散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

懐かしい洋画ポスター

2010-01-31 07:33:58 | Weblog
       ジュリエッタマシーナ

           

 西浅草カッパ橋のテプコ浅草館で、昔の洋画ポスターを見ました。なんとも懐かしいです

ね。ジュリエッタマシーナのカリビアの夜ですね。しかしこの人は「道」で有名になりまし

たね。可憐な女性を演じていました。  

 次は夏の嵐のアリダヴァリです。この人は何と言っても「第三の男」ですよ。あのラスト

シーンを思い出します。完成された女性のように感じましたが、当時24歳と聞き驚いたこと

を思い出します。こっちが若かったからでしょうね。 

 アパッチはバートランカスターとジーンピータースですね。活劇をやらしたら一流中の一

流のランカスターですが、やっぱり「地上より永遠に」の中隊先任軍曹の風格がなんとも言

えません。ジーンピータースはニューヨークの地下鉄のスリも上手にやっていたことを思い

出します。懐かしくてしばらく見とれていました。

家でやろう (東京メトロ)

2010-01-30 07:16:05 | Weblog
       

 東京メトロのマナーポスターです。電車の乗降口に大きな荷物を置いて、その上に腰掛け

てゲームをしています。乗り降りする人々におかまいなしの様相ですね。  

 「こんなところでゲームをするなよ」「荷物をどけろよ」などと、皆さん白い目でにらん

でいますよ。それでも平気なのです。このポスターには「ドア付近ではお客様の乗降にご配

慮ください」とやさしく諭していますがね。困ったものです。

 

奥の細道 矢立初めの碑 (千住大橋)

2010-01-29 07:58:21 | Weblog
      


               
 
 千住大橋の北側にある小公園です。松尾芭蕉の旅立ちの「史跡」があります。

 千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別

の泪をそそぐ 行春や 鳥啼魚の 目に泪 これを矢立の初として、行道なをすすまず。

 人々は途中に立ちならびて、後ろかげのみゆる迄はと見送なるべし。 

 以上は史跡として状況を書き記したものです。前途三千里ですからね。千住大橋の近くに

は芭蕉のはなしが各所に記されています。

橋戸稲荷神社 鏝絵

2010-01-28 07:30:45 | Weblog
       

     

 千住大橋の北側に「奥の細道旅立ち」の公園がありますが、これを西に入ると橋戸稲荷神

社があります。昔、この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳二年(1490)に創

建したといいます。  

 文禄三年(1594)千住大橋がかけられて人馬の往来が多くなり、宿場を通る人々や河川の

荷揚組などの信仰を集め今日に至っています。この稲荷には、鏝絵(こてえ)の名工といわ

れた伊豆長八作の「白狐」が有名です。社の前のお狐さまも勢いよく跳ねて、働く人々を励

ましています。

生命の言葉 (東京都神社庁一月)

2010-01-27 07:27:33 | Weblog
       

 みな人の祈るこころもことわりに 背かぬ道を神や受くらむ 藤原為守・玉葉集。

 どんなことでも 道理に背いた祈りを神はお受けにならない 願い事をする心にやましい

ところがないか 冷静に考えてみるべきである 一見無理な出来がたいお願いごとであるよ

うに見えても それが叶えられるのは 祈る人の真心が神の心に通じたればこそである と

解いています。あちらこちら初詣に行きました。反省してみました。

放浪の画家 長谷川利行の碑

2010-01-26 07:15:20 | Weblog
        

 不忍池弁天島に日本のゴッホといわれる長谷川利行の碑があります。昭和44年に洋画家の

熊谷守一氏揮毫で建立されたものです。  

 長谷川利行は明治24年京都生まれ、昭和2年二科展に「酒売場」「麦酒室」「鉄管のある

工場」で入選し、以来数々の入選を果たしました。  

 その後、浅草今戸、千住、三河島界隈を放浪し、昭和15年に三河島救世軍宿泊所に住んで

いましたが、5月15日に三河島駅前付近の路上で倒れ、行路病者として東京市立養育院に収

容され、10月12日に胃癌で死去とあります。なんともすさまじい。

 人知れず朽ち果つべき身一つのいまがいとほし 涙拭わず 己が身の影もとどめず水すま

し 河の流れを光りてすべる  利行短歌が刻まれています。

弁 天 堂 (上野不忍池)

2010-01-25 07:17:22 | Weblog
       弁天堂

                

 寛永二年(1625)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建しま

した。不忍池は琵琶湖に見立てられ、池中に中之島(弁天島)を築き、さらに竹生島の宝巌寺

の大弁財天を勧請し、弁天堂を建立しました。  

         

 弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる大弁才天、脇士は毘沙門天、大黒天となってい

ます。大祭は九月の巳の日で巳成金(みなるかね)といいます。弁天さまと言えば、男女がそ

ろってお参りすると「やきもち」を焼くから宜しくない・・といわれますが、最近ではおか

まいなしで仲良く二人連れで参詣する人を多く見かけました。

良縁招き猫の縁結び (今戸神社)

2010-01-24 07:54:07 | Weblog
      

                いっぱいの絵馬

 お江戸は浅草今戸で生まれ 愛され続ける招き猫。  

 今戸神社の招き猫はオス・メスがペアになっているのが特徴で、「良縁招き猫」というわ

けです。恋愛はもちろん、人との良縁を招きよせると言われています。  

         

 人気の絵馬には「今年こそ・・・人にめぐり会いますように」「今年こそ幸せな結婚がで

きますように」とか、やまのようにお願いしていますね。名前を見るとほとんどが女性で、

社務所の前には絵馬を買い求める女性軍がいっぱいでした。

今戸神社 招き猫 (今戸1丁目)

2010-01-23 07:21:22 | Weblog
      

 康平六年(1063)源頼義、義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を勧進して祈願し

たのが始まりと伝えられています。  

                  大きな招き猫

 ここは「招き猫発祥の地」としても知られています。江戸末期、界隈に住んでいた老婆が

貧しさ故に愛猫を手放しました。すると夢枕にその猫が現れて「自分の姿を人形にしたら福

徳を授かる」と言ったので、その猫の姿を今戸焼にして売ったところ、たちまち評判になっ

たと言います。今では多くの招き猫が奉られています。拝殿には、浅草七福神の「福録寿」

と並んで参拝者に福徳を授けています。

待乳山聖天 (浅草7丁目)

2010-01-22 07:44:35 | Weblog
      

                

 金龍山浅草寺の支院で正しくは「待乳山本龍院」といいます。創建は推古天皇九年といい

ます。この年の夏、旱魃で人々が苦しんでいたとき、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身して

この地に姿を現し、人々を救ったため「聖天さま」として祀ったと伝えられます。

 境内各所には大根、巾着の意匠があり、これは本竜院のご利益を示すとされ、大根は健康

で一家和合、巾着は商売繁盛を表すといいます。  

          1.20

 待乳山の上からスカイツリーが見えました。随分高くなりました。