散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

東京都慰霊堂 (墨田区横網)

2008-10-31 07:32:48 | Weblog
 

         慰霊堂内部です

 大正12年9月の関東大震災で特に惨禍を極めたのが、当時横網町公園として工

事中であった陸軍被服廠跡でした。この犠牲者を弔うため、昭和5年9月に竣工し

たのがこの慰霊堂です。  

 さらに太平洋戦争の大空襲により10万人を超える犠牲者で、大正震災に幾倍す

る惨状でした。公園その他130カ所に仮埋葬された遺骨を改葬火葬して、東京都

慰霊堂と改めたこの堂の納骨堂を拡張して奉安いたしました。20世紀前半の悲劇

の象徴とも言える慰霊堂です。ご冥福をお祈りします。  

 

 この弔霊鐘は、関東大震災で犠牲になった犠牲者追悼のため、中国の仏教徒の

方々により寄贈された鐘です。


両国広小路の碑(中央区東日本橋)

2008-10-30 07:41:34 | Weblog
 

 両国橋西詰、柳橋の交差点に「旧跡・両国広小路」の碑があります。江戸後期の

嘉永の頃の斬り絵を彫ってあります。火除け地として防火のために空地を設けたも

のですが、見世物小屋などで賑わいました。  

        

 近くの柳橋は神田川が隅田川にそそぐところに架けられたので、川口出口の橋と

呼ばれ、矢之倉橋を経て「柳橋」となりました。何度も架け替えられ、現在の橋は

昭和4年完成のものです。江戸時代の橋畔には船宿が並んで賑わい、明治以降の柳

橋は花柳界として名高くなりました。正岡子規は「春の夜や 女見返る 柳橋」の

句を残しています。通ったのでしょうね。

 

浅草寺菊花展11月16日まで

2008-10-29 07:30:22 | Weblog
  三色千輪咲き

          

 今年も浅草寺境内の特設会場で菊花展が始まりました。今年も盆栽菊1000点

とも言われる見事な菊で賑わっています。今年は全国的にも著名な福島県二本松市

からの特別出品された「三色千輪咲き」が参観者の目を引いていました。

 説明によるとこの菊は、赤、白、黄色の菊を接ぎ木して栽培されるとのことです

が、三色の花を同時に咲かせる技術は見事ですね。  

    

 例年出品する、地元の田原町小学校の児童が丹精した菊も出品されていて、なじ

みのファンの賞賛を浴びていました。お見事です。

宝蔵門の大わらじ (浅草寺)

2008-10-28 07:45:47 | Weblog
  
 
 10月26日(日)、浅草寺宝蔵門の大わらじが架け替えられました。片方だけ

で約500kgの大わらじは、仲見世を練り歩いたあと新旧交代しました。右側が

新しいわらじです。  

 昭和16年(1941)山形県村山市出身の松岡修三代議士が、護国の象徴とし

て(村山市HP)納めたのが始まりです。同じく村山市出身の村岡久作氏が、宝蔵

門復元のときに仁王像を彫ったのを記念して、2度目の奉納をしてからほぼ10年

に一度ずつ奉納されています。今回は1998年以来7度目です。長さ4.5m、

幅は約1.5mです。大きいですね。

両国橋と浅草橋

2008-10-27 07:38:22 | Weblog
 

 隅田川の東側のテラスから対岸(台東区)を見ると柳橋が見えます。神田川の最

下流、隅田川への出口に位置するのが柳橋。  
      


 両国橋は下総(千葉)と武蔵(東京)をつなぐので両国橋と名付けました。橋の

レリーフを見ると、相撲にちなんだ軍配と花火の模様があります。

   

 柳橋から両国橋とを眺めると、また趣が変わりますね。屋形船の向うに赤色の両

国橋が見えます。江戸時代から繁華街だった両国と柳橋界隈の関係、そして賑やか

さが身近に感じられます。

庭でやろう (マナーポスター)

2008-10-26 07:36:13 | Weblog
 

 プラットホームでゴルフの練習をしています。よく見た光景ですが今でもやって

いる人がいるのですね。傘の先を持った人があったと思いますが、これは柄をもっ

ています。どっちでもいいのですが、「濡れた傘の取り扱いに注意しましょう」で

す。ついでに「置き忘れにご注意ください」は、さすがに親切と感じました。忘れ

物センターにはいっぱいの傘があるそうですが。  

紅いもタルト (元祖・沖縄銘菓)

2008-10-25 07:43:27 | Weblog
 

 「紅いもタルト」なるものを戴いた。オーブントースターで暖めて食べると美味

しい・・と書いてあったので、レンジで20秒チンして食べました。なんともいえ

ぬ甘い味で、遠い昔の代用食(古いね)を思い出しました。  

 さつまいもの栄養価を見ると、ビタミンCが多く、一本で一日の必要量を摂取で

きる。シミソバカスに有効で便秘予防に効果あり・・などなどでした。女性が好む

ワケに納得と同時に、食糧難時代を乗り切ることが出来たのは「おいも様のお陰」

と感謝いたしました。それにしても美味しかった。

性 翁 寺 (足立区扇2丁目)

2008-10-24 07:38:35 | Weblog
  山門

            本堂      

 本尊の木造阿弥陀如来坐像は古代の作成で、東京都指定文化財になっています。

 この本尊は足立姫の菩提を弔うため作成された、六阿弥陀の余り木で作られたと

いう伝説があります。従って、広く女性往生の「木余り寺」と知られるようにな

り、多くの江戸・東京庶民の参詣地となりました。  

 このお寺は、京都知恩院を総本山とする浄土宗の寺院。神亀3年(726)行基

菩薩が庵を開いたのが始まりという古刹です。その後、慶安元年には三代将軍徳川

家光から朱印地10万石を与えられる格式をもちました。本堂の正面に二つの葵の

紋がありますが、徳川家光のお墨付きでしょうか。

恵 明 寺 (2)

2008-10-23 07:41:17 | Weblog
 

          

 六阿弥陀第弐番の札所ですが、本尊の阿弥陀仏は小台の延命寺にあったもので、

これを明治9年の合併の際にここに移したものです。また境内には、文化6年武州

足立郡沼田村と刻まれた宝きょう印塔があります。  

    

 本堂は石造りでどっしりと、手入れの行き届いた庭の芝生は印象的です。本堂の

横に回ると整備された竹林が見事です。

恵明寺・江戸六阿弥陀第弐番

2008-10-22 06:46:45 | Weblog
 

 日暮里・舎人ライナーに乗り、隅田川、荒川と渡って扇大橋駅下車、約15分歩

くと恵明寺(えみょうじ)に到着です。  

         

 足立区江北2丁目。足立姫伝説で知られる六阿弥陀第弐番の札所となっていて、

昔から春秋のお彼岸には江戸庶民が巡回したといいます。がっしりとした山門の前

の石柱には「六阿弥陀第弐番」と彫りこまれています。境内には、享保の百万遍講

中の塔や、赤子を抱く子育て地蔵が安置されています。しずかな佇まいの中に休み

所も設けられ、ゆっくりと境内を散策させてもらいました。