散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

山王清兵衛(日枝神社)

2008-04-30 07:51:02 | Weblog
 

 

 日枝神社(荒川区南千住7丁目)は、江戸時代は山王と呼ばれ、旧中村町(千住宿)

の鎮守であり、正和五年(1316)に建てられたと伝えられます。 

  清兵衛さんの祠です

 この社の入り口近くにある旧砂尾堤土手北端に「歯神清兵衛」を祀った小祠があ

ります。いずれかの藩士であった清兵衛が、虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹

し、遺言によってその霊を祀ったといいます。俗に山王清兵衛と呼ばれ、歯痛に悩

む者が祈願して、効き目があれば錨(いかり)をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わ

しで、千住の歯神として有名であったそうです。(荒川区教育委員会) 

 清兵衛さんの祠は日枝神社の南約100mの所にあります。

地蔵堀の石地蔵(荒川3丁目)

2008-04-29 07:48:04 | Weblog
 

 

 この石地蔵は、地蔵堀とよばれた用水路の傍らに南向きに立っていました。大正

14年、現在の位置へ移されたときに北向きになりました。地蔵堀は今は道路にな

っています。  

 石の台には元文五年(1740)に浄正寺13世、寛誉が願主となり、三河島村

の村人の尽力で再建されたことが刻まれています。当時、ここは三河島村の集落の

はずれで、付近のよい目印になっていたばかりでなく、村人が旅立つ際に、道中の

安全を祈願したといわれます。今も交通安全祈願の地蔵として祀られています。

(荒川区教育委員会)

公園の風景

2008-04-28 07:46:50 | Weblog
 

 チューリップがキレイに咲いていました。どこやらの花は大量に切り取られたり

して、人々の怒りの声はおさまりません。テレビで監視カメラの映像が放映されて

いましたが。

 



 公園のそばを野球部員が通ります。練習帰りでしょうか。これからは甲子園の予

選が始まりますね。がんばれドカベンです。自然に花を咲かせるタンポポのように

野性味のあるチームがいいですね。

つつじ と ぼたん

2008-04-27 07:46:18 | Weblog
 

 この季節はつつじですね。根津神社のつつじと西新井大師のぼたんがニュースに

なっています。丁度3カ月に1度の定期検診で千駄木の病院に行きましたので、根

津神社のつつじを見物してきました。ぞろぞろと人がいて賑やかなこと。

 つつじ苑に入るのは遠慮しましたが、500種3000株の花は見事なもので

す。「文京つつじまつり」とやらで、一帯の道路も例年より派手な飾りつけをして

いました。  

 

 ぼたんは病院の薬局カウンターのわきにあったものです。何時もキレイな花が活

けてあります。牡丹とくれば、もみじと菊で青い短冊がそろいますが、今日は花札

でなくフラワーの方でした。

水稲荷神社(2)

2008-04-26 07:44:42 | Weblog
 

 

 本殿の裏側には、岩を重ねた祠があります。小さなキツネさまがたくさん祀られ

ています。冨塚古墳といわれた小山の裾をまわると「水神社」がありました。竹の

樋がありましたが水は流れていませんでした。日本の雨期といわれる梅雨時になる

と流れるのかもしれません。  

 

 

 また、本殿に向かって左側には「耳欠け稲荷」があれます。これは、身体の痛い

ところと同じ場所を撫でると、痛みが治まるといい伝えられています。耳の欠けた

キツネさまの右側にいるキツネは、耳欠けさんの連れ合いでしょうかね。どちらも

元気に跳ねています。

水稲荷神社(新宿区西早稲田)

2008-04-25 07:51:53 | Weblog
 

  

 江戸中期に、境内の大椋に霊水が湧いて評判をよんだことが神社の名の由来の一

つとされています。古くは「冨塚稲荷」「将軍稲荷」と言われていました。由緒を

見ると、天慶4年(941)に鎮守府将軍であった俵藤太秀郷が「冨塚」という古

墳に、倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)を勧請したことにはじまるとされて

います。  

 このあたりでは、冨塚さまといって崇敬されています。境内には数々の末社があ

りますが、社殿の前には立派なオキツネ様が頑張っています。

和田倉噴水公園(2)

2008-04-24 07:44:39 | Weblog
 

 

 公園の西側には「皇太子殿下御結婚記念」のプレートがあります。元総理大臣の

吉田茂さんの書によるものです。園内東側の和田倉濠寄りにレストランがあって、

食事や飲み物をとりながら、変化する噴水などを楽しめます。 

 

 この公園は天皇陛下のご結婚を祝って、昭和36年に造られたものですが、平成

7年には現皇太子殿下のご成婚を祝して、さらにキレイに整備されて、現在の公園

になったものです。

和田倉噴水公園(皇居外苑)

2008-04-23 08:04:07 | Weblog
 

 

 この噴水公園は、昭和34年(1959)天皇陛下と皇后陛下のご成婚を祝って

昭和36年に完成したものです。当時の皇太子殿下明仁親王と正田美智子さまのご

結婚は、戦後最大のお祝いごとになりました。昭和34年4月のお二人のパレード

の様子はテレビで放送されて、現在でいう視聴率は100パーセント近かったので

はと思います。 

 テレビが売れて電気屋さんには在庫がなくなるさわぎだったといいます。東京オ

リンピックがカラーテレビのブームなら、第一次テレビブームはこのご成婚の時だ

ったのではないでしょうか。思い出しますねぇ、あの頃を。

丸の内フラワーウイーク2008

2008-04-22 07:32:51 | Weblog
  新丸ビル

  中通り

丸の内のビジネス街で花いっぱいで飾る催しです。新丸ビルでは午前11時から

プレゼントされるバラの花を求めて、午前10時から長蛇の列でした。

  中通り

 ビルの中と中通りなどで花が飾られて、見事でした。昼間でしたので、何処かで

チューリップを切るという不届きものもなく、来てよかったデス。

 ただ工事中の東京駅などで、土砂を積んだ大型トラックやクレーンが動き、交通

整理のおじさんたちの大声で、ちよっと残念。

「山吹の里」の碑(豊島区高田1丁目)

2008-04-21 07:28:37 | Weblog
 

 新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は、通称「山吹の里」といわれて

います。これは太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の娘に蓑(みの)を借

りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。 

 「七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに 無きぞ悲しき」の古

歌に掛けたものです。  

 この碑は神田川の改修工事が行われる以前は、面影橋のたもとにありましたが、

今は面影橋を北に渡ったところにある会社の門前にあります。「山吹の里」の文字

の周辺に細かい文字が刻まれ、この碑が貞亨三年(1686)に建立された供養塔

を転用したものとわかりました。(豊島区教育委員会) 

 

 写真下は神田川を面影橋から眺めたものですが、すでに葉桜になっていますね。
 
 何日か早ければ満開の桜が・・と思いますが。