやろう (東京メトロ)

2010-06-19 07:21:32 | Weblog
       

 各地で梅雨入りが発表されましたね。東京メトロのマナーポスターでは「傘の置き忘れに

ご注意を」と呼び掛けています。ポスターは電車の中で本を読んでいて、目的の駅に着いた

ので、そのまま忘れて降りようとしたおじさんに、青年が「傘を忘れていますよ」と注意し

ている様子です。  

 最近はビニール傘が安価で買えるので、使い捨て(のような)感覚でいる人がいるとか。物

は大切しましょう。駅でも傘の忘れ物には困っているようですよ。

隅田川からの眺め

2010-06-18 07:02:12 | Weblog
       吾妻橋 10.6.15

 最近の業平橋・押上は、東京スカイツリーの見物で混雑していますので、隅田川の西側か

ら見物することにしました。しかし、吾妻橋では墨田区役所とアサヒビールの間から見えま

すし、駅の近くということから橋の上の人出はいっぱいです。  

             駒形橋から

       展望台建設中

 駒形橋からの眺めもなかなかなもので、350メートル位置には第一展望台の作業が進ん

でいます。どんな眺めが見えますか、楽しみですね。

塩地蔵尊・毘沙門天 (源覚寺境内)

2010-06-17 06:04:59 | Weblog
         塩地蔵尊

 閻魔堂の右手には、源覚寺開創の寛永元年(1624)以前からこの地にあったと伝えられ

人々の信仰を集めた塩地蔵尊があります。地蔵尊の身体に塩を盛ってお参りすることから、

塩地蔵と称します。その由来は、古来より塩は清めとして用いられることにより、参詣者の

身体の健康を祈願するものといわれます。  

             毘沙門天像

 また境内には、小石川七福神の一つである毘沙門天も鎮座しております。

源覚寺・こんにゃくえんま(小石川2丁目)

2010-06-16 06:57:39 | Weblog
      

                

 源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されています。右眼が黄色く濁っているそうで、

閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして「こんにゃく」を供え

続けたと伝えられます。このことから眼病治癒のこんにゃく閻魔として庶民の信仰を集めて

います。  

         戸の隙間から

               こんにゃくがいっぱい

 今日も、たくさんのこんにゃくが供えてありました。この閻魔像を拝見しようと、戸の隙

間から失礼しました。この像は鎌倉時代の作とされ、銘文によると寛文12年(1672)

に、仏師竹内淨正が修理しています。像は文京区指定有形文化財です。

沢蔵司稲荷 (小石川3丁目)

2010-06-15 05:54:40 | Weblog
      

                

 ある夜、沢蔵司(たくぞうず)という修行僧が「余は千代田城内の稲荷大明神である。か

ねて浄土宗の勉学をしたいと思っていたが、多年の希望を達した。元の神にかえるが、永く

伝通院を守護して思いに報いよう」と告げて、暁の雲にかくれたといいます。お告げを受け

た伝通院の住職廓山上人は、沢蔵司稲荷を境内に祭り・慈眼院を別当としました。  

 伝通院門前のそば屋に沢蔵司はよくそばを食べにいったそうで、沢蔵司が来た日の売上の

中に必ず木の葉が入っていたといいます。店の主人は稲荷大明神であったことを知って、そ

ばを供え続けたといいます。  

 沢蔵司 てんぷらそばが お気に入り という古川柳が残っています。

善 光 寺 坂 (文京区小石川)

2010-06-14 05:29:29 | Weblog
      

               

 伝通院から白山通りへと下り坂、寺の名を坂の名にしたものです。坂の下には昔ながらの

商店街、八百屋、魚屋、豆腐屋、肉屋さん等が軒を並べています。近所の奥方たちと店のお

っさんの親しみのあるやりとりなどが聞こえてきます。  

        

 その善光寺は慶長7年(1602)の創建と伝えられ、徳川将軍家の菩提寺伝通院の塔頭

で、縁受院と称しました。明治17年(1884)に善光寺と改称して、信州の善光寺の分

院になったということです。

サッカー ワールドカップ

2010-06-13 07:26:55 | Weblog
       

 始まりました。アフリカで初めての開催、開幕戦はホスト国南アフリカとメキシコで、結

果は引き分けで良かったですね。昨日は韓国が2ー0ギリシャで先ず一勝。世界中のファン

が熱烈に応援していますが、どこが優勝するか気になります。  

       

             

 日本も明日第一戦です。みなさんだんだん寝不足になるでしょうね。勝ってもらいたいで

すよ。上野駅のコンコースに応援グッズの店が出ていましたよ。三本足のカラスのマークの

ついたユニホームとキティちゃんの人形がいっぱいです。

山王日枝神社のお祭り

2010-06-12 06:44:33 | Weblog
     

 ミスター麹町から山王祭の写真がきました。にぎやかですね。太田道灌が江戸城築城に

あたり、川越の無量寿寺の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが日枝神社のはじまりと

伝えられます。徳川家康の江戸入りのとき、城内の紅葉山に遷座して江戸城の鎮守とした

そうですよ。  

       

 六月の大祭を「山王祭」と呼びますが、神田明神の大祭「神田祭」とは一年おき交互に

行われています。行列の馬上の神職は太田道灌でしょうかね。

二 天 門 (浅草寺側門)

2010-06-11 06:09:59 | Weblog
         

 浅草寺の東側にある側門ですが、長い間修繕中でしたがこれが終わり、通行人が通ることができる

ようになりました。この修理によって慶安二年(1649)建立当時の姿によみがえったそうです。これに

先立ち、修復されて五重の塔に奉安されていました「二天像」(増長天・持国天)も、この二天門にお

帰りになって「やっと落ち着いた」と喜んでいらっしゃるそうで。  

 この門の東側、馬道通りの台東産業館には観光バスが多く駐車しています。観光客のみなさんは、

ここから二天門を通ってお参りし、仲見世の方に歩きます。バスガイドさんたちも二天門の説明を複

習していることでしょう。