先日、帰宅したらポストに三島勤労者山岳会の創立会員で、一昨年に亡くなったS氏の
遺稿追悼文集が入っていました。160頁弱の立派な本です。
私が20歳になったばかりの時に、静岡県東部の労山の空白地帯に初めて出来た山岳会
でした。
私も創立会員でしたが、最初の3年間と50代の約3年間だけ在籍した山岳会でした。
青春時代の最初に巡り合った山の先輩だったので、多大な影響を受けました。
記録を読むと、私が山から仕事と子育てに寄り道していた時も、しっかりと山と向き合ってい
た姿が記録されていました。
疎遠になって、年賀状だけの付き合いでしたがずっと気になっていた人でした。
50代になって山岳会に復帰した時も、時間の経過なんてすぐ無くなって昔と同じに付き合っ
てくれました。
古い時代を回顧するのは歳をとった証拠ですが、古いアルバムから三島勤労者山岳会の
創立当時の写真を引っ張り出してみました。
(40年以上経っているのでボカシは入れてありません。)
1973年6月、三島勤労者山岳会の準備会での天城八丁池ハイキングの一コマ。
私が一番年下でした。
歌声運動の余韻がまだあった時代で、行きも帰りも歌声が途切れませんでした。
ほとんど知らない歌ばかりでした。
キスリングザックがなつかしいです。
その年の10月の連休で、八ヶ岳に向かいました。
私にとっての初めての高峰の阿弥陀岳山頂にて。
装備は給料の大半を注ぎ込んだので当時の最先端でしたが、山に関してはヒヨコでした。
翌年のGWには南アルプスの北岳で、結婚式をあげました。
私の人生の中でも、山での結婚式はこれが初めてでおそらく最後でしょう。
だれもが認める、三島勤労者山岳会の第一人者でした。
すごく、寂しいです。