散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

芋 坂 (荒川区ー台東区)

2011-08-31 10:22:53 | Weblog
        
善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は未詳。明治15年頃日本鉄道会社の東

北線(現JR)が通じて分断され、袴線橋となっています。伊藤晴雨が描いた「根岸八景」の

「芋坂の晩鐘」は、天王寺の五重塔を望むのどかなたたずまいをよくあらわしている。(荒川

区教育委員会)  

     台東区の表示

 台東区側の「芋坂」の表示によると、「この坂で 自然薯(山芋)が取れたのに因むとい

う」となっています。芋が取れたから芋坂 説得力がありますね。正岡子規をはじめ夏目漱

石、泉鏡花などの作品にも登場している芋坂です。慶応4年の上野戦争で官軍に敗れた彰義

隊士がこの坂を駆けおりて、羽二重団子の店の床下に刀槍を投げ込み、野良着に着かえて日光

を目指して走ったと伝えられています。

羽二重団子(荒川区東日暮里)

2011-08-30 07:02:14 | Weblog
   

        

 文政2年(1819)創業、醤油の「焼き団子」とあづきの風味が香る「餡団子」、これを

4個を串にさしたもので、くぬぎの消し炭で焼かれたものだそうだ。煎茶の入った急須と共に

運ばれてくる。テーブルに座って、見事な庭をも見物できるのです。  

     

 ところで羽二重とは?若い方のために。羽二重は肌ざわり抜群の絹織物で、中でも経糸を細

い2本にして織るため、やわらかく軽くて光沢のある布になる。和服の裏地として最高級とさ

れています。きめ細かい団子を人々は「羽二重」と呼びました。「消し炭」もどんなものか分

かりますか、解説は又の機会にしましょう。 

 正岡子規は、店の内には十人ばかり腰掛けて喰い居り、店の外には女二人佇んで団子の出来

るを待つ。根岸に琴の鳴らぬ日はありとも、此店に人の待たぬ時はあらじ と日常の団子屋の

風景を記述しています。繁盛していますね。

 

 

羽二重団子と秋山真之

2011-08-29 06:24:32 | Weblog
    

         

 バルチック艦隊と戦った連合艦隊参謀秋山真之が、鴬横丁に正岡子規の遺族、母八重と妹律

を訪ねる時の様子が、司馬遼太郎「坂の上の雲」雨の坂(文庫第8巻)にある。連合艦隊凱旋

の観艦式が明治38年10月23日横浜沖で行われた。その2日後、早朝に家を出た真之は、

芋坂とよばれているあたりの茶店でひとやすみした。  

 それから「めしがあるかな」と、松山なまりで問う。小女「団子ならありますよ」となるわ

けだが、朝食をたべてこなかった真之は団子を食べて子規宅へ向かうことになる。当時から

「藤の木茶屋」の団子は、そのきめのこまかさから羽二重団子とよばれて、往還を通る人々か

ら親しまれている・・と。子規も「芋坂の団子売る店にぎはいて 団子くふ人 団子もむ人」

と詠んでいますね。(現在の東日暮里)

風雷神門

2011-08-28 06:27:02 | Weblog
    

 表から見ると「雷門」、裏から見れば「風雷神門」と書いてありますね。江戸っ子はひやか

しで「風の神 雷門に いそうろう」と言いますね。俗に雷門で通っていますから風の神は遠

慮しながら居候している・・というわけです。面白いですね。  

 

       

     

 仲見世は賑やかです。雷おこしと人形焼を3袋で1000円とあります。どの程度の量かは

分かりませんが3袋で1000円は魅力です。お煎餅屋さんは「わざとこわし割煎」と書いて

いますよ。割れた煎餅は くずもの と思われるので説明したのでしょうね。手焼だからこそ

出せる米の香、たれの味と大きく宣伝しています。さぁいらっしゃいデス。

 

 

白浪五人男(伝法院東通)

2011-08-27 06:49:13 | Weblog
  日本駄右衛門

 河竹黙阿弥の代表作「白浪五人男」は、「鼠小僧」と並ぶほど有名な盗賊達を描いた歌舞伎

の演目として親しまれてきました。主役の五人の大盗賊が用心棒となって、伝法院通りを守っ

ているというところでしょうか。

   弁天小僧

          忠信利平

 ところが親分の日本駄右衛門、弁天小僧菊之助、忠信利平の三人の姿しか見えませんね。さ

すがは盗賊、どこかに隠れているのでしょう。今度行ったときには、南郷力丸、赤星十三郎を

きっと見つけてお縄にしなくてはなりませんね。

おいもやさん興伸(仲見世)

2011-08-26 06:26:54 | Weblog
  

 仲見世と伝法院西通り交差点には、美味しい「芋の店」があります。創業130余年の老舗

芋問屋「川小商店」が開いた芋菓子専門店です。下町浅草の味「大学芋」、その味わいは特に

若い女性を引きつけているようです。甘味の不足した時代に東大赤門近くの定食屋のおばちゃ

んが、学生に甘いものを食べさせてあげたいと考案したものが、学生に人気となって付いた名

前が「大学芋」だそうです。  

    

        

 仲見世には有名な「あげまん」もあり、おしゃべりしながら食べる人々。また大学芋を求め

て浅草寺に向かって歩きながら食べる人もありますね。

川口松太郎句碑(浅草神社)

2011-08-25 06:24:27 | Weblog
    

        

 浅草神社の鳥居近くの境内に、川口松太郎の句碑があります。大先輩の久保田万太郎氏の区

碑に寄り添うように「生きると いうこと むずかしき 夜寒かな」とあります。  

 明治32年10月1日浅草今戸の生まれ。昭和10年第1回直木賞受賞の「鶴八鶴次郎」を

初めとして、小説脚本に名作多く文壇劇団に多大な足跡をしるす。特に新派俳優花柳章太郎、

水谷八重子等によって演じられた情緒豊かな緒作品は観客を魅了した。=中略=

 故人の終生の師久保田万太郎の傍らに、同じく句碑を建てて逝者偲ぶ。松竹株式会社以下が

連名でその遺徳をたたえています。

宝蔵門・香炉

2011-08-24 06:39:39 | Weblog
   本堂

        

 浅草寺と言えば雷門、仲見世から伝法院通りを過ぎれば宝蔵門です。鉄筋コンクリートの立

派なものですが大提灯の下には「護り龍」がいます。  

    

 浅草寺の本殿へお参りする前に香炉の煙が漂います。この煙を浴びると病が治ると信じられ

るもので、頭や胸、足などにけむりをすりつける人々の姿が見られます。もともと体を清める

ために煙を浴びていたと、すなわち身体の汚れをはらってからお参りすると言われています。

 でもお財布に煙をあてる人はあまり見かけませんですよ。

懐かしい「昭和軒」

2011-08-23 06:34:13 | Weblog
     

 浅草花川戸の横丁で懐かしい居酒屋を発見 その名も「昭和軒」。平成23年ともなると、

明治、大正はちと遠すぎます。   

 先ず「昭和軒」の書体がよろしい。くすりはとやまの広貫堂、殺虫剤はキンチョール、キッ

コーツネ醤油、元気ハツラツオロナミン・・と続きます。まさかキンチョールを飲むわけでは

ないが、広告看板で昔を思い起こします。まだ準備中でザンネンでした。

護り猫「御縁門」(浅草神社)

2011-08-22 06:52:19 | Weblog
  

        

 大きな猫ですね。ゴエモンと呼びますが浅草神社の境内に鎮座しています。幅約2.8mで

高さ約3.6m。東京芸大デザイン科の学生が制作したものを、雷門一之宮商店会が里親とし

て引き受け浅草神社に奉納したものです。この猫は150匹以上のネコが体や顔、耳、しっぽ

を形作り、一匹の猫になっていますが、よーく見てください。 

 浅草は「招き猫発祥の地」と言われます。昔、花川戸の老婆が生活が苦しく親戚に厄介にな

ることになり、可愛がっていた猫を連れていけないので泣く泣く手放した。その後、老婆の夢

に猫が出て「私の姿をこしらえて祀れば必ず福徳があります」と告げました。老婆はお告げの

とおりにすると、生計がたつようになり元の家に戻ることが出来ました。これが評判になって

今戸焼の「護り猫」を貸出して大繁盛した人がいたといいます。