このブログもあと少しなので、新しいブログに引っ越しました。
https://ameblo.jp/sakuyahime2025/ です。
名前は 霧中山歩 で今と変わりません。
よろしくお願いします。
検索エンジンに引っかかるまで少し時間がかかるかな。。。
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名前は 霧中山歩 で今と変わりません。
よろしくお願いします。
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昨日は猛暑の中 三島市にある佐野美術館で開催されている
「ダヤンの不思議な旅」の鑑賞に出かけました。
パステルと色鉛筆で非常に細かい所まで描いています。
現実には無い世界を描いているのですが、女性らしく繊細です。
自分にはこんな細かい世界は無理ですよ。
頭に浮かんだ映像をキャンパスに描くって、ほんとに大変そうです。
自分には、写真からの映像を映すのが精一杯です。
今日は県民の日で、三島市の楽寿園で開かれている「歴史資料から見る
三島と戦争」の見学に出かけました。
三島市には陸軍の野戦重砲兵第二と第三聯隊があって、祖父はそこの准尉
でした。
この第二聯隊の正門は私の中学校の入り口で、今も当時のまま突っ立って
います。
三島市には中島飛行機の工場があって、私の住む近くにも終戦前にはその
工場の移転の工事が行われていたようです。
近くの祇園山には巨大な防空壕があって、子供の頃には良い遊び場でした。
軍隊の病院は国立病院になって、記憶が残る私の脳裏には若い負傷した兵
隊さんがたくさん入院していました。
白い天井には多くのパイプが張り巡らされていました。
三島大社の夏の例祭では、負傷した兵隊さんが寄付を求めて立っていたの
を隣町の妻も記憶しています。
私にとって初めての戦争は、ベトナム戦争の時に使用された戦車が近くの
国道246号線を専用車に乗せられて運ばれて行くのを見学した時です。
静岡県東部の御殿場市は、今も戦争と向き合っています。
今朝も滝ケ原からの砲弾の音が賑やかでした。
富士山には砲弾の音が似合いますよ。
独り者が亡くなると、お墓が大問題です。
通夜には出席しても、骨になって入るお墓がわからない事が多いです。
今回は5年前に亡くなっている人で、ようやくお墓にたどり着きました。
お寺の名前がわからず、だいたい箱根の登り口しかヒントがありません。
ま、それでも時間があればひと寺づつ探して行けば良いです。
それでも4寺目に偶然彼のお墓が見つかりました。
今日はお線香をあげにお寺に出かける予定です。
古い山の仲間はだんだん少なくなって、女性ばかり残っています。
山ばっかり登っていた20代前半、自分にとって青春だったな~。
散歩の9時過ぎまで、空が曇っていて快適な時間です。
山の時間の午前7時頃は少し空が明けるのが遅いようで、樹木の蜜場には
朝が遅かった昆虫が食事中です。
この樹木にはこんな傷は1か月前にはありませんでした。
少年を卒業していない、爺さんの仕業かな。。。。。
地上にはアリさんがびっしりで、獲物は何かわかりませんが栄養分を摂取し
ています。
樹木の間からウグイスのさえずりがしています。
ホトトギスの子供を育て、巣が地上に近いためヘビにはねらわれて、ウグイス
のメスは大変そうです。