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           毎週金曜日更新

第226回 〆切問題

2017-07-21 | エッセイ

 当ブログは、「毎週金曜日更新」を謳っています。自分で決めた更新のルールですが、4年近く、このペースを守ってきました。

 更新が遅れたところで誰に迷惑をかける訳でもないのですが、根が小心者で、貧乏性、よくいえば、几帳面ということなのでしょう。新しい記事のアップを楽しみにしていただいている愛読者の皆さんの期待にキチンと応えたいとの思いもあります。

 原稿は、新しく書き下ろすこともありますが、日頃から書き溜めてる原稿を使うことも多いです。使う原稿の手直しをしたり、新しいネタを書いたりしてるうちに、すぐ更新の〆切が来る、というのがいつものパターンです。

 アップしたあとは、とりあえずホッとするのですが、書き溜め原稿を使ったら、在庫の補充をしないといけない訳で、「また新ネタ考えなきゃあ」というプレッシャー(自分でかけてんですけど)と闘ってます。根っからの貧乏性が抜けません。

 さて、プロの作家の世界に目を転じると、私みたいな几帳面な人は、まったくの小数派。
 いわく、〆切なんかは、守らなくてナンボ。いわく、キチンと出せば、編集者になめられる。いわく、真面目に渡すのは、散々苦労して原稿を手にする編集者の喜び、生き甲斐を奪う。いわく、原稿なんか遅れに遅れて出すのが、大物作家の風格・・など、作家と編集者の間では、ワイルドなバトルが繰り広げられている模様。

 真っ先に思い浮かぶのが、「井上ひさし」。自ら「遅筆堂」と名乗ってたぐらいで、その遅筆ぶりを、自身のエッセイでもいっぱい披瀝している(遅筆ネタ自体で、だいぶ稼いでいるはず)。
 戯曲が公演に間に合わず、延期になった「事件」もありました。完璧主義ゆえの遅筆、という要素もあるのでしょうが、〆切が近づくと、無性に、テレビ、外出、昼寝、読書など、執筆以外のことをやりたくなる、と書いてるから、性格破綻者気味。編集者を大いに泣かせまくったに違いない。

 「〆切本」(左右社)というそのものズバリのタイトルの本があります。だいぶ話題になりましたので、お読みになった方もいらっしゃることでしょう。こちらが表紙。


 90人の作家(一部、編集者も含む)自身による〆切にまつわる話を集めたもので、当然のことながら、原稿が遅れる言い訳、お詫び大全集の趣がある。数は少ないですが、遅筆作家に対する編集者のうらみ、つらみの文章も興味をひきます。

 しかしながら、私が親近感を持って読んだのは、私と同じ「きちんと〆切を守る派」の作家の言い分。向こうはプロ、こちらは、ど素人。〆切を守るという1点だけでの親近感ですが・・・

 まずは、かの村上春樹。これまでに読んだエッセイの中でも、〆切期日は守ってきた、ということを何度も目にしていたので、「守る派」であることは分かっていました。
 同書の中の文で、彼は、高校時代に新聞を作っていて、しょっちゅう印刷所に出入りした経験に触れています。

 「印刷所のおじさんというのは誰かの原稿が遅れたりすると徹夜をして活字を拾わなくてはならない。気の毒である。印刷屋の植字工の家では奥さんがテーブルに夕食を並べてお父さんの帰りを待っているかもしれないのである」(同書から)
 う~ん、ちょっと、ぶりっ子してる気もしますが、いかにも彼らしい。

 もう一人、史実をベースに、優れた小説を世に送り出した吉村昭の「守る派」ぶり。

 〆切日の10日ほど前を自分なりの締切日にを設定して書き進めるほどの徹底ぶり。だから、期日前に原稿が出来てしまう。〆切を過ぎてから出せばいい、と言う知人の忠告に対する彼のいい分は、
 「書き上げたものが身近にあると落着かず、郵送したりファクシミリで送ったりしてしまう。自分でも照れ臭いので、「早くてすいませんが・・・・」と書き添える。全く因果な性格である。」(同書から)というもの。〆切を守るにも守るなりの工夫と気配りもが必要、ということでしょう。気持ちはよく分かる。

 これからも、自分で決めた〆切を守って、楽しくて、(少しは)ためになるブログをお届けしようと決意をあらたにしています。引き続き、ご愛読ください。