休日の今日は、天気が良ければ富士山に紅葉狩りの予定でしたが、朝起きると曇り空。
潮周りが良くないので、海釣り案も却下です。
結局、先日亡くなった義母の墓参りを兼ねて、山北町の河村城址と小田原の最乗寺にしました。
案内は、過去に集めた地元のパンフレットです。
12世紀末に河村氏が築城したと伝承されています。
戦国時代には関東管領上杉氏、大森氏の持城となった時期を経て、北条氏が甲斐の武田氏に備えた
山城として機能していましたが、1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めで落城し、廃城し
たとの事です。
今回の目的は、富士山の宝永火山の噴火により大量の火山灰が降り積もり、作物の育成が出来なく
なった時に行われた、大地の天地返し見学でした。
火山灰を下にして、それまでの土壌を上にする、とんでもなく手間のかかる作業です。
そうでもしなければ、この大地で生きてゆけなかったのです。
残念ながら発掘作業は2003年~2005年に行われたためか、現在では痕跡がありませんでした。
先人の苦労の跡を見てみたかったです。
その後、神奈川県南足柄市の最乗寺に出かけます。
最乗寺は先日亡くなった義母の菩提寺と同じ宗派の、曹洞宗のお寺です。
境内の奥の結界門の先からは、道了尊(道了大薩捶)が祀られています。
門の左右の天狗像が力強いです。
「守護妙覚道了大薩」が祀られている「御真殿」では、特別祈祷が行われていたので
見学を兼ねてちゃっかり便乗してきました。
最後の目的地の奥の院までは、きつ~い階段が続いています。
奥の院には道了尊の化身とされる十一面観音が祀られています。
宗教施設は、行事に参加して初めて良さが理解できます。
遠慮は不要で、どんどん参加しましょう。