散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

熊野神社・西新宿十二社

2012-10-31 07:15:24 | Weblog
   

       

 今では新宿中央公園といいますが、昔は角筈、十二社(じゅうにそう)と言いました。公園

が出来て、池が埋められ今では昔の面影は「熊野神社」だけとなりました。ミスター麹町が写

真を送ってくれましたので、50年以上も前の風景を思い出します。室町時代に中野長者と呼

ばれた鈴木九郎が、故郷紀州の熊野三山より十二所権現を移し祀ったものと伝えられます。江

戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われたと伝

えられます。氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺と歌舞伎町を含む地域で、新宿の総

鎮守となっています。  

 昔、「女と味噌汁」というテレビドラマがありました。十二社の池と花街があって、芸者役

の池内淳子さんが、味噌汁をつくってお客を歓待していましたね。西口近くの郵便局では手紙

を出すにも、小包を送るにもお世話になったものです。懐かしいです。

碧の調べ(浜松町駅北口)

2012-10-30 07:09:06 | Weblog
    

 この少女像はJR浜松町駅北口で見つけたものです。名前は「碧の調べ」一色邦彦氏の作品

で、1984年3月に設置されたものです。一色氏は1935年茨城県生まれ、1960年東

京芸術大学彫刻科卒業。若い頃から高村光太郎賞など多くの賞を受賞し、日本各地に多くの作

品が設置されていると聞きます。  

 聞けば、東京駅丸の内地下改札口にも「碧の調べ」の少女がいるとのことです。何故か1円

玉が置いてあるとか、私も一度面接に行かなくてはと思っています。

旧仁王門礎石(浅草寺)

2012-10-29 07:06:28 | Weblog
    

       

 慶安2年(1649)12月23日、旧本堂と共に三代将軍徳川家光により再建落慶した旧

仁王門は、300年後の昭和20年3月10日の大空襲で本堂、五重塔と共に焼失しました。

 その後、現本堂に続き昭和39年(1964)4月1日に、仁王門を宝蔵門と改め同跡地に

再建されたのです。この三つの大石は宝蔵門再建に際して、旧仁王門の跡地から掘り出された

礎石です。  

 旧仁王門には18本の大木柱があって、それぞれに礎石がありましたが戦火でひび割れて、

原型をとどめる大礎石を選び保存されているものです。浅草寺では、この礎石に江戸の人々の

息吹を感じると共に、平和を祈る記念碑として受け継ぎたいとしています。

半七塚(浅草寺奥山庭苑)

2012-10-28 06:45:13 | Weblog
    

        

 浅草奥山庭苑で見た「半七塚」です。岡本綺堂の半七捕物帳を後世に伝えようと意図したも

のでしょうか。銭形平次の生みの親の野村胡堂氏が昭和24年に「捕物作家クラブ」をまとめ

たときに、クラブの発会式で浅草花やしきにこの塚を立てて除幕式を行ったといいますね。何

時の頃からここに移転したのでしょうか。

 半七塚の隣には、綺堂氏がお気に入りといわれる「青蛙神」(せいあしん)がちょこなんと

座っています。これは中国の前足2本後足1本の蛙の姿をした神様だそうです。岡本綺堂氏と

いえば、歌舞伎「番町皿屋敷」「修禅寺物語」などの名作も残していますね。

西湖の堤・芝離宮庭園

2012-10-27 07:06:47 | Weblog
   

      

 庭園には砂浜もあって、鳩や雀が仲良く水浴びをしていますね。都会の真ん中とは思えない

静寂と、平素は見ることのできない風景に出会います。  

    

 西湖の堤 中国の浙江省杭州市に西湖という風光明媚な湖があります。この湖に北宋時代の

詩人が築いた長堤を西湖堤と言います。この堤は西湖堤を模して造られたものだそうです。小

石川後楽園、広島の縮景園などにも見られます。    

      

 この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた門柱です。ここが小田原藩

(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室の柱につかわれていたといわれています。石の柱を

小田原から運ぶのも大変だったと思いますね。


芝離宮恩賜庭園(港区)

2012-10-26 06:50:11 | Weblog
    

 久しぶりにほっとできる景色をみました。ここは小石川後楽園と共に、東京に残る江戸初期

の大名庭園です。草木や花と水、自然とともに安らぎを感じる都会のオアシスですね。ここは

明暦(1655~1658)の頃に海を埋め立てた土地を、延宝6年(1678)に老中大久

保忠朝が4代将軍家綱から拝領したものです。西を見るとJR浜松町駅と、国際貿易センター

ビル、さらには東京タワーが見えます。  

     

         

 立派な庭園には付き物の「雪見燈籠」の姿がいいですね。ここから南から東へと廻ると砂浜

があって鳩や雀などが水浴びしていましたよ。さらに進むと中島、その先には木橋があってこ

れを渡るとあずまやとすばらしい庭園の眺めでした。

ハロウィーン

2012-10-25 06:48:02 | Weblog
    

 ハロウィーンはカトリックの諸聖人の日(万聖節)の前の晩、10月31日に行われる英語

圏の伝統行事といいますね。この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信

じられていました。  

 それで、魔女やお化けに仮装した子どもたちが「お菓子をくれないと いたずらするぞ」と

唱えて、近くの家を一軒づつ訪ねてお菓子をもらいます。中をくりぬいて、目鼻口をつくった

カボチャに灯りを入れたりするそうです。子どもたちが近所の家を訪ねて「お菓子を下さい」

というのは日本でもあったように思いますが。何だったか・・・。

ふくしま復幸市(上野駅)

2012-10-24 06:38:24 | Weblog
    

        

 上野駅のコンコースで「ふくしま復幸市」が賑やかでした。いろいろな産物が展示されてい

ましたが、大きな「赤べこ」に人気があったようです。子どもさんが面白そうに遊んでいまし

たよ。郷土玩具もこう大きいと、別の面白さがありますね。  

    

 これは「起き上が」ですね。これも会津地方に古くから伝わる縁起物・郷土玩具とし

て知られています。起姫(おきひめ)とも言われるそうです。何度倒しても起き上がる「七転

八起」の精神は会津人の魂だそうですが、福島県の人々の精神にも通じるのでしょう。無病息

災、家内安全を願って買い求めると願いが叶えられますよ。

生命の言葉(東京都神社庁)

2012-10-23 06:52:18 | Weblog
      

 10月の生命の言葉です。「天も誠に天たり 地も誠にて地なり 真木和泉」とあります。

 解説は 天も天として、地も地としてきちんとある。同じように世の中にも 人間にもある

べき姿があるという意 とあります。  

 
真木和泉1813~1864。福岡県久留米水天宮の神官の家に生まれる。自らも神官とな

り国学、和歌を学ぶ。楠木正成を敬慕し、天皇を中心とした時代を理想とした。幕末は尊王攘

夷を訴え活動するが、禁門の変で破れ自害します。

鬼平料理 「池波」 (新橋)

2012-10-22 06:48:04 | Weblog
    

           

 ミスター五鉄から「鬼平料理・池波」の写真がきました。ファンが泣いて喜ぶ「お品書」を

あげてみました。①大根と浅蜊鍋仕立(寒月六間堀)②白魚と豆腐の小鍋立て(暗剣白梅香)

③葱入り煎り卵(礼金二百両)といったあんばいです。いずれも鬼平こと長谷川平蔵どのが好

んでいる料理ですね。火盗改め料理人「ネコどの」自慢のメニューかも。  

 ミスター五鉄は当然鬼平ファンで、本所二つ目の軍鶏鍋屋「五鉄」の屋号を勝手に戴いてお

ります。文字通り「おじさんの街・新橋人間」ですが、今までこの提灯が目にとまらなかった

のか不思議ですね。近いうちに偵察に行くそうですからご期待ください。