散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

芥川龍之介生誕の地(中央区)

2012-04-30 06:36:22 | Weblog
    

        

 中央区明石町10付近、聖路加看護大学前に中央区教育委員会による説明板があります。

 明治16年ごろ、この付近に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。作家の芥川龍之介

(1892~1927)は明治25年3月1日、その経営者新原敏三の長男としてここに生ま

れました。龍之介は誕生後7カ月にして、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られて、

現在の墨田区両国3丁目に移り、12歳の時、芥川家の養子になりました。  

 東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、夏目漱石の門に入り、「地獄変」「羅生門」「河

童」「或阿呆の一生」など、多くの名作を遺しましたが、昭和2年7月24日、35歳で自害

しています。(中央区教育委員会)

母の日

2012-04-29 07:17:50 | Weblog
  

       

 近所のスーパーマーケットで「母の顔」が展示してありました。今年も母の日がやってきま

す。こども達が一生懸命にお母さんの顔を描いたのでしょう。いいですね。こども達がこの世

で一番好きな、頼りになるお母さんを書きました。  

 今年は5月13日が母の日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日ですが、その起源は世界

中で様々であり、日付も異なるそうです。例えばスぺインでは5月第1日曜日、北欧スウェー

デンでは5月最後の日曜日と聞きます。私は、この日を「母親の事を思い出す日」にしていま

す。孝行したい時には親はなしですが、思い出して感謝しています。

 

河竹黙阿弥翁住居跡碑(浅草1丁目)

2012-04-28 06:37:15 | Weblog
    

 黙阿弥先生は、江戸末期から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言の作者です。彼の特徴は軽妙

な台詞回しで、三人吉三「月もおぼろに白魚の、篝もかすむ春の空・・・こいつぁ春から縁起

がいいわぇ」、弁天小僧「知らざあ言って聞かせやしょう」、白浪五人男「問われて名乗るも

おこがましいが」など、七五調を基調とした台詞が歌舞伎を面白く引き立てました。  

 彼は1816年に日本橋の質商に生まれました。天保の改革によって歌舞伎江戸三座が猿若

町へと移転するに伴い、浅草寺境内の正知院地内に居を構えてから約40年間創作活動をしま

した。つまり創作活動の殆どが浅草で、生涯360遍にも上る作品を残しました。

ハナミズキと山吹

2012-04-27 06:34:46 | Weblog
   

       

今年は春が遅くて花が遅れましたが、ハナミズキは何時ものように咲いています。そうなる

と例年同じように咲く山吹は?、咲いていました。あの太田道灌さんをして「勉強になりまし

た。今後はよーく勉強致します」と言わせた、七重八重花は咲けども・・のエピソードで有名

です。都電・面影橋に山吹の里の碑があります。  

   

   この時期いろいろと咲いてくれます

 ハナミズキは、北アメリカ原産だそうです。日本から贈った桜の木に対する返礼としてアメ

リカから贈られたといいますね。別名アメリカ山法師、面白いですね。もっと面白いのがイギ

リスでいわれる「ドッグウッド」。この木の皮を煎じて犬のノミ退治に使ったからだそうです

が、現在はどうでしょうか。所変わればですね。

六月八幡神社

2012-04-26 06:33:11 | Weblog
    

      旗掛けの松

 炎天寺の隣に「六月八幡神社」があります。八幡太郎義家が奥州安部一族を平定しての帰り

道、この地に社祠を建立したのが八幡神社で、傍らに寺を置き別当として、幡勝山炎天寺とし

たものです。  

    

 古来からの言い伝えによると、この地は周囲を臨む小高い丘で、義家軍源氏の白幡(旗)を

建て掛けた松の大木ありといわれます。「旗掛けの松」の木は、歴史は移り変わっても、村人

たちにより植え継がれて今日に及んでいます。4月29日には、この地の村民の厄難払いとし

て伝承される春まつり「ゆのはな」が行われます。


炎天寺

2012-04-25 06:33:08 | Weblog
    

       

 このお寺の歴史は古く、八幡太郎義家が奥州下向の際、この地で野武士と戦い苦戦の末勝利

を得たので炎天寺を建立しました。戦が六月の炎暑の最中であったので、村名を六月村、寺の

名を炎天寺と名付けたと言われます。  

    

 本堂内には、本尊阿弥陀如来のほか、薬師如来・不動明王像が祀られ、境内には庚申供養塔

・馬頭観音・五輪塔・六地蔵・わらべ地蔵など、当時の人々の哀歓をたぐる各種石造物が数多

く見られます。弘法大師像の隣には「福蛙」控えています。

炎天寺と小林一茶

2012-04-24 06:35:50 | Weblog
    

        一茶像

 足立区六月3丁目の炎天寺は、俳句で有名な小林一茶の句「蝉なくや 六月村の炎天寺」や

「やせ蛙 負けるな一茶是にあり」などで知られています。足立区教育委員会の説明によると

一茶に対する文学的評価や個人評伝は多様ですが、農民詩人、生活詩人、童謡詩人としての作

品は平易で一般の共感を得ています。  

    

特に、童謡詩人としての作品が少年期の情操教育に適することから、学童の俳句運動に発展

しました。毎年の「一茶まつり」には、全国小中学生俳句大会が開かれ、毎年20万句に及ぶ

作品が投句されるまでになっいるとのことです。  

      

 炎天寺境内の池では、やせ蛙が大きな蛙に挑戦しています。やせ蛙がそと掛けで攻めている

ようですが、勝負や如何にですね。

デンキブラン(神谷バー)

2012-04-23 06:32:59 | Weblog
    

        

 東武電車浅草駅から電車に乗って見つけました。「デンキブラン」の広告です。「かくれん

ぼのとき 電話ボックスは反則だかんね」「昔話しながら、ま、一杯」と風情がありますね。

 もう一枚「相席=お友達が増えそうです」もいいです。  

   

 浅草1丁目1番1号の神谷バーが、1880年に売りだしたブランデーペースの「デンキブ

ラン」は、ガス灯から電気に変わる時代を象徴して人気が出たといいます。デンキブランアル

分30度720ミリリットルが880円、同40度が1120円。

生命の言葉(東京都神社庁)

2012-04-22 06:47:12 | Weblog
      

 東京都神社庁4月の生命の言葉です。「至誠にして動かざる者は 未だこれ有らざるなり 

吉田松陰」。解説は 誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことがで

きる。物事や人を突き動かす上で「誠」の心がいかに大切かを説いた言葉。「吉田松陰名語

錄」とあります。  

 吉田松陰 1830~1859年。萩(長州)藩士杉百合之助の二男として萩市に生まれ、

山鹿流兵学師範吉田大助の養子になる。松下村塾を主宰し、生徒の自由と個性を重んじながら

実践的な学問を教授し、高杉晋作、久坂玄瑞など多くの人材を輩出しました。

食堂「塩梅」(浅草1丁目)

2012-04-21 06:46:03 | Weblog
    

        

 雷門通りにある食堂です。五月晴れのいいお天気だったりすると、「いいあんばい」なんて

いいますが、うまい名前を付けたものですね。塩梅とは、もともと塩と梅酢を合せた調味料を

意味していたといいますね。食べ物屋さんは、その味加減がいいとお客さんも喜ぶし繁盛もす

るわけです。「あんばい」とふりがなが付いているのがいいですよ。  

      

 この店は地下にあり、間口1mの狭い階段をおります。お昼のメニューは何でも850円。

 鶏の竜田揚げ、海鮮ばらちらし丼、銀ダラ西京漬などなど、週替わり日替わりと嬉しい献立

が揃っています。聞くと渋谷、目黒などにも出店しているようです。