除夜の鐘(品川寺) 2010-12-31 07:39:01 | Weblog 今年も暮れます。除夜の鐘は108ある人間の煩悩を滅するといいます。品川寺(南品川)の大梵 鐘は洋行帰りの梵鐘として有名。慶応年間に何らかの理由で海外に持ち出され、数奇な運命を経てス イスのジュネーブにあるのが見つかり、昭和5年(1930)に返還されました。 地元では「あてにならない鐘が帰ってきた」ということで、鐘と金をかけて「かねかえる」と縁起 をかつぎ、多くの人々が除夜の鐘をつきに訪れるといいます。ここには「煩悩のかたまり」と言う人 はいないそうです。よいお年をお迎えください デス。
暮れの賑わい(仲見世) 2010-12-30 07:22:23 | Weblog なんと賑やかですね。「もうお正月の準備は出来ていますよ」とはアンパンマンくんです。今年は 口を開けば不景気だ デフレだと 愚痴のオンパレードでしたね。来年はうさぎどしです。なんとか 心理的にも上向きになって欲しいです。 ウサギとカメの駆けっこではありませんが、一日一歩 三日で三歩です。間違っても油断 昼寝な どないように 堅実な毎日を過ごしましょうデス。
大高源五の句碑(両国橋) 2010-12-29 07:20:12 | Weblog 両国橋 忠臣蔵四十七士の一人で、討ち入りの日を決定する重要な情報を入手したといわれる大高源五の句 碑です。源五は俳人でお茶もたしなむことから、吉良上野介義央の在宅の日の情報を、上野介のお茶 の師匠でもある山田宗偏から入手しました。 大高源五の俳句といわれる「日の恩や 忽ちくだく 厚氷」を刻んだこの石碑は昭和3年に立てら れました。両国橋の東詰にあります。
松坂稲荷大明神(両国) 2010-12-28 07:28:35 | Weblog 墨田区両国の吉良邸跡(本所松阪町公園)では、毎年12月14日に「義士祭」が行われますが、 第3土、日曜日には「吉良祭」も催され、主君のために亡くなった吉良家の家臣の冥福を祈っている のです。 この公園内に鎮座する「松阪稲荷」は、徳川時代に御竹蔵が置かれた当時、その水門内に鎮座され た「兼春稲荷」と、古くからこの土地に祀られていた「上野稲野」の二社を合祀してこの地に遷座さ れたものです。傍には吉良上野介追慕の供養塔があります。
吉良上野介義央公坐像(両国) 2010-12-27 07:14:05 | Weblog 見学グループが大勢 墨田区両国3丁目の吉良邸跡(本所松坂町公園)に吉良上野介義央公の復元像が設けられました。 両国3丁目町会や吉良氏の所領があった吉良町の人々の協力ということです。吉良町に伝わる本人 坐像がモデルになったということです。よかったですね。 10人位のグループが案内人の説明を受けていましたが、この日は両国界隈で何組ものグループに 会いましたよ。昭和7年に建てられた本所松坂町の石碑も、「時代だねえ」とつぶやいているような 気がしました。
道引長太郎地蔵尊(浅草3丁目) 2010-12-26 07:41:30 | Weblog 道引とは引導に通じ、地蔵尊を信仰すれば機縁にめぐまれるといいます。長太郎地蔵尊は元禄時代 から存在し、「馬場尻地蔵」と呼ばれたことから、馬場の世話係男衆の死亡を弔うために立てられた のではと言われます。 一説には五代綱吉将軍が「生類憐令」を出した矢先に、忠運僧正の命令で長太郎が狂犬を集めて隅 田川に流したあと自殺したと思い、忠運僧正もあとを追って自殺してしまった。それを弔うためにこ の地蔵尊を立てたとも伝えられます。
吉展地蔵尊(小塚原回向院) 2010-12-25 07:19:37 | Weblog 回向院 1963年におきた吉展ちゃん(よしのぶ・当時四歳)誘拐殺人事件で犠牲になった村越吉展ちゃ んが弔われた小塚原回向院で、供養のために建立された「吉展地蔵尊」です。 小塚原回向院は寛文七年(1667)、本所回向院の住職弟誉義観が行路病死者や刑死者の供養の ために開いたお寺で、当時は常行堂と称していました。安政の大獄で刑死した橋本佐内・吉田松陰ら 多くの志士たちが葬られています。
はきだおれ市(花川戸) 2010-12-24 07:02:16 | Weblog 靴・履物の町、浅草花川戸の問屋さんが年に一度の在庫一掃のバーゲンセールが賑やかでした。 靴・バッグ・下駄・草履・靴下などなど、とにかく賑やかでした。お客さんは老若女女のようで、 ご婦人の参加が断然多かったです。靴下6足で1000円、それになんでも500円コーナーに至っ ては、品物の前まで進めないほどの人気でした。
クリスマスツリー(銀座・赤坂) 2010-12-23 07:15:03 | Weblog 赤坂 サンタさんが忙しくなりましたね。ミスター五鉄からクリスマスツリーが送られてきました。これ は「赤坂」です。千代田区永田町2丁目にそそり立つプレデンシャルタワー前、高さは6メートルで 見るとホワイト系のつりーです。夜間はどうでしょうかね。 銀座 「銀座」は、4丁目のミキモトの前。今年で33回目になるそうです。「命の輝きを宿す森」とい われる群馬県嬬恋村から樹齢40年のモミの木ですよ。毎正時に時を知らせてくれます。
白鬚橋畔・対鴎荘(橋場) 2010-12-22 07:45:36 | Weblog 白鬚橋 白鬚橋の畔に「明治天皇行幸の碑」が建っています。昔、この辺りは風光明眉な地であり、著名人 の屋敷が多数ありました。対鴎荘もその一つで明治の政治家三条実美の別邸でした。 「征韓論」をめぐって政府内で対立があり、太政大臣であった実美は心労のあまり病に倒れ、この 別邸で静養していました。明治天皇は病床の実美を気遣ってこの屋敷を訪れました。この碑は事跡を 顕彰して、後の対鴎荘の所有者となった一市民の尽力により建立されたものです。