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第311回 羞恥考

2019-03-22 | エッセイ

 「羞恥」というちょっと「恥ずかしい」話題を取り上げます。話題が話題なので、性とかハダカにまつわるエピソードにも(やむを得ず)触れざるを得ませんが、社会的、歴史的考察も含めて、真面目に筆を進めるつもりですので、最後までお付き合いください。

 さて、何をもって「羞恥」とするかは、国、地域、時代、社会階層などによって様々ですし、突き詰めれば個人の価値観の問題でもあります。
 江戸時代、銭湯は男女混浴でした。一方で、西鶴の「好色一代男」では、幼少期の世之介が、庭で行水する女性を遠眼鏡で覗く場面があります。当時の住宅事情では、屋内で行水というわけにはいかなかったのでしょうが、ある程度見られるのは覚悟の上で、というおおらかさ、ユルさは、今よりもあった気がします。

 「羞恥の歴史」(ジャン・クロード・ボローニュ 大矢タカヤス訳 筑摩書房)という本があって、フランスを中心に、「羞恥」の歴史、習俗を扱っています。

 それによると、たとえば中世から19世紀まで、道徳面での反撃はあったものの、フランスにおいては、女性の上半身の露出には、概ね極めて寛大で、乳房をすべて露出する型の服装がしばしば流行したとあります。
 一方で、女性がスカートから脚を露出させることは、20世紀前半まで、絶対に合ってはならないこととされていたのが、不思議な気がします。

 男性はといえば、15世紀から100年間、性器を誇張、誇示する股袋(またぶくろ)が流行し、これをつけないことは非礼とされた、といいます。このような代物です。




 また、中世からルネッサンスにかけては、王侯から民衆までベッドは一家にひとつしかなく、家族だけでなく、客人までもがそのベッドに寝ました、しかもハダカで。

 とまあ、いろんな例が挙げられているのですが、一番興味深いのは、「フランスの羞恥は、身分差によって生まれる」という指摘です。

 これで思い出すのが「アーロン収容所」(会田雄次 中公新書)での著者自身の有名な体験です。
 学徒動員でビルマ戦線に投入された彼は、ビルマでイギリス軍の捕虜となります。「女兵舎の掃除」が仕事です。ある日、部屋に入り掃除をしようとして驚きます(以下、同書から)。

 「一人の女が全裸で鏡の前に立っ て髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋 には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない、私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪 をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた」(以上が引用です)

 看護婦かPX関係者か、いずれにしろ、そう社会的身分が高いとも思えないイギリスの女性兵士にして、身分差と羞恥という意識は骨の髄まで沁み込んでいるようです。まして、アジア人ともなれば、身分差とか階層差とかは超越した「人間じゃない存在」なんでしょうね。全裸をさらすことに何ら羞恥も感じないのも道理です。

 さて、「羞恥の歴史」によって、話をイギリスと同じく身分差社会であるフランスに戻します。身分の高いものは、低いものに一切羞恥を感じる必要がありません。一番身分の高い国王の場合、誰にも羞恥を感じる必要はありませんから、やりたい放題です。「穴あき椅子」とよばれるトイレに座ったまま、政務をこなし、面会も行いました。
 王妃の場合は、浴槽に入ったまま、朝のお目通りも行ったといいます。

 このように国王一家は、誰に対しても羞恥を感じる必要がありませんでしたから、食事、排泄、出産まで、庶民は宮殿に入って、私生活全般を見学することが出来ました。
 フランスの王室って、なんと「開かれている」ことか、とかつては、私も思ってましたが、身分差を背景にした仕組みだったんですね。食事以外の私生活を見たいとは思いませんが、目からウロコでした。

 それにしても、街行く人、電車内の人などの振る舞いを見てると、相対的なものだとは分かっていながら、「羞恥」ってなんだろう、と考えることも多い今日この頃です。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。