散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

雛まつり

2009-02-28 08:00:09 | Weblog
    

         

 今日で2月もおしまい、明日から3月です。3日は雛まつりですね。女の子のお

祭り、その健やかな成長を祈る行事です。子供の頃、姉の白酒を戴いて酔っ払った

ことを思い出します。散歩の途中で立ち寄ったお蕎麦屋さんで見かけた内裏雛、そ

れと三人官女です。  

 やっと春が来たと感じます。わが家も大昔の内裏雛を出して、ほこりをおとして

飾りました。

新 大 橋 (中央区~江東区)

2009-02-27 07:36:43 | Weblog
       

 現在の橋は昭和52年(1977)の竣工で、長さは170mの斜張橋です。

 最初に新大橋が架けられたのは元禄6年(1693)で、隅田川の橋としては3

番目に架けられました。「大橋」と呼ばれた両国橋に続くものとして「新大橋」と

名付けられました。この新大橋は20回以上も破損、流失し、幕府が維持管理をあ

きらめましたが町民の嘆願で、維持費は町方が負担することを条件に存続すること

になったものです。  

 明治45年(1912)に鉄橋が架けられ、市電も開通する立派な橋でした。貴

重な建造物として愛知県犬山市の博物館明治村に部分保存されています。

 関東大震災や大空襲のときは、隅田川の橋がことごとく焼け落ちるなどしました

が、唯一この橋は被災せず、避難の道として多くの人命を救ったため「人助け橋」

と称されています。
 

芭蕉庵史跡展望庭園

2009-02-26 07:52:44 | Weblog
      

 正木稲荷のすぐ後ろの小名木川と隅田川が合流するところにある展望庭園です。
 
 芭蕉さんがどっかと座って、隅田川の景色を眺めていますね。川の向うは日本橋

中洲から浜町です。  

     

 近くには、ゆかりの芭蕉記念館や芭蕉稲荷など、芭蕉の足跡を知ることができる

資料がいっぱいです。ただ、この庭園は小高くなっていますが階段が歩きにくくて

降りるときはキケンです。普通の階段にしてもらえば楽なのにと思いますよ。わざ

わざ「熊野古道」のようにしなくてもと思いました。

正木稲荷神社 (江東区常磐)

2009-02-25 07:39:39 | Weblog
      

         

 この稲荷神社は、江戸時代の古くから鎮座していたと伝えられます。昔、柾木の

大木があったので正木稲荷神社と名付けられたといいます。隅田川から小名木川に

入る目標としても重宝されたようです。  

 古くから「腫物に効くおできの神様」と名高く、その柾木の葉は腫物によく効い

たといわれています。祈願には病の全快まで「蕎麦」を断ち、平癒すると「蕎麦」

を奉納する信仰がありました。子供たちは柾木の葉を丸めてピーピーと鳴らして遊

んでいたようで、「ぴいぴいも売れる柾木の御縁日」の句があります。

小名木川・萬年橋(清澄~常磐)

2009-02-24 07:35:02 | Weblog
    

         

 隅田川に合流する小名木川最下流の橋が萬年橋です。残念ながらご覧のように補

修中でした。それでも橋から隅田川を眺めると、思わず深呼吸をしました。現在の

萬年橋は震災後の昭和5年(1930)の架橋です。  

 隅田川の向うは日本橋中洲、左側を見ると清洲橋が見えます。江戸時代の萬年橋

は、広重や北斎の浮世絵にも描かれていたと聞けば、小説「剣客商売」の秋山小兵

衛を思い出します。若い女房[おはる]に自家用の舟を漕がせて富岡八幡様へ向か

います。「おはるや、舟は萬年橋の茶店に預けておこう」となるわけです。いやは

や結構なご夫婦ですね。

清 洲 橋 (清澄~日本橋中洲)

2009-02-23 07:34:33 | Weblog


        

 久し振りに清洲橋を渡り江東区へ来ました。この辺りは川幅も広く、ゆったりと

感じます。清洲橋は震災復興事業で架けられた橋のひとつで昭和3年(1928)

に完成。ドイツのケルン市の吊り橋をモデルに設計され、女性的な美観を持つ橋と

いわれています。  

     ヒミコです

 橋の名は、左岸の清澄町と右岸の日本橋中洲を結ぶことから、それぞれ一文字ず

つとって清洲橋と名付けられました。隅田の川風を受けて走る水上バスは、姿かた

ちが清洲橋にぴったりの[ヒミコ]です。

暖 簾

2009-02-22 07:34:37 | Weblog
     

 これはさっぱりした暖簾ですね。「定食」とだけ書いてあります。なんともシン

プルでいいですよ。とは言ってもカレーライスとか、カツ丼、焼き魚定食などもあ

るのでしょうね。もちろんビールなども。  

          

 こちらは「そば」とだけ書いてありますよ。でも店の前には、いかにも和風とい

うか、梅の花が開いて季節感がありますね。夏から秋にかけては「新そば」でしょ

う。まことに結構ですよ。

武蔵坊弁慶 (人形町)

2009-02-21 07:47:23 | Weblog
    

 二年ぶりに弁慶さんに会ってきました。地下鉄人形町駅からお馴染みの甘酒横丁

を東に進むと公園があります。ここに勧進帳の装束で見得をきっていました。前に

来たときは、酔っ払った人が弁慶の足元で寝ていましたので、「義経」が寝ている

と錯覚しましたが今度は居ませんでした。  

         明治座です

 近くの明治座二月公演は細川たかし、長山洋子が演じています。三月は三平物語

と予告していました。林家三平(はやしやさんぺい・大正14~昭和55年)は七

代目林家正蔵の長男で東京出身。自称「リズム落語」はギヤグに徹した軽い落語で

一世風靡したものです。なつかしいですね。

国学発祥の地

2009-02-20 07:49:54 | Weblog
      

 神田明神境内、銭形平次の碑の右手に「国学発祥之地」碑があります。国学者の

荷田春満(かだのあずままろ)が江戸に下って、神田明神の社家(しゃけ、世襲の

神職)芝崎邸で始めて国学の教場を開いたので、ここを江戸での国学発祥之地とし

ています。  

 なお、荷田春満は江戸時代中期の人で、本居宣長、賀茂真渕、平田篤胤らと共に

国学の四大人の一人に数えられています。

銭形平次の碑 (神田明神境内)

2009-02-19 07:31:44 | Weblog
    

 野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公です。懐かしいですね。私のイメー

ジでは長谷川一夫、大川橋蔵ですが。  

 平次の住所は、明神下の元の台所町になっています。この碑は昭和45年12月

(1970)、有志の作家と出版社とが発起人となって、縁りの明神下を見下ろす

この地に建立されたものです。右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が寄り

添っていますね。