散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

橋本薬師堂 (浅草寺境内)

2009-05-31 07:20:28 | Weblog
       

 昔は観音堂(浅草寺本堂)の北方にあって、北薬師と呼ばれていたそうです。慶

安2年(1649)三代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のか

たわらにあったので、家光自身が橋本薬師堂と名付けました。 

 平成6年に現在の場所(観音堂西側)に移転しました。この建物は、浅草寺境内

に残る堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古

い建築といわれています。本尊は薬師如来坐像です。

紫陽花の季節

2009-05-30 06:54:16 | Weblog
      

           

 列島の南に停滞している低気圧の影響でしょうか。連日の雨天ですが梅雨のはし

りでしようか。季節は紫陽花の季節になりました。 

 箱根登山鉄道の線路わきの紫陽花を思い出します。そろそろライトアップされる

でしょうね。それと北鎌倉の名月院、熊谷市の保安寺の紫陽花も有名。むかしむか

し見物したことを思い出します。この花は挿し木で容易に栽培できるので、最近は

街中でもキレイな花が見えます。雨の季節ですね。

     アクセントに赤い花を

憧れのハワイ航路・悲しい酒

2009-05-29 06:59:32 | Weblog
      

 作詞の石本美由紀さんが亡くなりました。終戦後、小畑実の長崎のザボン売り、

薔薇を召しませを聞きましたが、なんと言っても岡晴夫の憧れのハワイ航路でした

ね。焼け跡闇市派の少年でした。底抜けに明るい歌声、は~れた空 そ~よぐ風

み~なと出船のドラの音愉し に元気付けられました。  

 それから18年を経た昭和41年、美空ひばりの悲しい酒に感動しましたね。ガ

ード下のバーで、カウンターに10円玉を積んでリクエストしたものです。石本さ

んの歌にはたくさんの名曲がありますが、時代背景と自分の年代とを重ねて考える

と、やっぱりこの2曲ですね。合掌。

生命の言葉 (東京都神社庁)

2009-05-28 07:29:00 | Weblog
        

 五月は楠木正成の言葉を掲示しています。

 「遊びも度重なれば楽しからず 珍膳も毎日食べればうまからず」とあります。

 これは楠木正成の座右の銘の一条です。  

 歓楽というものは、その度合いが過ぎると、もう楽しみではなくなる。人は歓楽

を目的として生きるものではなく、人の勤めは人としての仕事に精を出すというこ

とである。と解説しています。もって範とすべしです。

ドリームジャンボ宝くじ

2009-05-27 10:00:45 | Weblog
      

 今年もドリームジャンボ宝くじ(一等前後賞3億円)、ミリオンドリーム宝くじ

(100万円が9千本)が発売になりました。宝くじと言えば西銀座デパートチャン

スセンター、大阪駅前ビル特設売り場が人気ですね。  

 これは高額当選を連発して人気があるのでしょうが、よく当たるのはそれだけ多

くの枚数を売ってるからで、確率は平等でしょう。それでもながーい行列に並んで

やっと買い求めるところは、これ人情。この写真は千駄木の不忍通り「みずほ銀行

前」で、宝くじの宣伝しているお嬢さんです。一人も行列している人はいませんで

したよ。お嬢さんの誘いにのって買いました。当たっておくれデス。

「社でやろう」

2009-05-26 07:21:09 | Weblog
        

 東京メトロのマナーポスターです。「マナーモードに設定の上、通話はご遠慮く

ださい」、電車の中で何回も聞いた放送です。  

 例えば「はいはい 毎度お世話さまです。ええ結構です 明後日ですね。わかり

ました。宜しくお願いします」などと、本当に「会社でやってくれ」と言いたくな

るセリフを大声でやっている人がいます。困りますね。

日馬富士 おめでとう

2009-05-25 07:12:58 | Weblog
       

 大相撲五月場所の千秋楽は久し振りに力が入った。大関3場所目の日馬富士が初

優勝を果たしました。本当におめでとうです。  

 130kgという相撲界では小柄の方だと思うが、素早い動きで昨年暮れ大関に

昇進し、三月場所の後半から動きがよくなった。今場所は期待していたが、14勝

1敗で白鵬との決定戦を制して初優勝した。今後は名古屋場所に向けて体調を整え

て、もっと上を目指してください。

夏目漱石旧居跡(文京区向丘)

2009-05-24 07:27:21 | Weblog
        

 碑文によると、夏目漱石は明治38年1月英国から帰り、3月3日ここ千駄本町

57番地に居を構えた・・とあります。以下碑文のまま。

 前半2カ年は一高と東大の授業に没頭したが、38年1月「我輩は猫である」

「倫敦塔」等を発表して忽ち天下の注目を浴び、更に「猫」の続稿と並行、39年

初から「坊っちゃん」「草枕」「野分」等を矢継早に出して、作家漱石の名を不動

にした歳末27日に西片町に移り、翌40年4月朝日新聞に入社し、以後創作に専

念した。千駄本町は漱石文学発祥の地である。  

 森鴎外もまえにその家に住んでいた。家は近年保存のため移築され、現在犬山市

明治村にある。(題字は川端康成です。)

根津裏門坂(文京区千駄木・根津)

2009-05-23 07:20:29 | Weblog
       坂の上から

          

 根津神社の裏門前を、根津谷から本郷通りに上がる坂です。根津神社の現在の社

殿は、宝永3年(1706)五代将軍徳川綱吉によって、世継ぎの綱豊、後に六代

将軍家宣の産土神(うぶずなかみ)として創建されました。形式は権現造り。規模

も大きく華麗で、国の重要文化財となっています。  

 坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ

家「猫の家」がありました。「我輩は猫である」を書き、一躍文壇に出た記念すべ

き所です。家屋は明治村に移築されています。

永 代 橋 (中央区~江東区)

2009-05-22 07:02:51 | Weblog
    

 富岡八幡から西へ進むと永代橋。橋の長さは185メートルあり、関東大震災で

被災して大正15年に完成したのが現在の橋です。  

 最初は元禄11年(1698)に隅田川で4番目に作られた橋です。五代将軍徳

川綱吉の50歳を祝ったもので、「永代橋」の名は左岸の佐賀町辺りを永代島と呼

んでいたからという説と徳川幕府の繁栄を祈っての説があります。 

 深川富岡八幡の祭礼に集まった群衆の重さで、橋が落ちるという惨事があり、大

田南畝の狂歌に「永代とかけたる橋は落ちにけり 今日は祭礼 あすは葬礼」とい

うのがあります。大事件でしたね。