散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

除夜の鐘(浅草寺)

2011-12-31 06:47:46 | Weblog
      

 鐘銘によれば、元禄5年(1692)8月、五代将軍徳川綱吉の命により、深川在住の藤原

正次が改鋳し、その費用として下総関宿藩主牧野備前守成貞が黄金二百両を寄進した。この鐘

は時の鐘として、あるいは浅草寺の梵鐘として、さまざまな文学作品にも登場していますが、

中でも松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」が有名です。昭和20年3月の東京大空

襲で火を浴びたが無事に残り、今なお昔のままの姿です。  

 除夜の鐘、大晦日の夜半から元旦にかけ寺院で梵鐘を打ち、鐘の音と共に108の煩悩を払

って新年を迎える行事です。108の煩悩の数だけご~んご~んと鳴りますが108とはどう

いう計算ですかね。四苦八苦、4×9+8×9=108だそうです。なーるほど計算は合って

いるようですね。ホントですかね。

 

暮れの賑わい(浅草寺)

2011-12-30 06:50:29 | Weblog
    

 仲見世は今日も賑やかですね。あと2日で新年ですが、今年は3月の大震災と津波で大被害

が出ました。さらに原子力発電所の事故で、大勢の人々が避難をしなければならなくなり、全

国に影響が出ました。秋には台風による水害で被害を受けるなど、我が国にとって大変な年で

した。今も傷跡は生々しく残っています。

         

 名物のお煎餅屋さんの前で品定めしていますね。お土産にするのかな。さて、新しい年が明

けますが、干支は辰ですね。辰は龍に通じます。みんなで力を結集して、復興の年にしたいで

すね。


年越しそば

2011-12-29 07:18:01 | Weblog
    

         

 一年の締めくくりに食べる年越しそば。「人生はそばのように細く長く生きるため」という

説を聞きます。また、そばは切れやすいことから、一年の苦労を切り捨てようとして食べると

いう説もあるそうです。  

 関西では、運を呼ぶ「うんどん(うどん)を食べて太く長く」と願うそうです。年を越して

から食べるのは縁起が悪いと言われるので、除夜の鐘が鳴るまでに食べ終わるように、あわて

てたぐったとたいう話があります。

表参道・六本木・日比谷

2011-12-28 06:36:59 | Weblog
    

         

      

 ミスター麹町が表参道を通りかかり、綺麗な街路樹に魅せられたようです。六本木ヒルズを

見ながら南下して東京タワーの赤色の灯りを発見。ラストは日比谷ですね。これは見事なイル

ミネーションですね。  

     日比谷

 3月11日から9カ月が過ぎて、新年を迎えようとするとき、こんなにきらびやか電気の輝

き見ることが出来るとは。あの節電、計画停電の我慢は何処へいったのでしょうか。来年は辰

年、辰は龍に通じ、年賀状には昇り龍が踊ります。  

荒川ふるさと文化館(南千住)

2011-12-27 07:19:50 | Weblog
    

          

 この地はむかし瑞光小学校が開校した場所です。明治19年(1886)千住南組の有志が

公立瑞光小学校の設置願いを東京府知事に提出し、寄付金を募集して建設資金にあて、翌20

年(1887)12月に開校しました。  

 南千住地域では最初の公立小学校で、五つの教場を構え、当時としては豪華な校舎であった

といいます。大正時代初期、南千住1丁目に移転しましたが、跡地は幾つもの学舎を経て、平

成10年5月に荒川ふるさと文化館が開館しました。建物の前には、浦山一雄氏作の「夢現」

と題するブロンズ像が立っています。高さ2.58メートルで、少女がスカートを手で束ねて

いるのが印象的ですね。

生命の言葉(東京都神社庁)

2011-12-26 06:32:15 | Weblog
     

 「世のなかの よきもあしきも ことごとに 神のこころの しわざにぞある 本居宣長

(玉鉾百首)」。東京都神社庁十二月 生命の言葉です。  

 解説は、世の中の良いことも、悪いことも、全て神さまの心がなさることなのである とあ

ります。玉鉾百首は、本居宣長が古道精神を詠んだ100首ということで、古代の日本人の世

界観とか価値観を知る上で一読の価値ありとされています。

イルミネーション2題

2011-12-25 07:18:25 | Weblog
   上智大学
         

 
 クリスマスですね。イルミネーションが華やかですが、ミスター麹町からは地元上智大学の

イグナチオ教会の様子が来ました。教会があるとオルガンに合わせて讃美歌が聞こえてくるよ

うな感じですけれど、そんなイメージが湧いてきましたか。  

      

 次はミスター五鉄からの「東京ミッドタウン」のイルミネーションです。パックに赤い色の

東京タワーが見えますね。ミッドタウンタワーから東南方面を見た写真らしいですね。

ミッドタウンは六本木で2007年に完成したというホテルや文化施設、商業店舗、オフィ

ス、住居、病院、公園などを集約した複合施設で知られています。江戸時代は萩藩・毛利家の

下屋敷、明治になって陸軍駐屯地、戦後米軍の将校宿舎、返還されて防衛庁、これが市ヶ谷に

移転して再開発でこうなりました。2年前に、甥が出張で上京して「先ず六本木へ見物に行っ

た」と言いますから、知らぬは私だけデス。

浜町緑道の弁慶

2011-12-24 06:45:58 | Weblog
    

         

 この界隈には人形づくりの職人が集まっていたことから、人形町の名がついたと言います。

 地下鉄人形町駅から東への通り、「下町の散歩道 甘酒横丁」の幟があって浜町緑道と交差

します。そこに、門番のように勧進帳の弁慶が立っていますよ。何回も会っている弁慶さんで

すが、ちょっと人相が変わったような気がするけれど、気のせいですかね。  

    

 江戸時代、この辺りには芝居小屋が集まって、歌舞伎や人形浄瑠璃を上演していたそうで、

近くには花街も賑わいをみせていたといいます。弁慶が似合う町です。

笠間稲荷神社東京別社(浜町)

2011-12-23 06:34:34 | Weblog
    

          

 日本橋の久松警察署の向いに赤い幟がはためいています。これは、日本三大稲荷のひとつ茨

城県笠間稲荷神社の東京別社です。その昔、牧野家の下屋敷には邸内社として稲荷社がありま

したが、延亨4年(1747)に笠間に転封になったことから、笠間稲荷を崇敬するようにな

り、安政6年(1859)に笠間藩主牧野貞近公が、本社より御分霊を奉斎して建立されたも

のです。以来人々に崇敬され、紋三郎稲荷として親しまれています。

姥ケ池之跡(花川戸公園)

2011-12-22 06:46:07 | Weblog
      

 花川戸公園には台東区教育委員会の姥ケ池説明板がありますので紹介します。

 姥ケ池は、昔、隅田川に通じていた大池で、明治24年埋立てられた。浅草寺の子院妙音院

所蔵の石枕にまつわる伝説に次のようなものがある。昔、浅茅ケ原の一軒家で、娘が連れ込む

旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井から吊る

した大石の下敷きになって死ぬ。それを悲しんで悪業を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てた

ので、里人はこれを姥ケ池と呼んだ。というお話です。

    

 恐ろしい話ですね。今は東の空にスカイツリーがみえています。