天女の微笑み(浅草寺) 2012-03-31 07:09:16 | Weblog 浅草は今日も賑やかです。団体さんはバスの停留所のある馬道から二天門を通ってお参りに きます。この日も外国から多勢の観光客が訪れていました。最近は家族連れでの観光客も多い ようですよ。 香炉のけむりも、見よう見まねで面白がっています。本堂への階段に座って記念写真を撮っ たあと、本堂に進んで手を合せます。天井から天女が優しく見守っていますね。
浅草奥山風景 2012-03-30 06:37:00 | Weblog 東京スカイツリー開業記念・江戸のこころ大浅草観光祭は、3月10日から5月7日まで開 催されています。迎え提灯をくぐって大木戸を入ると、火の見櫓と番屋、梯子に半鐘、矢場で は「あたり~」と声がかかります。江戸時代にタイムトラベルです。 江戸千代紙、組み紐、祭り用品、提灯、江戸凧などの他、牛めしの浅草今半、甘味茶屋の常 盤堂、天麩羅茶屋の葵進などなど が来場者の胃袋を刺激しています。
平成浅草小判の賑わい 2012-03-29 06:36:28 | Weblog 浅草寺西側一帯は通称奥山と親しまれ、江戸時代から大道芸や見世物小屋が並び盛り場浅草 発祥の地でした。その場所に江戸時代さながらの街並みを再現して、江戸小物、版画、玩具、 提灯、指物、手拭などのお店が並んでいます。 大浅草観光祭。三社祭七百年を祝って記念小判が発行され、江戸の気分も盛り上がります。 いわゆる平成小判で1枚500円で両替します。これを持って「奥山のお店」で買い物をす るなどして江戸風情を楽しむというもの。近所の小学校の社会科の勉強でしょうか、子供の団 体が「江戸の街」を見物していました。
隅田公園の桜 2012-03-28 06:32:14 | Weblog 「ワシントンの桜が満開」のニュースを聞いて、わが隅田公園はいかにと偵察しました。 つぼみはやや膨らんでいますが、まだ暫くかかるようです。今日から気温も上昇して春らし くなる予報ですから、急速に開花するのでは と期待しています。 川向こうの東京スカイツリーは開業まで55日、業平橋駅も「スカイツリー駅」と改称にな りました。在原業平さんもがっかりでしょう と考えていたら、次はスカイツリー スカイツ リーですとアナウンスが聞こえました。そうでしたね分かりましたデス。
楫取稲荷神社(蔵前2丁目) 2012-03-27 06:40:27 | Weblog 慶長年間に江戸に幕府が開かれ、米蔵を造営するための石材を遠く肥後熊本から運搬してい ました。しかし、途中の遠州灘の沖でしばしば遭難に逢い困っていました。ところが或る時、 稲荷の神の示現を得て以後は航海安全を得ることができました。その神徳奉賛のため社を浅草 御蔵の中に創起し、楫取りと称え今日に至っています。 楫取は、神徳に因んで付けられたもので、船の楫取りをした稲荷の神の社という意があるそ うです。此の地に楫取稲荷神社が鎮座以来370年、ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのか み)、御年神(としがみ)、豊受姫神(とようけひめのかみ)です。
白鵬決定戦で鶴竜を降す 2012-03-26 06:31:31 | Weblog NHKTV 大相撲大阪場所の千秋楽は、白鵬と鶴竜が13勝2敗で同点となり優勝決定戦の結果、白鵬 が勝って22回目の賜杯を受けた。鶴竜にすれば長蛇を逸した一番だったが、大関昇進は確実 視されており、来場所も頑張ってほしいですね。 大関陣は終盤戦で星のつぶし合いで必ずしも誇れる星でなかったですね。把瑠都5敗、日馬 富士4敗、稀勢の里6敗、琴欧州7敗、琴奨菊6敗でした。5月場所では6大関になると思わ れるが、10勝はほしいです。豊真将、高安が上位に上がると思われるが、今度こそ上位に定 着してもらいたいです。
長寿山灯籠(鷲神社) 2012-03-25 07:04:47 | Weblog 鷲神社の境内には、高さ5メートル近い巨大な灯籠がデーンと座っています。銘文によりま すと昭和61年9月吉日 茨城県筑波御影石 総重量35トン 高さ15尺(4.7メートル) 長寿山灯籠とあります。 祭礼のとき、足立区登録文化財の「島根ばやし」とともに、この灯籠に明かりが灯ると壮観 であろうと思います。見事な灯籠ですね。
白鵬2敗 鶴竜1敗守る 2012-03-24 06:36:56 | Weblog 熱戦 鶴竜 大相撲大阪場所は7度目の満員御礼で賑わった。13日目の熱戦で稀勢の里が白鵬に土をつ けて、稀勢の里ここにあり(解説北の富士さん)と勝ち越しを決めた。関脇鶴竜は大関琴奨菊 を右上手出し投げで降して12勝1敗で大関にあと一歩としました。 把瑠都は3敗、日馬富士も3敗、あと2日間の星でどう転ぶか優勝戦線は混沌としてきたよ うです。熱戦の大阪場所満員御礼が続きそうです。
鷲神社(わしじんじゃ・足立区島根) 2012-03-23 06:43:28 | Weblog この社の形がいいですね。私は年に1~2度お参りに来る神社です。古代に日本武尊が海岸 線の近くあったこの場所に着いたので浮島明神と祭祀し、文保2年(1318)に武蔵国足立 郡島根村の鎮守として中興され、大鷲神社と唱えたといいます。 この地域は風光に優れ、徳川吉宗の鷹場の故事に関わり、地元教育にも尽力した吉田順庵家 塾や酉の市祭祀等の伝えが知られています。明治の俳聖正岡子規も「うぐいすの 梅島村に 傘かわく」の句を残しています。
赤穂義士・間新六供養塔 2012-03-22 06:41:03 | Weblog 築地本願寺に赤穂義士の間新六供養塔があります。父の間喜兵衛の二男ですが、この父と兄 十郎とともに主君の仇打ちに加わり、翌年2月に麻布の毛利邸で切腹、姉婿の中堂又助がここ に葬りました。他の義士と共に泉岳寺に墓石がありますが、新六のみが当寺に葬られたのは当 寺の檀徒であったのか、あるいは生前の特志によるものであろうかと言われています。 築地本願寺には、新六が吉良邸討ち入りののち泉岳寺に引き上げる途中、自身の供養を願い 槍に書状と金子を結びつけて本願寺内に投げ入れたという伝承が伝えられいます。この供養塔 は、当初のものが天保5年(1834)火災にあって焼失したため、羽佐間宗玄が再現したも のと伝えられます。昭和13年10月東京都文化財に指定されています。