散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

鎮護堂(浅草2丁目)

2011-04-30 07:14:44 | Weblog
   

           

 鎮護堂は「おたぬきさま」の名で親しまれ、防火、盗難除、商売繁盛の守護神として知られ

ています。明治5年(1872)浅草寺境内に住みついた狸の乱行を鎮めるため、浅草寺の用

人であった大橋亘が浅草寺貫主と相談の上、自身の邸内に祀ったことがはじまりと伝えられて

います。数度の移転を経て同16年に伝法院内に再建されました。  

    

 境内の水子地蔵尊は昭和53年9月に建立されました。生後間もない嬰児の健やかな成長を

願い、また、受け難き人の命を宿しながら、育成し得なかった多くの尊い命、後生安穏の悲願

を込めて建立されたものです。

閑 散 (浅草)

2011-04-29 07:06:07 | Weblog
   

        スターの広場

 随分閑散としていますね。久しぶりに浅草にでましたが人出が少ないです。4月初めに来た

時は多勢の人々でいっぱいでしたが?。隅田公園の桜、スカイツリーの眺めなどで家族連れが

多かったのかな。  

 六区通り


 桜は散ったし、余震はあるし、原発事故で外国からの人はガタ減りのようですね。それにお

祭りの中止ですよ。例年なら、今頃は商店街に奉納提灯がずらり、祭りのムードは盛り上がっ

てうきうきしていますからね。仲見世、公会堂のスターの広場、六区通りもがらがらで、ここ

が浅草か・・・の感じでした。三社祭りが自粛ですからね。残念。

ひまわり地蔵尊(淨閑寺)

2011-04-28 06:47:48 | Weblog
   

    

 昭和57年(1982)12月11日建立開眼。倉田辰彦氏の創作、発願は山谷老友会。

 主旨は、山谷の労働者は連帯しささえあっているが、死後の安心なしには真の生活の安らぎ

がないとして、地蔵尊の建立を思い立った。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてき

た日雇労働者のシンボルといえるとして「ひまわり地蔵尊」とした とあります。  

     

 可笑塚 墓地の一隅に一声風靡した「三遊亭可笑塚」があり、有名な可笑純情詩集の一説が

記されています。「古よりの言の葉に、山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。ァァされど

われ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き落語家可笑をはぐくみし故郷は南奥多摩の絶

景の地なり」と。

 

投込寺・淨閑寺(荒川区)

2011-04-27 06:58:18 | Weblog
   山門

          総霊塔       

 荒川区南千住にある浄土宗のお寺です。安政2年(1855)の大地震の時、大勢の新吉原

の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになりました。花又花

酔の川柳に「生まれては苦界 死しては淨閑寺」とあり、新吉原総霊塔が建立されました。 

      荷風記念碑

    詩碑

 遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしばこのお寺を訪れていたよう

で、「今の世の若き人々・・・」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁で「総霊塔」と対面

した位置に建てられています。

山吹とハナミズキ

2011-04-26 06:59:02 | Weblog
  

       

 街路樹のハナミズキが花をつけ、風薫る初夏の到来です。山吹も鮮やかな黄色の花を咲かせ

ていますね。黄色は幸せを呼ぶと言いますから、なにか良いことがありそう。  

 友人と食事しながら「黄色」で何を連想するかと話になり、一人は高倉健と答えました。映

画「幸せの黄色いハンカチ」を思い出したらしい。私は倍賞千恵子ですけれど。もう一人は太

田道灌とは言わず「山吹色の小判」と。時代劇の悪代官を連想したらしい。  

   

 公園のチューリップも見事に咲きましたね。係りの人は手入れがたいへんでしょう。おかげ

さまで華やかに咲きました。

都電荒川線(三ノ輪橋)

2011-04-25 07:00:04 | Weblog
   

        

 三ノ輪橋は都電の始発駅(終着駅)です。東京で唯一の路面電車、チンチンと3年振りに乗

ってきましたよ。スピードも適当で踏切も安全、気持いいですね。この三ノ輪橋駅は関東の駅

百選に選ばれています。  

     とあらんちゃん

 何日か前に名前が決まったマスコットキャラクター「とあらん」だそうで、「らん」は「ラ

ン・走る」という意味と、「ランランラン」と楽しい気持を表しているということだそうです

が、楽しいですね。これからの季節は線路沿いに花も咲きますよ。

安全横丁(荒川区三ノ輪)

2011-04-24 07:09:07 | Weblog
   

        

 今日は投票日ですね。荒川区議会議員候補者のポスターですが、定員32名で候補38名、

安全圏は誰でしょう。開けてみなくては分かりませんね。すぐ近くの商店街は区内でも人気の

商店が並んでいますが、「最近は人が少ない」とぼやきも聞こえます。  

 安全横丁の表示板は日暮里の「夕焼けだんだん」近くの横丁でも見た記憶あります。荒川区

の安全管理の一環でしょうか。子どもの通学路などには最適ですね。

 

中島歌子の歌碑

2011-04-23 07:04:58 | Weblog
    

 牛天神・北野神社の境内南側に、中島歌子(1844~1903)の歌碑があります。歌子

はすぐ近くの安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主です。門下には梨本宮妃、鍋島候夫人や前田候夫

人など、上流中流層の夫人1000人がいました。樋口一葉、三宅花圃らはその門弟です。こ

の歌碑は、歌子の死後明治42年(1909)に門下生によって建てられました。この歌碑に

は「ゆきのうちに 根ざしかためて若竹の 生い出むとしの光ぞ思ふ」とあります。  

        

 ご神木といわれるのは、樹齢100年の「もっこく」です。真剣に心をこめてお願いすると

必ず願いが叶うといわれています。

貧乏神・黒闇天女

2011-04-22 07:00:59 | Weblog
    

 北野神社の境内にある太田神社は、かつて貧乏神といわれる黒闇天女(弁財天の姉)を祀っ

ていたとか。小石川にある旗本が住んでいて不幸はなくとも貧乏でした。ある晩夢の中に貧乏

神が表れ「長い間居心地がいいのでこの家に居たが、このたびよそへ移ることにした。赤飯と

油揚げを供えて祀れば、礼として福徳を授ける」と言った。旗本はその通りにすると万事よい

ことづくめで豊かになりました。旗本は神像を彫り牛天神に納めたといいます。  

    

 

 階段の傾斜はきついですが、登りきれば「おみくじ」の結び場所があります。これも牛の形

になっていて、そこを左に進むと太田神社です。今は貧乏神は居ませんです。

北野神社(文京区春日)

2011-04-21 06:56:24 | Weblog
  

        

 通称「牛天神」と呼ばれています。縁起によると、源頼朝が1184年東征の際に、ここの

入江に船をつなぎ波風が静まるのを待つ間しばしまどろみ、夢に菅原道真が牛に乗って現れて

二つの吉事があると告げた。武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をし

た石があった。 その後、頼家が生まれ、平氏を西に追うことができ、ここに社殿を造営しま

した。

  御神体の石
 
 その後、ここの「夢の牛に似た石」を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧神されたと

伝えられています。これを撫でると願いが叶うといわれ、今日まで多くの人々に信仰されてい

ます。