台東区西浅草1丁目の等光寺に石川啄木の歌碑がある。啄木の処女歌集[一握の砂]から、
「浅草の夜のにきわいにまぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」とあります。明治41年に
文学者として身を立てるため上京し、明治43年には歌集[一握の砂]を出版しました。
しかし苦しい生活の中で肺結核を患って、明治45年4月13日に小石川区久堅町の借家で
死去しました。27歳でした。親友の土岐善麿(歌人・国文学者)の生家であった縁で、葬儀
はここ等光寺でおこなわれ、啄木一周忌追悼会も当寺でおこなわれました。墓は函館市立待岬
にあります。歌碑は、啄木生誕70年にあたる昭和30年に建てられたものです。