散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

子 規 庵 

2006-04-20 08:09:15 | Weblog
 

 

 正岡子規の生前には夏目漱石、森鴎外、中村不折、浅井忠、高浜虚子、河東碧梧

桐、内藤鳴雪、伊藤左千夫、与謝野鉄幹、島村藤村など、友人、門弟等が訪れ、近

代文学の原点の一つとなった。子規没後、母堂、妹が住み、引き続いて句会、歌会

の世話をした。

 関東大震災で家屋がやや傾いたが無事であった。昭和2年寒川鼠骨の提案で土蔵

(子規文庫)を建設。昭和20年4月14日、空襲で子規庵及び隣の寒川鼠骨宅も

焼失したが幸い蔵のみ残る。鼠骨等は子規庵再建に努め、昭和25年6月19日再

建なる。昭和27年11月3日、子規庵が東京都文化史蹟に指定される。

 首あげて 折々見るや 庭の萩 (明治35年初秋)

 写真は子規庵の玄関と都文化史蹟の由緒。

撫 牛

2006-04-12 08:38:17 | Weblog
  

 牛嶋神社の境内には「撫牛」(なでうし)がいます。これは自分の体の悪い部分

をなで、牛のおなじところをなでると病気がなおるというものです。この風習は江

戸時代から知られていました。牛嶋神社の撫牛は体だけでなく、心も治るというご

利益があると信じられています。また、子どもが生まれたとき、よだれかけを奉納

し、これを子どもにかけると健康に成長するという言い伝えもあります。

 この牛の像は、文政八年(1825)ごろ奉納されたといわれ、それ以前は牛型

の自然石だったようです。

 明治初期の作家、淡島寒月の句に「なで牛の石は涼しき青葉かな」と詠まれ、掘

辰雄は「幼年時代」で、「どこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだ

った」と記すように、いつも人々に愛されていました。(墨田区教育委員会)