散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

新幡随院法受寺と牡丹燈籠

2009-11-30 07:56:26 | Weblog
      

               

 足立区東伊興の新幡随院法受寺の門前には「牡丹燈籠」と彫った石柱が、また庭

には大きな石碑があります。三遊亭円朝作の「牡丹燈籠」ゆかりのお寺として記念

碑を建てたものです。  

 物語は、夜な夜なイケメン浪人の萩原新三郎のもとをカランコロン カランコロ

ンと下駄の音をさせて訪れるのがお露とお米の幽霊二人。持った燈籠の絵が牡丹で

葬られているのが新幡随院法受寺という設定です。  

 谷中にあったこのお寺は関東大震災で被災し、足立区東伊興に移転してきたと伝

えられています。はなしは幽霊封じのお札へとすすみますが、長くなります。おあ

とがよろしいようで。

白鵬 年間85勝で優勝

2009-11-29 07:34:23 | Weblog
      
       東京新聞

 大相撲九州場所は14日目で白鵬が12度目の優勝を決めた。新聞では琴光喜を

左上手投げで仕留めた写真が踊っています。  

 尊敬する双葉山と同じ優勝回数を狙って、全勝で飾ったのだから文句なしと言っ

てもよいでしょう。ま、年2場所の時代、しかも一場所11日制度の時代に69連

勝した双葉山ですから、目標にするには差がありすぎますがね。遠い高い目標を掲

げて精進してほしいですね。今日86勝目を狙ってほしいです。

花畑記念公園 (足立区花畑)

2009-11-28 07:21:55 | Weblog
      

                

 足立区の最北部に当たるこの辺りは 昔、水と緑豊かな農村風景がひらけ、武蔵

国足立郡花又村と呼ばれていました。

        

 その後、東京府南足立郡となり、昭和7年東京市に編入され足立区が誕生しまし

た。昭和57年、足立区は区制50周年を記念し、この日本庭園を造りました。区

民の憩いの場となっていて、多くの来園者を楽しませています。


クリスマスツリー (銀座ミキモト)

2009-11-27 07:18:33 | Weblog
       

 これは華やかなツリーですね。ミスター五鉄から送信してきました。なんとも気

が早いようですが、最近はこの時期で普通ですかね。銀座ミキモト、ひょっとした

ら「真珠がいっぱい」飾ってあるかもよ。  

 ツリーには、常緑樹のモミの木が使われますね。クリスマスツリーを飾る風習が

最初に記録されたのは1419年、ドイツのパン職人の信心会が聖霊救貧院にツリ

ーを飾ったと伝えられます。  

 ジングルベル、サンタクロース、クリスマスケーキと思い出いっぱい。その昔は

トリスバーのパーティ券を握り締めてハシゴしたのが懐かしい。

生命の言葉

2009-11-26 07:22:40 | Weblog
       

 「親を思う 心にまさる親心 今日の音ずれ なんと聞くらむ」。東京都神社庁

の11月の生命の言葉です。  

 吉田松陰の詩ですが、親はどのような気持ちで子どものことを思っているのか。

 親というものは、子どもが親を思う以上に、子どものことが気にかかるものであ

る。 と解説しています。子を持って知る親の恩ですね。

正岡子規句碑 (下谷神社境内)

2009-11-25 07:20:07 | Weblog
       子規句碑

                下谷稲荷社

 下谷神社の境内には「寄席はねて 上野の鐘の夜長哉」の子規句碑があります。

 秋の夜に面白い噺でも聞きましたかね。寄席発祥之地の碑もあって、この句はぴ

ったりですね。  

 下谷稲荷社は下谷神社に多数あった末社を、本社の造営の際に一つの社に合祀し

たと伝えられます。幟も一緒に拍手しているような。

下谷神社 (東上野3丁目)

2009-11-24 07:43:09 | Weblog
       一の鳥居

                  二の鳥居

 上野駅から浅草通りを東へ行くと、右側に大きな赤い鳥居があります。これが下

谷神社で、大年神と日本武尊を祭っています。  

古くは下谷稲荷社とよばれていました。地下鉄稲荷町駅にも名が残る旧町名は、こ

の神社があったからついた町名です。  

          寄席発祥之地碑

 境内には「寄席発祥之地」の石碑があります。これは1798年に、この地で

初代三笑亭可楽によって始めて寄席が開かれた記念碑です。

講道館柔道発祥之地 (東上野)

2009-11-23 07:53:15 | Weblog
      

                 

 東上野5丁目の地下鉄稲荷町駅隣に永昌寺があります。その庭の丸みを帯びた自

然石に「講道館柔道発祥之地」と刻まれています。  

 明治14年、嘉納治五郎は東京大学を卒業して学習院に奉職しました。翌15年

から永昌寺に居住して、書院を道場として学生に柔道を中心とする訓育を始めま

す。これが講道館柔道の発祥といわれます。このとき嘉納治五郎は23歳、道場の

広さは12畳、最初の入門者は9名と言われます。  

 子どもの頃に読んだ富田常雄作「姿三四郎」を思い出しました。講道館四天王の

活躍にわくわくしたものです。

両横綱が勝ちっ放し(九州場所)

2009-11-22 07:47:22 | Weblog
       NHKテレビ

 九州場所も7日目が終わり、朝青龍、白鵬の両横綱と平幕の嘉風が全勝で今日の

中日を迎える。それにしても大関陣のなさけないこと。  

 琴欧州が1敗でなんとか体裁を保っているが、後半はどうかな。今場所は把瑠都

と鶴竜に期待したが、なかなか星があがらない。把瑠都が白鵬と組んだので一瞬期

待したが内掛けで仰向けにばったり、あ~ぁである。曲者安美錦と気合のロボコッ

プこと高見盛の相撲が面白そうデス。

京橋大根河岸青物市場跡

2009-11-21 07:29:22 | Weblog
       

 京橋川河岸は江戸時代から大根を中心とした野菜の荷揚げ市場で、江戸八百八町

の住民たちに新鮮な野菜を供給していました。別名「大根河岸」と呼ばれ、明治、

大正と続き、大正12年の大震災前まで続いていました。  

 震災後、区画整理や都市再編成で大根市場は野菜市場となって、神田、築地など

に移って今日に至っています。昔を偲んで、「京橋大根河岸青物市場跡」の記念碑

が建てられたたものです。