散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

炎 天 寺 (足立区六月町)

2010-06-10 06:19:59 | Weblog
      

               

 天喜年間(1053~1057)源頼義・義家父子が奥州の安倍一族征伐のおり、この付近

で苦戦し、石清水八幡宮に祈願して勝利を収めたので、八幡社と炎天寺を建立したと伝えら

ています。  

        

 堂内には、本尊阿弥陀如来のほか薬師如来、不動明王が祀られ、境内には庚申供養塔、馬

頭観音など各種石造があります。俳人小林一茶の「やせ蛙・・」にちなんでか、本堂前には

大きな福蛙が鎮座しています。

やせ蛙負けるな・・(炎天寺)

2010-06-09 14:56:41 | Weblog
                            
             
              
 
足立区六月町の炎天寺です。小林一茶が「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」と応援して

おります。ここでは春夏秋冬の年中場所で、勝負はお預けがきまりです。

 四日の朝、突如パソコンが壊れて、とうとう新品と取り換えでした。ずいぶん長く使いま

したので「御苦労さま」でしたデス。

天獄院・細井平洲の墓(西浅草)

2010-06-03 07:05:28 | Weblog
       山門

               都旧跡の説明板

 細井平洲は江戸時代の儒学者で、実学を重んじ、経世済民を目的とした教えは、全国各地

の大名から一般庶民まで幅広い層の心をとらえ、各藩の賓師として迎えられています。 

 平洲が37歳のとき、米沢藩(山形県)の藩主になる当時14歳の上杉治憲(鷹山)の師とし

て迎えられました。17歳で藩主になった鷹山は平洲の教えを実行して、人づくりを通して

農業や産業を振興し、藩の財政を一代で立て直し、名君とうたわれました。お墓は東京都の

旧跡に指定(昭和17年)されています。

カッパ橋商店街に緑を(西浅草)

2010-06-02 07:15:53 | Weblog
       軒先に緑が

                カッパも嬉しそう

 カッパ橋商店街といえば、本物より本物らしい食品サンプルなど厨房器材などで知られて

います。その昔、洪水防止の掘削工事をカッパくんたちが手伝ってくれたという伝説が、カ

ッパ橋の由来とか。  

 今度はカッパの頭のお皿を乾かさないようにと、お店のひさし部分につる性の植物を植え

たプランターと、雨水をためるタンクを設置、商店街に潤いをもたらす試みを行っている。

         スカイツリーも見ています

 東側を見れば東京スカイツリーが中天に聳えています。緑の日よけが育って、街を訪れる

お客さんも「カッパくん」も喜ぶことでしょう。

日 輪 寺 (台東区西浅草)

2010-06-01 07:12:29 | Weblog
       南無阿弥陀仏

                 山門

 説明によると、正式には神田山芝崎道場日輪寺といい、創建は9世紀、武蔵国豊島郡芝崎

村(現千代田区大手町)に天台宗の了円法師が開基。天慶の乱で戦死した平将門のお墓が築か

れたが、後に荒廃して将門の亡霊が村民を悩ますようになりました。  

 嘉元年中(1303~6)、時宗二祖他阿真教上人が丁重に供養し、その霊を神田明神に祀った

ところ、村に平和が戻りました。上人は村人に請われて日輪寺を時宗の念仏道場に改めたと

いいます。  

 江戸時代、都市整備や災害復興などで何度か移転しましたが、現在地に移転したのは慶長

8年(1603)と、明暦3年の大火後の二説あります。昭和40年までこの付近は芝崎町と言い

ましたが、これは日輪寺に由来し、境内には南無阿弥陀仏の石塔があります。