『拉致』という言葉が、日常よく聞かれるようになってどのくらい経つだろうか。ほんの10年前まで、書けと言われてもよー書けなかったし、何だろう?という言葉だったと思う。
30年。一口に30年と言ってもそれは膨大な時の積み重ねだ。振り返ってみれば、あっという間かもしれない。いや、そんなことはない。毎日、毎日我が子の安否を心配し、探し、尋ね、当て所ない霧をつかむような30年というのは想像を絶する時の積み重ねだ。
めぐみさんが行方不明になったのが1977年11月15日。中学校の1年生。家出なんかするはずもない。まるで神隠しにあったように忽然と消えてしまった一人の少女。いつもと変わらない一日のはずだったのに、その日から横田家の地獄が始まる。
最近、「うちのおじいちゃんがいなくなった」というお宅の話を聞いた。勿論警察に届に行って、とにかく早く探して欲しいと家族は頼む。しかし、警察はそう簡単には動いてくれないらしい。ジュウジュウ文句を言うのが警察の仕事なのだが、家族のことをこと細かに聞いて、所在の分からない家族がいたとしたらまず疑う。家出や徘徊の前に、犯罪の匂いがしないからしい。それはそれでとっても必要なことかもしれないが、じいちゃんが徘徊してて、寒空ぽつぽつと歩いてる姿を想像していたら、「とにかく早く探してください」と言いたくなるだろう。まだのんびりしていた30年前だが、いなくなった家族を探そうとしていた彼らが、どんな状況にあっていたのか、想像に難くない。
まるで雲をつかむような、なんの情報もないまま時間だけがすぎていく。そしてだんだん分かってきた某国の影。どうやらうちの娘は某国に連れ去られたらしい。以前、工作員をしていた脱北者がめぐみさんは拉致され、北朝鮮にいるということを述べる。
スパイになるための学校に入り、ありとあらゆる技術を身につけ、この建物なんか簡単に爆発できると嘯く。そして簡単なのは人を殺すこと。人など簡単に殺せる。ただ心の痛みに勝つだけ。それを我慢するだけでいい、と言う。そして自分の先輩がめぐみさんを拉致し、舟に乗せて北朝鮮につれてきたと述べる。
狭い船倉の中に閉じ込め、壁をかきむしり、爪を剥がしながら「おかあさん、助けて、助けて」と反吐にまみれて壁を引っ掻き続けたと語る。それを聞いた母の気持ちを思うと悲しいと通り越してどうしたらいいか分からなかった母の気持ちが痛いほど分かる。子供を守れなかった。私を呼んでいた。その時、我が子が地獄の苦しみを受けていたのか。そして何も出来なかった無力感ともどかしさ。
じわじわと分かってくる北朝鮮の謀略の数々は、拉致という言葉がだんだんと市民権を得ていく様子と重なっていく。横田家だけでなく、同じような苦しみを受けていた他の家族の様子も映される。年老いて、我が子に二度と会えないまま死んでいった母や父。皆が何とかしなければと活動を続けていたが、世間は冷たかった。びら配りをしても見向きもされない。議員会館の前で、シュプレヒコールを上げる家族たち。そうやってこつこつと地道に活動を続けていたんだと改めて思い返された。
そしてここ数年の動きは私達もよーく知ってる帰国までの流れ。5人がなんとか帰ってきた。5人がタラップを降りた後、誰も降りてこないタラップの映像が映される。
めぐみさんが小学校の卒業の時に歌った「流浪の民」の歌詞が悲しすぎる。まるで予知したかのような言葉。彼女はいまも流浪の気持ちで何を思っているのだろうか・・「慣れし故郷を放たれて・・・」
まるで他人事のような話だったのが、そうでもない。私は日本海側で育った。そのころ高校生。たまたま選ばれてしまっためぐみさん。彼女を連れ去った工作員はこんな子供を連れてきてしまったと思ったそうだ。誰がめぐみさんの立場になったのかなど、本当に紙一重だったのだ。
日本もかつて朝鮮に同じことをしていた。もっとひどいことをしたといわれる強制連行で一体幾人の人を連れてきたのか!と糾弾される。そのことも私達は十分知らなければならない。そして今のこのことも知る。やられた方は絶対に忘れない。被害者は忘れるはずがない。当たり前の話だが、基本はそうなのだ。
誰も何も分からなかったときから30年。色々なことが見えてきた。それなりの解決もあった。しかし、何の答えも見つからない人もいる。それでも彼らは進んでいかなければならない。私達はこのことを知ることに何のためらいがあるだろうか。是非、見て知るべきである。
TVなどでよく見る横田滋さんの映像。にこやかで穏やかそうで、朴訥な印象があるが、家の中で厳しく奥さんに話すシーンが出てくる。いつもは見せない側面なのだが、父親としての苦悩を垣間見たような気がした。
映画としては少々癇に障るしつこい音楽が耳につくのだが、そのイライラ感が家族の気持ちと相通ずる。まだ解決を見ない今の状況としてはこれでせいいいっぱいだろう。よく作ったのではないか。そしてこの映画を作ったのが、日本人ではないというあたりがまたもどかしいところだ。ということでやはり多くの人に見てもらいたい。
多分、この映画を冷やかし半分、不真面目な気持ちで見る人はそういないと思うだが、3つほど隣の席に座っていた若いお姉ちゃん。映画が始まるとおもむろにカバンから飲み物とあのかちゃかちゃいう袋に入ったなんかの食い物をむしゃむしゃ食い始めた。ここでせんべいばりばり言わせたらぷっつん切れることろだったので、袋のかちゃかちゃ音だけ我慢していたのだが、結局映画全般、見事にむしゃむしゃカチャカチャ。一体、どういう神経をしていたものか。最後に注意させていただいたが、気持ちは半分削げた。
『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』
監督・製作・脚本 クリス・シェリダン パティ・キム
出演 横田滋 横田早紀江 増元照明
30年。一口に30年と言ってもそれは膨大な時の積み重ねだ。振り返ってみれば、あっという間かもしれない。いや、そんなことはない。毎日、毎日我が子の安否を心配し、探し、尋ね、当て所ない霧をつかむような30年というのは想像を絶する時の積み重ねだ。
めぐみさんが行方不明になったのが1977年11月15日。中学校の1年生。家出なんかするはずもない。まるで神隠しにあったように忽然と消えてしまった一人の少女。いつもと変わらない一日のはずだったのに、その日から横田家の地獄が始まる。
最近、「うちのおじいちゃんがいなくなった」というお宅の話を聞いた。勿論警察に届に行って、とにかく早く探して欲しいと家族は頼む。しかし、警察はそう簡単には動いてくれないらしい。ジュウジュウ文句を言うのが警察の仕事なのだが、家族のことをこと細かに聞いて、所在の分からない家族がいたとしたらまず疑う。家出や徘徊の前に、犯罪の匂いがしないからしい。それはそれでとっても必要なことかもしれないが、じいちゃんが徘徊してて、寒空ぽつぽつと歩いてる姿を想像していたら、「とにかく早く探してください」と言いたくなるだろう。まだのんびりしていた30年前だが、いなくなった家族を探そうとしていた彼らが、どんな状況にあっていたのか、想像に難くない。
まるで雲をつかむような、なんの情報もないまま時間だけがすぎていく。そしてだんだん分かってきた某国の影。どうやらうちの娘は某国に連れ去られたらしい。以前、工作員をしていた脱北者がめぐみさんは拉致され、北朝鮮にいるということを述べる。
スパイになるための学校に入り、ありとあらゆる技術を身につけ、この建物なんか簡単に爆発できると嘯く。そして簡単なのは人を殺すこと。人など簡単に殺せる。ただ心の痛みに勝つだけ。それを我慢するだけでいい、と言う。そして自分の先輩がめぐみさんを拉致し、舟に乗せて北朝鮮につれてきたと述べる。
狭い船倉の中に閉じ込め、壁をかきむしり、爪を剥がしながら「おかあさん、助けて、助けて」と反吐にまみれて壁を引っ掻き続けたと語る。それを聞いた母の気持ちを思うと悲しいと通り越してどうしたらいいか分からなかった母の気持ちが痛いほど分かる。子供を守れなかった。私を呼んでいた。その時、我が子が地獄の苦しみを受けていたのか。そして何も出来なかった無力感ともどかしさ。
じわじわと分かってくる北朝鮮の謀略の数々は、拉致という言葉がだんだんと市民権を得ていく様子と重なっていく。横田家だけでなく、同じような苦しみを受けていた他の家族の様子も映される。年老いて、我が子に二度と会えないまま死んでいった母や父。皆が何とかしなければと活動を続けていたが、世間は冷たかった。びら配りをしても見向きもされない。議員会館の前で、シュプレヒコールを上げる家族たち。そうやってこつこつと地道に活動を続けていたんだと改めて思い返された。
そしてここ数年の動きは私達もよーく知ってる帰国までの流れ。5人がなんとか帰ってきた。5人がタラップを降りた後、誰も降りてこないタラップの映像が映される。
めぐみさんが小学校の卒業の時に歌った「流浪の民」の歌詞が悲しすぎる。まるで予知したかのような言葉。彼女はいまも流浪の気持ちで何を思っているのだろうか・・「慣れし故郷を放たれて・・・」
まるで他人事のような話だったのが、そうでもない。私は日本海側で育った。そのころ高校生。たまたま選ばれてしまっためぐみさん。彼女を連れ去った工作員はこんな子供を連れてきてしまったと思ったそうだ。誰がめぐみさんの立場になったのかなど、本当に紙一重だったのだ。
日本もかつて朝鮮に同じことをしていた。もっとひどいことをしたといわれる強制連行で一体幾人の人を連れてきたのか!と糾弾される。そのことも私達は十分知らなければならない。そして今のこのことも知る。やられた方は絶対に忘れない。被害者は忘れるはずがない。当たり前の話だが、基本はそうなのだ。
誰も何も分からなかったときから30年。色々なことが見えてきた。それなりの解決もあった。しかし、何の答えも見つからない人もいる。それでも彼らは進んでいかなければならない。私達はこのことを知ることに何のためらいがあるだろうか。是非、見て知るべきである。
TVなどでよく見る横田滋さんの映像。にこやかで穏やかそうで、朴訥な印象があるが、家の中で厳しく奥さんに話すシーンが出てくる。いつもは見せない側面なのだが、父親としての苦悩を垣間見たような気がした。
映画としては少々癇に障るしつこい音楽が耳につくのだが、そのイライラ感が家族の気持ちと相通ずる。まだ解決を見ない今の状況としてはこれでせいいいっぱいだろう。よく作ったのではないか。そしてこの映画を作ったのが、日本人ではないというあたりがまたもどかしいところだ。ということでやはり多くの人に見てもらいたい。
多分、この映画を冷やかし半分、不真面目な気持ちで見る人はそういないと思うだが、3つほど隣の席に座っていた若いお姉ちゃん。映画が始まるとおもむろにカバンから飲み物とあのかちゃかちゃいう袋に入ったなんかの食い物をむしゃむしゃ食い始めた。ここでせんべいばりばり言わせたらぷっつん切れることろだったので、袋のかちゃかちゃ音だけ我慢していたのだが、結局映画全般、見事にむしゃむしゃカチャカチャ。一体、どういう神経をしていたものか。最後に注意させていただいたが、気持ちは半分削げた。
『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』
監督・製作・脚本 クリス・シェリダン パティ・キム
出演 横田滋 横田早紀江 増元照明
本当にずーっと地道に活動してたんだな、ということを改めて感じました。
でもね、パネル見て「あたし、こういうのかわいそ過ぎて見れない~」と言ってる人を何人も聞いたんですよ。そうやって逃げないでちゃんと見て欲しい。やなもの、キツイもの、辛いものにも目を背けないで欲しいです。
観に行かなくては!!
ずっと前、蓮池透さんの「奪還」を読んだときに
いろいろ驚かされる事が書いてありました。
ニュースで「拉致問題」として取り上げられることだけでも
当たり前のことじゃなかったんだな・・・と。
もっと早く気づいていればな~
今月の休みは予定が入ってて行けるかどうかが微妙だな・・・。
私が映画館で遭遇した一番酷い人は上映中に3回も携帯が鳴って
3回とも普通に取って普通に会話してた人。
3人組のおばちゃんの1人で、映画館入ったときから小声で
ずっとぺちゃくちゃしゃべってたから嫌な予感はあったんですが
そこまでとは・・・。
あのBGMがなく、淡々と進んでいった方がもっと迫ってきたように思えたのですが、まあそこは外国向けだったということで。
許せるのはポップコーンとチュリトスまでですね。他はぷっつんきちゃう。
まあ私も長いこと映画見てきてるので、さまざまなものに遭遇してきましたが、せめて映画に見合ったものを食って欲しい。コレです。
いままでで一番凄かったのは、ペ・ヨンさまの映画で弁当開きしてた年配の夫婦でした。
それはともかく、私は武士の一分観てきた時に、隣のねーちゃんがポテトだかポップコーンだか知りませんが、何かをサクサクと食べ始めて、その音と油っぽい臭いに辟易。
別にマナー違反ってのでは無いんでしょうけど、やっぱ日曜の混んでる時になんか映画館行くもんじゃねーなとあらためて思ってしまいました。
重くても軽くても是非是非。
しかし、胡同のひまわりでですか・・。それも二番館で・・。困ったもんだ。嫌がられながらも私は注意しちゃいますね。娘が一緒に行ったりすると「かあちゃん、また注意してるよ」みたいに見てますが。
あんまりひどいときはスタッフに言ってみてください。言ってくれるから(多分)。
自分のことしか考えられないような風潮には困ったもんです。でも、まさかこの映画で、そういう人がいるとは思いもしなかったんですがね。彼女に映画見てどう思ったのか聞いてみりゃよかったかしら。
という風に気分は随分削げましたが、そのいらいら感も映画のエッセンスかなと思ってみてた自分もいました。是非、見てください。
それで運命を狂わされた家族や本人のことを思うと本当に切ないです。
映画は是非見てください。改めて思い返しました。
普通の人間が、突然、運命を狂わされ、そして当然、家族の運命も・・・。恐ろしいです。
間違って連れて来てしまったんだと思ったのなら、返してくださいよ!と心から言いたいです。
いや・・・ホントにあの「流浪の民」は・・・ずしんときました。
なんて皮肉なんだろう。そしてこの残酷がまだ終わっていないと言う現実・・・
ニューではわからない、生の家族の声を聞きました。