散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

数 寄 屋 橋

2008-11-30 07:29:15 | Weblog
   

 今年の4月、数寄屋橋交番そばで「はぐれっ子像」の除幕式が行われました。

 これは、新しくなった銀座の地図を覗き込んでいるポーズです。年々かわる銀座

の現在を地図に反映するために、地元ロータリークラブが25年振りに手直しした

ものです。  

        

 向かい側はソニービルです。そのビルの壁面をキャンバスがわりに利用したもの

です。若手アーティストの発掘・支援を目的に、ソニーが始めた事業だそうで、な

かなか目立ちますね。

有 楽 町

2008-11-29 07:45:54 | Weblog
    大当たり

 年末の風物詩「ジャンボ宝くじ」が11月25日に発売開始、西銀座の名物売り

場には長蛇の列ができました。例年のことではありますが、一店集中という不思議

な現象です。50メートル先の売り場は閑古鳥でした。  

           

 「遊楽町で逢いましょう」の歌碑ができたと聞き足をのばしました。マリオンの

前に50年前のヒット曲が刻まれていました。フランク永井ファンといたしまして

は「夜霧の第二国道」「西銀座駅前」なども同時に思い出し、本当に懐かしく思い

出しました。

東京大学 赤門

2008-11-28 07:43:13 | Weblog
   

       内側です

 正式には「旧加賀屋敷御守殿門」といいます。江戸時代、大名家に将軍家からそ

の姫君が嫁いだとき、大名家の門は朱塗りの門いわゆる赤門としました。ここは、

加賀前田家の上屋敷でした。徳川11代将軍家斉の姫が、前田家13代藩主前田

斉泰に嫁入りして赤門となったわけです。  

 1877年(明治10年)東京大学に移管されました。1961年(昭和36

年)に解体修理が行われ、現在は国の重要文化財になっています。表と内側からの

写真を添えました。20人くらいの中高年の方々がこの門とその付近を写生してい

ました。出来上がりを見たかったですね。



 

総合図書館 (東京大学)

2008-11-27 07:27:49 | Weblog
   総合図書館

           

 東大構内を歩くと、明治以降の歳月を重ねた建造物がいっぱい。日本初の近代的

大学で、重要文化財に登録されるなどカンロク充分です。古風なアーケードのある

建物が目につきます。  

 震災・戦災で被災しなかったものも多くありますが、この総合図書館は関東大震

災でレンガ造りの建物が焼失しました。震災後にロックフェラー財団の寄付によっ

て1928年に建設されたものです。80年が経過しています。

 

「濱尾新先生像」 (東京大学)

2008-11-26 07:44:54 | Weblog
   

         正門です

 安田講堂の南側にどっかと座っている。二人の若い女性が「誰この人?」と、近

づきましたが象形文字で書かれていて、黒ずんでいるのでよく読めない。首をかし

げながら坂を東へ下って行きました。  

 濱尾先生は帝大総長を第三代(1893~1897)と第八代(1905~19

12)の二度努めています。東大のシンボルとされる正門の意匠、銀杏並木、大講

堂の位置などを発案しており、土木総長などと呼ばれていたようです。

 像の前にオジサンが二人、これは写生をしているようでした。濱尾先生の正面に

は安田講堂がありますが、これを描いているようです。

安田講堂 銀杏並木 (東京大学)

2008-11-25 07:37:00 | Weblog
   

        

 正式には「東京大学大講堂」。俗に安田講堂の前でお嬢さんが4人、きゃっきゃ

と賑やかにケイタイカメラをかざしています。あの東大紛争など知らないでしょう

ね。昭和43年(1968)40年前のはなしですから。 

 大正14年に、安田財閥の安田善次郎氏の匿名の寄付で建設されましたが、後に

安田氏を偲んで「安田講堂」と呼ばれるようになりました。それより前の明治40

年頃、当時の帝国大学の濱尾新総長が「正門を入ると誰もが襟を正す厳粛な雰囲気

が必要である」として、銀杏の木を植樹しました。今では安田講堂と共に東大のシ

ンボルになっています。金色に色づくにはもう少しですね。

 

店でやろう (東京メトロ)

2008-11-24 07:30:38 | Weblog
      

 東京メトロのマナーポスターです。年末が近づき忘年会のシーズンです。「車内

での騒ぎすぎにご注意ください」と書いてありますが、「車内で騒がないでくださ

い」でしょうね。お酒が入るとつい声が大きくなります。 

 コップに飲み物、さらにはメガホンのようなものを持っていますが、なにかスポ

ーツの応援に行った帰りのような。困ったものです。

浅草江戸奥山風景

2008-11-23 07:30:46 | Weblog
  大木戸

       縁起物

 2カ月に及ぶロングランの催事でしたが、いよいよ幕が降ります。なにしろ賑や

かです。大木戸から入るとお店が並んでいます。  

     銀器

 江戸千代紙、銀器、提灯、硝子、皮革、江戸凧、草木染めなどなどがずらりと並

んで客の興味をそそります。小判は予想以上に好評らしく、売り切れ寸前で、両替

は一人一枚に制限していました。25日でお仕舞いです。

浅草奥山風景(浅草寺西側一帯)

2008-11-22 07:38:50 | Weblog
  火の見櫓

          矢場です

 浅草寺本堂落慶50周年記念の浅草大観光祭も25日までとなりました。世界中

からの観光客もいっぱいで賑わっています。  

    番屋

 火の見櫓と梯子に半鐘、街の一角には番屋もあります。遊園地の「はなやしき」

が出店している「矢場」も、アタリーッとの掛け声勇ましくやっていますね。こち

らは高校生が面白がって頑張っていましたよ。 

 あと三日、次は羽子板市ですね。

弁 天 堂 (上野不忍池)

2008-11-21 07:49:56 | Weblog
  緑の屋根の弁天堂

          

 あまり仲良くすると、弁天さまが「やきもち」を焼くと言われたことありません

か。この弁天さまは、天海僧正が寛永2年(1625)に寛永寺を創建し、不忍池

を琵琶湖に見立て、池中に中之島を築いて竹生島の宝巌寺の弁財天を勧請して弁天

堂を建立したものです。  

 400年が経過していますが、姿はあまり変わらないのではと思われます。秋も

深まり、南天の赤が映えています。ナンテンは「難を転ずる」として縁起の良い木

といわれています。また、漢方では咳の薬です。