散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

こんな人を見た(東京メトロ)

2011-07-31 06:34:12 | Weblog
      

 おなじみのマナーポスターです。下の文面は「割り込まないで、整列乗車」とあります。 

 ペンギンさんが行儀よく並んで進んでいます。これを見習って乗車してもらいたいですが、

降りる人がいるのに強引に乗り込む人がいて、肩がぶつかったといってトラブルになるなど、

困った人もいます。立派なペンギンさんを見習いましょう。

浅草文庫跡碑(蔵前・榊神社)

2011-07-30 06:28:54 | Weblog
    

        

 浅草文庫は、明治7年(1874)7月に創設された官立図書館です。翌8年に開館し、公

私の閲覧に供しました。当時の和・漢・洋の蔵書は13万冊といわれます。現在その蔵書は国

立公文書館内閣文庫や国立国会図書館、東京国立博物館に所蔵され、太政大臣三条実美の筆跡

と伝えられる「浅草文庫」の朱印が押されています。

 明治14年5月に閉館され、跡地には工業学校が創立されましたが、高さ約4メートルの碑

は、この文庫の旧地を記念して昭和15年11月に建立されました。

第六天榊神社(蔵前1丁目)

2011-07-29 06:47:51 | Weblog
  

         

 社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊が皇祖二柱を祀ったことに始まるといいます。元

は浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社、熱田神社とともに鳥越三明神と呼ばれていました。  


   

徳川家康の江戸入府以来、鳥越の岡は造成のため順次取り崩され、正保2年(1645)鳥

越三明神に移転が命じられたのです。この時、鳥越明神だけが旧地に残り、熱田神社は山谷に

移り、第六天社は堀田原に遷座した後、明治6年(1873)社号を榊神社と改めて今日に至

っております。街中に緑いっぱいで素晴らしいですね。

蔵前工業学園の蹟(蔵前1丁目)

2011-07-28 06:27:25 | Weblog
    

             

 説明板は、ここ台東区蔵前1丁目にあった東京高等工業学校(現・東京工業大学)を記念し

工業教育発祥の地として同窓会の蔵前工業会が建てたものです。工業指導者の養成を目的とし

て明治14年5月東京職工学校として創設、明治23年東京工業学校、明治34年東京高等工

業学校と改称しました。

 この間、常に日本の工業教育の指導的地位にあり、多くの留学生を教育するなど科学技術の

発展に寄与してきました。大正12年の関東大震災により、校舎、工場等が灰塵に帰したため

目黒区大岡山に移転したものです。石碑の側面には昭和18年3月吉日、社団法人蔵前工業会

建之とあります。             

須賀神社(浅草橋)

2011-07-27 06:22:10 | Weblog
  

       

     

 浅草橋駅周辺には木立の繁る神社が三社あります。この須賀神社は御祭神がスサノオノミコ

トで、御神徳は目的完遂、病気回復などとあります。縁起によると、推古天皇九年(601)

の夏、この地に疫病が流行しました。その時にこの辺りの森に牛頭天王を祭った祠があり、郷

の人々が病気平癒を祈りますと快気したと記されています。

 江戸時代には祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王などと呼ばれ、財力のある氏子の札差らに支

えられ、祭礼も盛大であったとされます。明治の神仏分離令により須賀神社と改名された古社

ですが、関東大震災、第二次世界大戦で焼失のため、昭和36年(1961)鉄筋コンクリー

トで再建されました。

夏も盛り

2011-07-26 06:25:19 | Weblog
  

        

 台風一過すっきりと・・と言えば秋の始まりですが、暦を見ると23日が大暑とあり、また

また30度越えの日射しがもどって来ました。今年は蝉の声を聞かないなと思っていたら、昨

日やっとみーんみーんと聞こえてほっとしました。  

 百日紅も色が濃くなって、空には入道雲が出ています。いろいろと口数多く暑さを嘆いてみ

ても8月8日の立秋までは「我慢」ですね。テレビの地デジさわぎもいっときは余波があるで

しょぅから、テレビ版をにらんで過ごしましょう。  

 

 今度はアサヒビール、糖質ゼロと書いてありますよ。

日馬富士が優勝(名古屋場所)

2011-07-25 06:20:36 | Weblog
   NHKテレビ

           

 大相撲名古屋場所は大関日馬富士が14勝1敗で優勝を飾りました。おめでとうです。14

日目に横綱白鵬を寄り切って優勝を決めたが、あと1勝で全勝優勝を逃しました。稀勢の里と

の大一番に千秋楽に初めて満員御礼となり、日馬富士の全勝を期待したが残念。しかし力が入

った大相撲でファンも満足の様子でした。来場所の連続優勝を期待します。  

 大関がかかった琴奨菊は14日目に平幕に苦杯で、チャンスは来場所に持ち越しです。より

精進して立派な大関になってほしいですね。稀勢の里ももう一つ星が伸びませんね。力まかせ

の相撲から、頭の中味を少し鍛錬しなくてはと思いますよ。いろいろありましたが、なんとか

本場所の面目を保ちましたね。(新聞はデイリースポーツ)

須賀橋交番(柳橋2丁目)

2011-07-24 06:20:57 | Weblog
   

       宝くじ売り場

 浅草橋駅から江戸通りを北へ行くと、右にトンガリ帽子の交番があります。蔵前警察の交番

ですが、蔵前、浅草橋と町境になっています。この地は人形、玩具、文具、造花などの店飾用

品、ビーズ、手芸用品などの問屋街で人気があります。交番には昨年10月から女性警官も勤

務するようになり、有名人形店を訪ねる人も多いようです。    

  造花屋さん

 橋はなくても「須賀橋」。神田川に架かる浅草橋は奥州街道への道筋で知られ、須賀橋は街

道の下を流れる鳥越川に架かっていたもの。鳥越川の上流は不忍池に続き、下流は隅田川へと

注いでいました。神田川や蔵前通りと並行に流れていて、この橋は「地獄橋」とも呼ばれたそ

うです。なんでも江戸時代初期、囚人がこの橋を渡って鳥越の刑場に引き立てられたので地獄

橋。鳥越刑場はその後は小塚原、現在の南千住に移転しました。

銀杏岡八幡神社(浅草橋)

2011-07-23 06:18:31 | Weblog
   

     

 賑やかな浅草橋の街中に銀杏の繁る静かな一画があります。由緒書を勉強しますと、源頼義

と八幡太郎義家が帝の命を受けて、奥州平定のために下向中この地に至りました。当時この地

は小高い丘で、隅田川を一望できる絶景の場と伝えられています。一行は休憩のため陣をとり

ました時、川上より銀杏の枝が流れてきました。  

  

 この枝を丘の上に挿して、都の氏神を拝し「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願

し、奥州平定後再びこの地に至りましたところ、銀杏の枝は大きく繁茂しておりましたので、

義家公は神に感謝し、太刀一振を捧げて八幡宮を勧請したのが、康平5年(1062)と伝え

られます。趣のある狛犬さんが迎えてくれましたよ。

生命の言葉(東京都神社庁)

2011-07-22 06:25:44 | Weblog
      

 神社庁の7月の言葉です。「習いつつ 見てこそ習へ 習わずに 善悪いうは おろかなり

けれ 千利休」とあります。解説によると、すべての勉強は、人から教えられたことをまず習

い、 人の振りを見て確かめ、さらに自分でやってみて身についていく。それを人から教えら

れることなく 善悪を言うのは馬鹿なことだ とあります。  

 千利休は戦国時代、安土桃山時代の茶人。信長、秀吉という二人の天下人に仕え、茶道千家

流の始祖となりました。わび茶の完成者として知られ、茶聖といわれます。