霧中山歩

近くの山に自然観察をかねて登っています。
自然は新鮮な発見が一杯で、新しい感動が待っています。

もうすぐ桃の節句。

2018-02-28 19:20:15 | 日記

 今週の土曜日は桃の節句です。

 我が家では子供たちが家を出てそれぞれの家庭を持っているので

娘のお雛様を飾ります。

もっとも全部飾るのは面倒なので屏風と基礎は飾ってありません。

というより、今のタンスの上のサイズだと少し大きいです。

もう30年以上前は一生懸命飾ったのに、今は孫たちが飾ってると

思います。

この人形を贈ってくれたのは妻の両親だったかな?。

私の両親も妻の両親も彼岸の向こう側で楽しんでくれているのかな。

人生はホント早いですね。

 次回は息子の端午の節句の5月。

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奥沼津アルプス

2018-02-26 19:55:03 | 自然観察

 先週の土曜日の山歩きの記録です。

 車は大嵐山(私たちは日守山と呼んでいます)の駐車場に入れました。

トイレと水場があって止めるには重宝しています。

 大嵐山の駐車場は伊豆縦貫道のほぼ真下です。

背後の堤防は狩野川の堤防です。

ここを9時25分に出発です。

 

 大嵐山の駐車場からは沼津の大平の集落を歩いて戸ヶ谷から

沼津アルプスに入ります。

駐車所からは約1時間、大平の集落を奥沼津アルプスを左手に

見ながらボチボチ歩きます。

多比峠に向かう途中にイノシシのラッセル跡が結構続いていま

した。ラッセル跡は奥沼津アルプスに結構残っていました。

ま、ここのイノシシは近くの住人のペットかな。。。

 

 稜線の椿かな。。。あまり真剣に見なかった。

沼津アルプスの最高峰の鷲頭山には11時10分頃着きました。

天気が良いので展望の良い山頂には結構な人が出ていました。

沼津アルプスは今が旬かな。

 

 次の大平山で丁度昼食時でした。

ここでは2パーティーがいましたが、しばらくで山頂は静かに

なりました。

今日の昼食は菓子パンひとつとカップ麺ひとつと煎餅のお菓

子一袋の簡単なものです。

カップ麺はポットの熱湯で作ります。

以前のようにコンロは持たなくなりました。

ここから奥沼津アルプスの始まりです。

 

 奥沼津アルプスの核心部です。

ルートが途中から2カ所に分かれていて、どちらかと言うと

稜線を歩く右側の方が難しいかな。

ま、どちらも梯子がしっかり付いていますので安心です。

 

 核心部を過ぎるともう少しで大嵐山への急登が控えています。

その前に展望の良い稜線で小休止です。

一番高い所にトビ、葉の落ちた木々の間にシジュウカラの群れが

飛び交っていました。

 下界ではマフラーを非合法に改造した寂しい暴走風のバイクが

走り回っているようでした。(音だけ聞こえている)

なんかあまりに寂しいので同情してしまいます。

ま、本人は真剣に迷惑運転に自己陶酔しているので仕方ないか。

平和な日本の今の若者かな。

同じ若者でも日本に来て隣の国に照準を当てている米兵がいる

事を、この日本の若者は理解できないんだろうね。

この若者の親も平和ボケしているのではないのかな。

可愛そうだよ。

米兵にバカにされても仕方ないね。

 

 日守山は地元のお年寄りが足を鍛えて登っていました。

日守山の次は茶臼山ですが、どうも山頂を通っていないようです。

ま、誰の土地か分からないで無理は言えません。

 

 奥沼津アルプスを自動車道まで降りてきました。

近くに狩野川にかかる石堂橋があります。

時間は15時25分になっています。

自動車道路は車の通行量が多いので右側の集落の道を通ります。

ここから、大嵐山の駐車場までも結構舗装路を歩く事になります。

 

車の止めてある大嵐山駐車場には15時45分に戻って来ました。

天気が良かったのでもう少し先の大平大井から志下坂峠に登って

南下して来ても良かったかもしれません。

 

奥沼津アルプスと沼津アルプスをつなげるとなると、伊豆箱根鉄

道原木駅から東海道の沼津駅を使う事になります。

数年前に山岳会の山行で歩いた事がありますが、もうそんな元気

は無くなったかな。

今ではのんびり自分のペースで登っています。

 

 

 

 

 

 

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奥沼津アルプス

2018-02-24 19:33:54 | 自然観察

 寒い時期は標高が低い裏山の奥沼津アルプスに出かけるのか時間も費用も節約できます。

家を出発したのが8時45分頃で、途中のコンビニで昼食を買って中間地の大嵐山駐車場を

出発したのが9時25分でした。

駐車場に着いたのが15時45分でした。

鷲頭山には11時頃着いたのですが、結構な人がお休み中でした。

大平山には12時過ぎに到着でのんびり休憩です。

写真は後日アップします。

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不死身の特攻兵

2018-02-22 21:08:55 | 書籍

 私の亡くなった母は大正6年生まれで、太平洋戦争に参加して犠牲になった男性を残念がっていました。

だから、子どもの私に本当の戦争の事を託してきたのだと思います。

久しぶりに戦争の特別攻撃隊の事を描いた本を読んでみました。

 特別攻撃隊は海軍の事と思っていましたが、やっぱり陸軍にもありました。

戦闘機ではなくて九九式双発軽爆撃機(上の本の写真 もっとも前部の突起部は特攻機として付けた物)。

この飛行機に250Kの爆弾ではなくて800Kの爆弾を腹に抱えて特別攻撃(片道切符)をするのです。

 

この本の内容です。

 太平洋戦争の末期に実施された”特別攻撃隊”。戦死を前提とする攻撃によって、若者たちが命を落としていった。
だが、陸軍第一回の特攻から計9回の出撃をし、9回生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏は、戦後の日本を生き抜き2016年2月に亡くなった。
鴻上尚史氏が生前の佐々木氏本人へインタビュー。
飛行機がただ好きだった男が、なぜ、軍では絶対である上官の命令に背き、命の尊厳を守りぬけたのか。

我々も同じ状況になったとき、佐々木氏と同じことができるだろうか。
戦後72年。実は本質的には日本社会は変わっていないのではないか。
本当に特攻は志願だったのか、そして、なぜあんなにも賛美されたのか。
命を消費する日本型組織から、一人の人間として抜け出す強さの源に迫る。

 

 軍人だった祖父は戦争の事は全く話しませんでした。

妻の父親も戦争の話は殆どしなかったようです。

ふたりとも中国に出征したのに。。。

もう戦争に参加した人もほとんど残っていません。

私達は先の戦争をどのようにとらえれば良いのでしょうか。

 軍歌は父がよく買い求めて、私は眠り歌のように聞いていました。

そうえいば子ども向けの本には、戦争の漫画が結構載っていました。。。。

ゼロ戦隼人 や 紫電改のタカ などです。

あの頃の漫画家はどんな気持ちで描いていたのかな。。。  

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フォレスト・コール 森・オオカミ・ヒトのよい関係を考える

2018-02-20 20:58:34 | 自然観察

 先週土曜日のオオカミ協会の機関誌です。

2017年5月13日発行なので少し古いですが、ありがたくいただきました。

ようやく主な記事だけ読み終わりました。

私みたいな道の踏み後が少ない山に登っている者には、少しばかりハードルが高いです。

ま、山も幹線道しか登らない人には問題は無そうですが、あまり人が歩いていないような

シカやクマの足跡が縦横無尽にある山ではチョッと怖そうです。

藪山には今より武器が必要になりそうですね。

命を取られてからではチョッとばかり遅いようです。

明治時代後期 大正時代 昭和時代 そして平成時代はオオカミの居ない時代でした。

これからの新しい時代に、オオカミは山野に定着するのかな。

今も藪山を登る時は武器は持っていますが、オオカミが復活すれば今以上に必要になるのかな。。。

いま一番怖いのは、やっぱり主の居ない大型の野犬ですね。

これはホント怖いですよ。

 

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