散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

桜前線北上

2013-04-27 06:57:27 | Weblog
    

 このところJRの駅には「北へ桜を見に行こう」といったポスターが目につきます。そうだ

北はこれから花見の季節だ・・と気がつきます。青森の弘前城、宮城・船岡城址公園、岩手に

は高松の池、秋田千秋公園、山形は鶴岡公園、福島三春滝桜と数多い桜の名所があります。こ

のポスターのモデルは仙台・伊達正宗公だと思いますが青葉城は桜はどうでしょう。いやいや

仙台の夜の街は、酒は美味いし美人もいっぱい だそうですよ。  

    

     

 こちらは青葉若葉のみどりの季節になりましたよ。それにつつじも色とりどりです。でも北

の桜が気にかかりますねぇ。

 

巣鴨商店街の賑わい

2013-04-26 06:55:56 | Weblog
    

        

     

 おばあちゃんの必需品は何でもそろっていますよ。老眼鏡、拡大鏡、ひと束300円のゴム

紐、割烹着、各種大福、それに赤パンツが結構売れているらしいです。なんでも東洋医学の先

生が「赤い色が丹田のつぼを刺激して、下腹部を温める」とかで随分人気商品になったという

ことですよ。女性の冷え症にはもってこいですね。

     すがもんデス

     

 3年前には 今流行りのキャラクター「すがもん」が登場したとか。なかなか可愛いゆるキ

ャラですね。よーく見ると「鴨」の顔ですよ。商店街の入口に「すがもんのおしり」が展示?

してあります。説明に「おしりをやさしくさわって やさしい気持ちをおみやげに」と幟が立1

っていましたよ。おばあちゃん、お嫁さんにやさしくね。

高岩寺の洗い観音

2013-04-25 06:45:26 | Weblog
    

        

 とげぬき地蔵の高岩寺境内に「洗い観音」があります。江戸時代最大の火事であった明暦の

大火(1657)で、檀人の一人屋根屋喜平次が妻を亡くし、その供養のために聖観世音菩薩

像を高岩寺に寄進しました。この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治る

という信仰がいつしかうまれ、これが洗い観音の起源です。  

 その後、永年タワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔がすり減ってきたので、平成4年11月

27日にご隠退いただき、新しい聖観世音菩薩の開眼式を執行しました。同時にタワシは廃止

して布で洗うことにしました。今では白いタオル等で洗っています。この観世音像のすぐ近く

で一枚100円で白いタオルを販売していますよ。

 

萬頂山高岩寺・とげぬき地蔵

2013-04-24 06:51:01 | Weblog


       

高岩寺は慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ約60年後、下谷屏風坂に移り(現在の

岩倉高校の位置)巣鴨には明治24年(1891)に移転して現在に至っています。ご本尊は

「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。ご本尊は秘仏として拝見できませ

んが、その姿を元に作られた御影(おみかげ)に祈願してご利益があるとされています。高岩

寺のご本堂で授与されています。  

   とげぬき地蔵くわしく説明

   

 巣鴨地蔵通りは、「おばあちゃんの原宿」といわれて久しいですが、昔も今もなかなか繁昌

しているようですよ。最近は ゆるきゃら「すがもんちゃん」が現れて、随分活躍しているよ

うです。商店街と一緒に次回紹介します。

江戸六地蔵第三番・眞性寺

2013-04-23 06:39:46 | Weblog
    



江戸六地蔵の一つとして知られているこのお寺は、東光院眞性寺といいます。とげぬき地蔵

で知られる巣鴨地蔵商店街の手前にあります。起立年代は不詳ですが、境内には元和元年に松

尾芭蕉の句碑があります。お地蔵さまは大きな笠をかぶり杖を持ってここ中山道の出入口に鎮

座して、街道を往来する旅人の安全を見守ってくれています。

    芭蕉句碑

 かなり大きな地蔵さまですね。若い女性二人が手を合わせたあと撮影したり、見上げてなに

やら話していましたが、何が可笑しいのかきゃっきゃっと笑いながら巣鴨地蔵商店街の方へ去

りました。箸が転んでも可笑しい年頃ですね。おばあちゃんの原宿と評判の巣鴨とげぬき地蔵

さまですが、若い人も勉強に行くのかもと思いました。

 

 

綺麗なお花がいっぱい

2013-04-22 06:57:45 | Weblog
    

        

 ここは上野駅広小路口にあるお花屋さんです。この花屋さんは随分昔からある店で、何時も

綺麗な季節の花がいっぱいで素通り出来ません。月が変われば「母の日」の話題がでますが、

赤いカーネーションがありますね。それにダリアなども。  

 この日はガーベラの特売らしいです。1本158円、5本で630円、10本で998円と

表示してありました。10本買えば1本100円です。色とりどり、綺麗なガーベラを誰に贈

りましょうか。花言葉は神秘の愛、常に前進、チャレンジなどです。赤いガーベラは一輪飾っ

ておくと低血圧やめまいの症状に効くといいますね。本当ですかねぇ。

 

電燈供給発祥の地

2013-04-21 07:47:00 | Weblog
     

 茅場町1丁目に「電燈供給発祥の地」があります。明治20年(1887)11月21日に

東京電燈会社がこの地にわが国初の発電所を建て、付近の日本郵船会社、今村銀行、東京郵便

局などに電燈を供給開始したものです。  

 発電設備は直立汽缶と、30馬力の横置汽機を据付け、20キロワットエジソン式直流発電

機一台を運転したといいます。文明開化のシンボルですね。街灯にはガス灯があったといいま

すが、水力も火力も原子力発電所などあるわけもなく、灯油に行燈からパッと点灯する電燈で

すから、びっくりしたり喜んだりだったでしょうね。

霊厳島の碑(中央区新川)

2013-04-20 07:10:38 | Weblog
    

    

 現在の中央区新川地区は、江戸の城下町が開拓される頃は一面の沼地葭原であったといいま

す。寛永元年(1624)に雄誉霊厳上人が霊厳寺を創建して土地開発がすすみ、寛永11年

(1635)には寺地の南方に越前福井の藩主松平忠昌が2万7千坪に及ぶ浜屋敷を拝領しま

した。屋敷の北、西、南に舟入堀が掘られて後に越前堀の地名の原因になりました。  

 明暦3年(1657)の江戸の大火で霊厳寺は全焼して深川白河町に転じ、跡地は市内の町

民が替地として集団的に移ってきました。明治大正年間には越前堀、霊厳島など13町に別れ

て海運の発着地・倉庫地帯として、下町商業の中心となりました。しかし関東大震災で焦土と

化し、戦後昭和46年の住居表示制度で新川1、2丁目となりました。江戸時代からの歴史

を象徴する遺跡が消え去ることを憂慮した町民が「霊厳島保存会」をつくり、現在の越前堀児

童公園の一画に碑を建て後世に伝えているものです。日本橋川と亀島川に囲まれた霊厳島は、

400年前の霊厳寺創建からの歴史を刻んでいます。


ハナミズキ

2013-04-19 06:58:02 | Weblog
    

       

   下にはタンポポが

 道端のハナミズキが白い花をつけました。この花もやっぱり少し早く咲きましたね。自然の

摂理は狂いなくめぐっているから驚きですよ。このハナミズキという花は白ばかりでなく、ピ

ンクの花があります。たしかここらにと探しましたが見つかりませんでした。  

 ハナミズキは花水木、北アメリカ原産で別名アメリカヤマボウシ。この名は日本のヤマボウ

シに似ていることからだそうです。有名なはなしで、1912年に当時の東京市長であった尾

崎行雄がアメリカに桜を贈った際、1915年にその返礼としてこのハナミズキを贈られたも

のだそうです。イギリスでは「ドッグウッド」と呼ばれているそうです。語源は諸説あります

が一説には昔、樹皮の煮汁が犬の皮膚病治療に使用されたためと言われていますね。犬の木で

すよ。犬がおしっこをと考えたらそれ間違いです。所変わればですね。

さくらまんじゅう(吉野山)

2013-04-18 07:04:59 | Weblog
    

         

 吉野山 霞の奥は知らねども 見渡す限り・・吉野の「さくらまんじゅう」と「ほうじ茶」

を戴きました。大阪の友人が「吉野山の桜を見物に行ってきた」と送ってくれたものです。

 桜に憧れ 待ち望み その花を慕い散るを惜しむ心より、桜の本質は、いっせいに咲き た

ちまち散るその「潔さ」にあるとされました。花と言えば「桜」を意味する程 あらゆる意味

で 日本人の情趣生活と深い関係があります。と書いてありました。全くそのとおりで、なる

ほどぱっと散るからねぇ です。  

 ほうじ茶は 吉野の農家の方が手造りのものだそうで、なんとも言えない香りが素晴らしい

もので、さくらまんじゅうを より一層美味しく戴きました。