せせらぎの道 (足立区保木間) 2007-09-30 07:17:40 | Weblog 足立区が進めている親水緑道整備事業「せせらぎの道」があります。これは、東 京都の「防災用地震予知観測井戸」の揚水を利用した、ホタル養殖場の水を水源と し、その水を公園内の池に溜め、浄化したのち、せせらぎの水路に流しているもの です。 こどもが抱える魚の口から出ている水、岩の間から流れ出る水も、道路下の導水 管を通ってポンプ室へ、溜まった水をポンプで再度池ににもどす循環方式になって います。近所の人々にたいへん親しまれている水辺です。
宗 吾 殿 (台東区寿3丁目) 2007-09-28 07:55:18 | Weblog 宗吾殿は、江戸時代の義民で知られる下総国(千葉県)佐倉公津村の名主、惣五郎 (宗吾)を供養するお堂です。 惣五郎は、江戸初期承応年間(1652~1654)佐倉藩の重い租税に苦しむ農 民のため、藩主堀田正信のとき、直訴を図った罪により処刑されました。後年佐倉 藩の藩主は惣五郎の霊を絶えず弔い、百回忌などの法要を営んでいます。その後堀 田正信の子、正休の家系である近江国宮川藩堀田家の屋敷地となり、同屋敷内に建 立したものです。 享和5年(1803)に惣五郎百五十回忌法要を営んでおり、堂もこのころに建立 したものと考えられます。江戸時代末期以降、惣五郎は芝居や講談の題材となり、 世に広く知られました。私も大映だったか、東映だったかの映画で見て感激したこ とを思い出します。(古いです)
浅草観音戒殺碑 (駒形堂) 2007-09-27 07:33:50 | Weblog 戒殺碑です 駒形堂 駒形堂の横に建つ「戒殺碑」は、このあたりは観音様がご示現された場所である ので、魚を捕ってはいけませんという石碑です。元禄6年(1693)3月建立、撰 文は浅草寺権僧正宣存です。この碑ができる前から今でいうと禁漁区となっていた わけです。 関東大震災後、土地に埋もれていたものを修復建立したもので、江戸時代の現物 です。今では、秋になるとハゼ釣りをしているのを見かけたという話もききます。 駒形堂は、浅草寺のご本尊が隅田川から示現され、上陸した地に建てられたお堂 で、ご本尊は「馬頭観音」が祀られています。
駒形の鎮守 諏訪神社 2007-09-26 07:24:59 | Weblog 駒形どぜうの近くに古くから「おすわさま」として親しまれている諏訪神社があ ります。御祭神は健御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのか み)です。 諏訪信仰が関東に広まる鎌倉中期、承久の乱(1221)の後、信濃国諏訪郡小田 村の神主が、諏訪大社(上社)の御分霊を当地に勧請したと伝えられています。また 天正年間には神主が数代に亘って奉仕したと伝えられています。その後、浅草寺の 修善院が別当として奉仕してきたといいます。
駒形どぜう (台東区駒形1丁目) 2007-09-25 07:40:59 | Weblog 「駒形どぜう」は創業1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越 後屋助七は武蔵野国(現・埼玉県)出身で、18歳のときに江戸に出て奉公した後、 浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺参詣のメインストリートで あったことから、店は繁盛したといいます。 のれんの由来 仮名遣いでは「どじょう」、もしくは「どじやう」「どじゃう」と書く のが正しい表記です。これは、文化3年の大火で店が類焼した際に、「どじやう」 の四文字では縁起が悪いと、当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇 数文字の「どぜう」と書いてもらったものです。これが評判を呼んで店は繁盛して 以来200年の歴史を刻んでいます。
百薬の長 2007-09-24 07:37:25 | Weblog 暑かった日々も、昨日のお彼岸の中日に気温26度、今日の予報は24度となり ました。四季の移ろいと共に左党にとっては百薬の長がたまらないです。久保田、 剣菱、賀茂鶴などがずらり並んでいます。 肴はとくに選びませんが、小魚の刺身、一夜干しなどがよろしい。鯵のたたきや 干物など、海や山の恵みは限りなくありますからうれしいですね。それに明日は 十五夜お月さんです。そこで一献です。
地上デジタル放送 2007-09-23 07:37:12 | Weblog 薄型のワイド型テレビがづらりと並んでいます。2011年には地上デジタル放 送になって、受信用のチューナーがないとダメだそうです。 この「チューナー内蔵のテレビ」を売り込めというのが、家電メーカー・販売店 の作戦らしいです。2年くらい前からしきりに「地デジ」を宣伝するようになりま したね。チューナーだけ買いたい人は、今はじっと我慢です。2011年が近づく とぐっと安くなるそうです。ホントカネ。
曼珠沙華 (百花園) 2007-09-22 07:39:52 | Weblog 堤や道端などに自生しています。有毒植物ですが茎は薬用に使われ、壁にすりこ んで塗るとネズミの害を防ぐといわれています。秋の彼岸の頃に咲くので彼岸花と 呼ばれるわけです。 死人花、幽霊花といって好感を持たない人が多いですが、アメリカなどではわざ わざ輸入して栽培しているそうです。所変わればですね。 これら百花園の植物を撮影すべく、この時期はカメラマンが大勢います。ずっし りした三脚など、ものものしいです。
うめもどき・女郎花 (百花園) 2007-09-21 07:45:19 | Weblog 「うめもどき」の名はそれなりに納得です。もっと秋が深くなってくると、実の 赤さはさらに濃くなるそうです。秋の定番であるススキを見ると、十五夜お月さま を思いおこしますね。 女郎花は、黄色い小さな花です。この花を粟飯に例えた女飯(おんなめし)から転 じて名がついたという説。美しい女郎の姿を連想したとも言われますが、どちらが 正解でしょうか。
萩のトンネル (向島百花園) 2007-09-20 07:30:19 | Weblog 墨田区東向島の百花園に行って、秋の花と風情を見物してきました。お目当ては 萩のトンネルでしたが、まだ早かったようで残念。昨年より10日遅く行ったので すが紅色の花もまばらでした。 すすき、女郎花、桔梗なども咲き始めです。中高年の方々の団体が多かったです ね。さすが国指定の名勝・史蹟がいっぱいで、秋の深まりに合わせてもう一度足を 運びたいと思います。