正岡子規の生前には夏目漱石、森鴎外、中村不折、浅井忠、高浜虚子、河東碧梧
桐、内藤鳴雪、伊藤左千夫、与謝野鉄幹、島村藤村など、友人、門弟等が訪れ、近
代文学の原点の一つとなった。子規没後、母堂、妹が住み、引き続いて句会、歌会
の世話をした。
関東大震災で家屋がやや傾いたが無事であった。昭和2年寒川鼠骨の提案で土蔵
(子規文庫)を建設。昭和20年4月14日、空襲で子規庵及び隣の寒川鼠骨宅も
焼失したが幸い蔵のみ残る。鼠骨等は子規庵再建に努め、昭和25年6月19日再
建なる。昭和27年11月3日、子規庵が東京都文化史蹟に指定される。
首あげて 折々見るや 庭の萩 (明治35年初秋)
写真は子規庵の玄関と都文化史蹟の由緒。