散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

把瑠都が大関昇進

2010-03-31 07:33:43 | Weblog
       

 春場所、関脇で14勝1敗の成績は「あっぱれ」です。把瑠都は日本語が上手ですね。

 プレッシャーはないかとの問いに「プレッシャーと相撲は別ですよ」とさらりと答えてい

ましたね。見事なもんです。  

 大関昇進の伝達式では、四字熟語なしの「栄誉ある地位を汚さぬよう努力いたします」と

覚悟の口上を述べました。夏場所から上を目指して頑張ってね。


仲良し地蔵尊 かんかん地蔵尊

2010-03-30 07:32:46 | Weblog
       仲良し地蔵尊

                 かんかん地蔵尊

 安養院の南門を入ると不思議なお姿のお地蔵様を見かけます。その名も「仲良し地蔵尊」

と「かんかん地蔵尊」です。  

 二体並んで微笑んでいるのが仲良し地蔵尊です。左が1664年(寛文4年)建立、右が

1670年の建立です。徳川家綱の時代です。足元には子供のような姿があります。

 この二体の左側には、石でたたくと「かんかん」と音がするお地蔵様があります。石も置

いてありますよ。これは自分の身体の悪いところをたたいて「良くする」のでしょうかね。

 たたかれて白い姿のシルエット状になっていますが、1699年の建立となっていますか

ら徳川綱吉の時代ということになります。

安 養 院 (千住5丁目)

2010-03-29 07:30:54 | Weblog
  山門

                本堂   
 
 正式には西林山長福寺安養院といいます。北条時頼が創建したものと伝えられ、当時千住

元町にあったのですが、慶長3年(1598)の兵火により現在地に移りました。 

 本尊は金剛仏の阿弥陀如来像で、鎌倉末期のものといわれます。本堂は、大正12年に第

22世良道僧正によって再建されたものです。  

           芭蕉句碑

 境内には松尾芭蕉の句碑があります。ゆく春や 鳥なき魚の目に泪の句はあまりにも有名

ですね。千住ゆかりといいますかね。

早寝 早起き 朝ご飯

2010-03-28 07:22:41 | Weblog
      

                  

 足立区役所のロビーに展示した子供たちのポスターです。何年生の子供たちか分かりませ

んが、なかなか上手に書けていますよ。  

 遅くまでテレビを見たりして夜更かし、朝なかなか起きられなくて寝坊すると学校へ行く

のが遅くなって、朝食抜きで家を飛び出す。眠くて勉強に集中できない、お腹が空くという

ように悪循環になります。ポスターを書いて「早寝 早起き 朝ご飯」を自覚するのはよい

事ですね。必ず実行してください。

仲見世は花盛り

2010-03-27 07:33:55 | Weblog
       雷門通りから眺める

                 

 浅草雷門通りから東京スカイツリーがよく見えます。3月23日には318メートルと表

示してありました。こうしてみるとさすがに高いですね。この撮影場所から約1400メー

トル、右のアサヒビールは同じく600メートルです。東京タワーの333メートルを追い

越すのはもうすぐですね。  

            観光客もいっぱい 

 仲見世も相変わらず賑やかですよ。外国から観光の人々も、雷門の前でこのスカイツリー

を見るわけで、「アレハ ナンデショウカ」といった様子でした。雷門の大きな提灯には寄

贈した松下電器の名が記されていますね。ナショナルと書き替えないところがよろしいです

ね。当時の幸之助さんを思い出します。

 

八幡神社由緒書 (西浅草2丁目)

2010-03-26 07:26:13 | Weblog
      

                

 国際通りから一本西に入ったところに八幡神社があります。由緒書きに「御祭神は応神天

皇なり。元禄13年(1700)8月9日、田島山快楽院誓願寺に於て豊前の国(大分県)

宇佐八幡宮の御霊分神をこの地に御奉遷す。爾来、旧浅草田島町の鎮護としてお祭りす。
 
 平成2年 氏子総代 渡辺留三郎 (百歳)」 とあります。  

 続いて 昭和20年3月9日夜戦火に依り灰燼と帰すも、地域住民有志の浄財寄進にて昭

和24年2月再建、更に昭和47年5月近代的コンクリート造りの社殿、社務所が完成し現

在に至る。と結んでいます。歴史を感じますね。



 

石川啄木歌碑(西浅草・等光寺)

2010-03-25 07:24:21 | Weblog
       

 西浅草1丁目の等光寺に石川啄木の歌碑があり、「浅草の夜のにぎはいに まぎれ入り

まぎれ出で来しさびしき心」と刻まれています。啄木が明治43年12月に出版した処女歌

集「一握の砂」の中の歌からとったものです。この歌碑は啄木生誕70年にあたる昭和30

年に建てられたものと聞きました。  

 啄木は苦しい生活の中で肺結核を患い、明治45年(1912)4月13日に死去しまし

た。親友の土岐善磨(歌人・国文学者)の生家であった縁で葬儀は等光寺でおこなわれまし

た。一周忌もここでおこなわれ、後に歌碑が建てられものです。

把瑠都10連勝

2010-03-24 07:25:50 | Weblog
       幕内土俵入り・NHK

 大相撲春場所は10日目を終わって白鵬と把瑠都が全勝で並んでいる。この両者が本日結

びの一番で激突するからこたえられない。  

 昨日は琴欧州と把瑠都ががっぷり四つに組んで、さあどっちがと思ったが結局は把瑠都が

寄り切った。それにしてもヨーロッパの大男二人が熱戦を展開するのだから、昔の大相撲フ

ァンはなんだか夢を見ているような変な気持ちです。

桜が咲きました

2010-03-23 07:37:50 | Weblog
      

                

 靖国神社の桜の標準木に「花が咲いた」ニュースを聞きました。わが町内の小公園では例

年3月10日には開花しますよ。色も紅色が濃く、通行する人たちもしばし見とれて「春が

来た」ことを実感します。  

 これからあちらこちらでお花見ニュースが聞けますね。若い頃を思い出しますよ。花冷え

の夜、冷酒を飲んで目が回ったことなど、今思えば汗顔のいたりです。

沈丁花 はくもくれん

2010-03-22 07:34:24 | Weblog
       沈丁花

          はくもくれん

 東武線鐘ヶ淵駅から、剣客秋山小兵衛さんの隠宅へと向かっていると、なんともふくよか

ないい香りがしました。沈丁花は中国南部が原産ですが、室町時代には日本でも栽培されて

いたそうですよ。道端の小さな公園の片隅に咲いていましたが、この香りで存在がわかりま

すね。はくもくれんを見ると、何故か千昌夫さんを想起します。こぶしの花に似ているから

「こぶし咲く北国」から北国の春=千昌夫さんとなるわけで、春ですね。