散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

写真だけの結婚式

2007-04-30 07:47:34 | Weblog
 

 国道4号線(日光街道)沿いの老舗「写真館」です。いつごろからこの看板があ

ったのか、気がつきませんでした。  

 「写真だけの結婚式」、いろいろな反響があると思いますがね。私は座布団1枚

差し上げたいです。経済的な理由で「式」を挙げられないカップルが、思いを込め

た記念の一枚を撮影する心理をわかってあげたいですね。きっとこの一枚が生涯の

宝物になること必定でしょう。ガンバッテです。 

新緑も日ごとに色濃く

2007-04-29 07:50:15 | Weblog
 

 

 いよいよ黄金週間(昔はこう言いました)です。皆さんも計画を立てて旅行した

り、遊園地に行ったり楽しんでください。バスの停車場からの眺めもずいぶん緑が

濃くなりました。角を曲がると、つつじが綺麗ですね。鮮やかな赤色が目に飛び込

んできました。天神様の藤の花もやがて花開くことでしょう。

 安倍総理はアメリカから中東方面訪問の旅です。健康に留意して友好を暖めてほ

しいと思います。

 

出世不動尊(江東区三好1丁目)

2007-04-28 07:55:57 | Weblog
 

 

 江戸の昔の史蹟・遺跡を見る時に必ず出てくるのが明暦の大火です。霊巌寺が越

前堀から深川に移転したのも明暦の大火です。1657年の大火で焼失して、移転

のために隅田川沿いの湿地を埋め立てて、寺を建立することを許されましたが、た

いへんな難工事を強いられました。その頃、近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中

に、本尊の不動尊像が現れて「手助けをしたいので江戸に連れて行くように」とお

告げがあったと言い伝えられています。 

 霊巌寺の工事をしているところにお堂を建てて安置したところ、工事は順調にす

すみました。後に不動寺に安置された上人から「出世不動」と命名されたというこ

とです。関東大震災後に長専院と合併し、以来「出世不動尊」として信仰を集めて

います。境内には大きな梵鐘がありますが、これは釣鐘でしょうと思いますが何故

か置いてありますね。安置してあるのでしょうか。

霊巌寺(江東区白河1丁目)

2007-04-27 07:56:33 | Weblog
 

 

 霊巌寺は、徳川家康・秀忠・家光に信頼のあった雄誉霊巌が、現在の中央区新川

霊巌島に寛永元年(1624)に創建しましたが、明暦の大火による焼失後、万治

元年(1658)に海浜の低湿地を、在職珂山とその弟子により埋め立てられ、現

在の地に移転しました。 

 境内には、「松平定信の墓」や、東京都重宝「江戸六地蔵」の一つである「銅造

地蔵菩薩坐像」があります。(江東区見所紹介)

清澄白河駅のアートデザイン

2007-04-26 07:53:16 | Weblog
 

 都営地下鉄「清澄白河駅」のホームの両側の壁には、「20世紀文明の化石」と

題するアートデザインがあります。ホームの説明文によると、この作品の素材は、

20世紀の高度経済成長期に、東京の産業地区である江東区でも多く生産されてき

たものです。壁面のデザインは、各種の工業製品のスクラップを再利用(リサイク

ル)したものです。 

 表現している内容は、ビックバンに始まる宇宙誕生、太陽系形成、日本列島の誕

生、日本の首都東京の進展、未来の展望などをイメージしているものという説明で

す。うーむじっと見てるとナールホドですかね。

 

名物「深川めし」の味

2007-04-25 07:35:15 | Weblog
 

 

 江戸時代の深川は漁師町として栄え、江戸前の魚介類や海苔などを捕る漁師さん

たちが多勢いました。特に、上質のあさりや牡蠣などが沢山捕れ、それらは深川の

名物とされていました。  

 「深川めし」は、ざっくり切った葱と、生のあさりを味噌で煮込んで熱いご飯に

ぶっかけた食べ物です。忙しい漁の合間に手早く作れ、美味しくて栄養価のたかい

深川めしは、漁師の日常食として重宝されたと聞きました。たしかに美味しいもの

です。一度は試してみる価値があります。

清澄庭園(江東区清澄3丁目)

2007-04-24 09:46:01 | Weblog
 

 

 開園は昭和7年7月、約8万1千平方米の回遊式林泉公園です。一説には江戸の

豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。享保年間(1716~17

36)に下総国、関宿の城主久世大和守の下屋敷となり、庭園のもとが形造られま

した。明治11年(1878)年に岩崎弥太郎がこの邸地を社員の慰安や貴賓を招

待する場所として造園を計画、明治13年(1880)に「深川親睦園」を開園し

ました。  

 その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ、築山、枯山

水を中心に周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回

遊式林泉公園」として完成しました。昭和54年(1979)3月31日には、東

京都の名勝に指定されています。

 なお、大正12年(1923)の関東大震災や、昭和20年(1945)3月の

大空襲の時には避難所として多くの命を救いました。

深川江戸資料館(江東区白河1丁目)

2007-04-23 07:48:27 | Weblog
 

  屋根の上には猫

 資料展示室は、地下1階から地上2階までの吹き抜け空間に、江戸時代の町並み

や庶民の生活ぶりを再現しています。時代は1842年代を想定しています。長屋

2棟をはじめ八百屋、つき米屋、火の見櫓、猪牙舟が浮かぶ掘割、家の中の生活用

品類一つ一つにまで、細かく気を配っています。

 屋根の上には猫がいて、体を動かしながらミャーオと声を出したり、鶯など小鳥

のさえずり、鶏の鳴き声、物売りの声などが聞こえて、暮れ六つの鐘が時を告げて

日が暮れます。年配の人々にとっては「なんとも懐かしい」風景が下町情緒を盛り

上げ、そこは150年前のお江戸の世界です。

稽古とは・・・ (千利休)

2007-04-22 07:49:06 | Weblog
 

 稽古とは 一より習い十を知り 十よりかへる 元のその一 これは東京都神社

庁が、都内の神社に掲示している教えです。

 稽古というのは、初めて一を習うと、十まで習い、元の一に戻って、再び一を習

う時とでは、人の心はまったく変わっているものです。十まで習ったからこれでよ

いと思った人の進歩は、それで止まってしまい、その真意をつかむことができない

との教えです。うーむ そのような。

つつじまつり(文京区・根津神社)

2007-04-21 07:44:50 | Weblog
 

 行ってきました「つつじまつり」です。50種類あるので、花の咲く時期もそれ

ぞれ違うということで、あと半月はおまつりが続くそうです。とは言うものの今を

盛りと咲き誇っていますね。 

 見物の人々もいっぱいで、約3000株といわれるつつじ園は、2千坪もありま

すが満員の盛況。将軍家宣が奉納したといわれる三基の大神輿が現存していますが

さのうちの一基がつつじまつりの期間中(5月6日まで)公開されます。

 屋台もたくさん出て、まことに賑やかです。