散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

子供合埋碑・成覚寺(新宿2丁目)

2007-07-31 07:48:30 | Weblog
 

 

 江戸時代の内藤新宿にいた飯盛女達(子供と呼ばれていた)を弔うため、万延元年

(1860)11月に、旅籠屋中で造立したもので、惣墓と呼ばれた共葬墓地の一角

に建てられた墓じるしです。

 飯盛女の抱えは実質上の人身売買であり、抱えられる時の契約は年季奉公で、年

季中に死ぬと哀れにも投げ込むようにして、惣墓に葬られたと言います。

 もともと墓地の最奥にありましたが、昭和31年の土地区画整理に際し、現在地

に移設されました。宿場町として栄えた新宿を陰で支えた女性達の存在と、内藤新

宿の歴史の一端を物語る貴重な歴史資料となっています。(新宿区指定有形化財、

新宿区教育委員会)

大銀杏です(文京区根津神社)

2007-07-30 07:55:12 | Weblog
 

 

 最近は「や・ね・せん」が流行っています。これは谷中、根津、千駄木のことで

す。東京の下町の風情を残すこの地域を訪れる人々が多いのです。表通りは再開発

の波がありますが、裏通りは昔の家や路地が残っていて、その風情が人々の郷愁を

さそうのでしょう。

 この大銀杏は、根津神社の境内にあって、文京区の保護樹木に指定されています

が、樹齢何年でしょうかね。とにかく大きいです。建物や車と比較してもその大き

さが判りますね。何年も何十年も根津・千駄木の町を見守ってきました。四季折々

の色彩を見せながら今も見守っています。

コリトル・整体(神田須田町)

2007-07-29 07:44:43 | Weblog
 

 神田須田町で見つけました。「整体」に「コリトル」とフリガナがふってありま

した。ん?と一瞬考えましたが、なーるほど、肩などの凝りをとる ですね。これ

は整体と書いてありますが、マッサージでしょうかね。体を整えるでしようから、

それ以上もそれ以下もないでしよう。

 上に価格が書いてあります。60分4800円、45分3500円、30分では

2500円です。高いか、安いか、納得か

 

ラッパ節・しののめ節(浅草弁天山)

2007-07-28 07:50:09 | Weblog
 

 

 添田唖蝉坊、添田知道(そえだあぜんぼう、そえだともみち)の筆塚です。唖蝉坊

はラッパ節、しののめ節により、社会を痛烈に批判吟遊しました。演歌師唖蝉坊の

しののめ節、「つきいだす鐘は上野か浅草か、往き来し絶えて 月にふけゆく吾妻

橋、誰を待つやら恨むやら、身おば欄干に投げ島田、チョイトネ」が刻まれていま

す。 

 本名は平吉で神奈川県大磯生まれ、昭和19年2月、73歳で死去。明治20年

代に壮士節の世界に入り、演歌の作詞、作曲、演奏などで活躍しました。

 添田知道氏は唖蝉坊の長男で東京出身、77歳で死去。父と共に演歌の作詞、作

曲を経た後作家活動に入り、長編の「教育者」などがあります。(浅草の会)

 年配の方にとっては懐かしいラッパ節。「今鳴る時計は八時半 あれに遅れりゃ

重営倉 今度の休みがないじゃなし 放せ軍刀に錆びがつく トコトットット」と

いった調子です。自由気ままな若い人、分かるかな。

時の鐘 (浅草寺弁天山)

2007-07-27 08:07:59 | Weblog
 

 

 江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を果たしていたのが「時の鐘」です。当初

は、江戸城内にありましたが、江戸市街地の拡大にともない日本橋本石町にも設置

され、さらには浅草寺と寛永寺(上野山内)など、九箇所でも時を知らせました。

 鐘の大きさは高さ2メートル強、直径1メートル半です。鐘銘によれば元禄5年

(1692)8月、五代将軍徳川綱吉の命により、深川住の藤原正次が改鋳し、そ

の費用として下総(現・千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金二百両を寄進しま

した。

 この鐘は、時の鐘として、あるいは浅草寺の梵鐘として、さまざまな文学作品に

も登場していますが、中でも松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」はあま

りにも著名です。

 昭和20年3月の東京大空襲で火を浴びましたが無事に残り、今なお昔のままの

姿を見せています。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和25年5月再建されたも

のです。(台東区教育委員会)

古代ハスの花(西新井大師弁天池)

2007-07-26 07:59:28 | Weblog
 

 

 綺麗に咲きましたね。これ「古代ハスの花」なんだそうです。古代ハスと言えば

埼玉県行田市、熊谷市、それと大賀一郎博士が鑑定した約2000年前のハス(俗

に大賀ハス)の咲いている千葉公園などが知られています。 

 行田のハスは、昭和46年に土中から掘り起こされたハスの種が自然発芽して、

美しい花を咲かせたとあります。西新井大師弁天池の古代ハスは、行田か千葉かは

知りませんが、綺麗な花びらのハスですね。弁天池には涼しげな滝が落ち、色とり

どりの鯉が泳いでいます。

風鈴まつり(足立区西新井大師)

2007-07-25 07:48:17 | Weblog
 

 

 今年も西新井大師の「風鈴まつり」が始まりましたので、早速見物に行ってきま

した。全国30都道府県300種類、約5000個の風鈴が日本の涼しさを奏でて

いました。   

 

 南部風鈴、江戸風鈴、石川県の九谷焼風鈴などが音色を競っていました。リンリ

リーンといい音色でした。しかし最近は、集合住宅などでは必ずしも歓迎されない

向きもあるようです。この音色が「騒音」と聞こえる人があるとかで、どうも悲し

くなってきますね。涼しい音色ですがね。

芭蕉の句碑(真性寺境内)

2007-07-24 07:50:31 | Weblog
 

 

 真性寺の表門を入ると、左手に芭蕉の句碑があります。

 「志ら露も 古保連ぬ萩の う禰里哉」これは、白露もこぼれぬ萩のうねりかな

というものです。

 この句碑は、寛政5年(1793)の芭蕉の百年忌に、彩茶庵梅人(さいとあん

ばいじん)とその社中によって建てられたものといわれます。芭蕉十哲の一人、杉

山杉風の「萩植えて ひとり見習う 山路かな」の句も裏面に刻まれています。

 

 

銅造地蔵菩薩座像・真性寺(巣鴨3丁目)

2007-07-23 07:52:27 | Weblog
 

  子安地蔵です

 巣鴨地蔵通りへの入り口左側にあります。江戸六地蔵の四番目として正徳4年

(1714)ころ建立したものです。高さ2.68メートルあり、製作者は神田錦

町の鋳物師太田駿河守正儀です。  

 深川霊巌寺、東浅草東禅寺などの六地蔵と同じ人が製作しています。東海道、奥

州街道、甲州街道、常磐道に続いてここ中山道に鎮座したものです。大正12年の

関東大震災(1923)により破損しましたが、修理されています。東京都指定有

形文化財となっています。(東京都教育委員会)この地蔵菩薩座像の隣には、子安

地蔵も鎮座しています。

  街道を眺めています

とげぬき地蔵(巣鴨3丁目)

2007-07-22 07:44:30 | Weblog
 

 

 とげぬき地蔵尊の名で知られるお寺さん、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいま

す。慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ、その後には下谷屏風坂に移りまし

たが、明治24年(1891)巣鴨に移転したものです。

 ご本尊は延命地蔵菩薩ですが、秘仏ですので拝見できません。しかし、その姿を

元に作られた御影に祈願して効果があるとされています。高岩寺の本堂で授与され

ています。  

 何故か門前で頭を撫でられている若者がいました。お坊さまはこのお寺の方なの

でしょうか。まさか門前を借りて ではないでしょうね。