Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

冬の入口

2015-10-26 | ギターの栄養


昨日気持ち良い風がずっと吹いていて
街路樹の葉をサワサワ揺らしていたのは
秋から冬へ切り替わったからだったのか

夜になって急に冷え込んで
今朝は鳥の囀ずりが良く聞こえる

乾燥した大気の中に日差しが満たされていた


久しぶりに再開する関係があり
距離をとったままの関係があり
育ってゆく関係もフリーズしたままの関係もある

いろいろある中、今僕は鎮まっている

というより
猛ることなく自然の波長と同期出来ている


そのことが心を鎮めることと同じ意味だと
今は良く解る


そこに躍動が存在しても鎮まっている


躍動と鎮静

一見対極に思えるものが美しく共存している




。。。




今日は車でリハに出掛けた


運転中
車線変更で自分の前に入る車が
入った後ハザードで挨拶しないとムッとしがちなものだが
入ろうとするウインカーに気付いたら
それとなくアクセルを緩め車間を開けて入れてあげる


そして入った車がハザードで挨拶しなかったら
それはこちらからの威圧が無かったと言っても良いだろう
なんて考えると
どんどん入れてあげたくなる


こんな些細な事でも小さな徳が一つ積まれる

そして積まれる毎に僕の心は解放と自由を増して行く





運転しながら思考は展開されてゆく





高級車ほど品のない運転が多いのは何故だろうと
ずいぶん前に気付いたが…

ウインカー出さず車線変更
路肩に寄せず斜め駐車
火のついたままの煙草の投げ捨て
など
ステイタスを履き違えた傲慢


人間とは、富とは、そういうところに陥りやすいのだろう

そもそも金銭的な富とは人間が作り出した虚像なのだ



だが人の放つ横暴に
ただ頭に来て終わったのではつまらない

そういった愚かさを観察すると俄然面白くなって来る


上手く観察するにはこちらの気配を消す必要がある

気配を消すのは我を制するのと同じ

上手に観察することで
愚かさを含めこの世界は非常に面白い映画のように観えてくる


映画が教えてくれるのものの真骨頂は
人の愚かさや素晴らしさとかではなく
俯瞰することの面白さ
なのだろう


だから人の愚かさ素晴らしさばかりにスポットを当てた作品は
どこか胡散臭さが残る






今日はスルスル思考が流れるようだ…






。。。






早く着いたので少し時間潰して

始まって

音出しの前に世間話してリラックスして

音出して


休憩時に自分の息子の話しになって
普段は蓋をしてることを
久しぶりに真正面から思い出して僕は少し熱くなったが

息子と離れざるを得ないことになった時期の
自分の中の溶岩が噴き出すほどの激情が
今はよくここまで沈静化されたものだと
我ながら自分の心の持ち用に感心したのだった


振り返ってみれば
僕の人生は
とうてい堅気のものではない

そんなつもりもなかったが
かなりの波瀾万丈になっている


今日のRHの相方さんからは
「そういう全てが音に出てるんだね~…」と言われた



なるほど…



ならば、幸か不幸か手にしたこの自分の音を
感謝して奏で
生きて死ぬだけである














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