Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

ソロアルバム制作日記

2015-10-02 | 榊原長紀 「キミと僕」



今、とてもゆっくり制作している自分のソロアルバムは
北海道在住の菊池さんという方がプロデュース&コーディネートをしてくださっています


菊池さんは音楽業界の人ではないのですが
僕にとって過去に出会ったプロデューサー的ポジションの人達の中で
一番自分の波長に合っている方です

離れた地に暮らす者同士、メールでやり取りしながら
お互いに丁寧にリスペクトしながら少しずつ進めています


今日は菊池さんの橋渡しで
アルバムの挿絵をお願いすることになった小田啓介さんという
画家さんの個展を観がてらお会いしに出かけます


小田啓介さんの個展は
10月1日(木)~15日(木)までの19:00~25:30 日曜定休
阿佐ヶ谷の ぱすてる屋さんというお店で行われています




小田さんとは今日が初対面になりますが
写真で拝見すると大変柔和なお顔


菊池さんを挟んでの事前にメールでの行き来では
挿絵のリクエストに
「インナーチャイルドを描き出して欲しい」と
大変抽象的なリクエストをしてしまった僕
(インナーチャイルドという表現にも賛否両論あるでしょうが…)


こういう題材自体
言葉であーだこーだと扱える領域をはみ出しているでしょうから
今日初めてお会いしていったい僕は何を話すだろう

全く自分に予測がつかない中
ゆっくりと出かける支度をしたのでした






。。。







個展の開場時間は19時から25時半ということなので暗くなってから出かけた








暮れたばかりの空は綺麗な藍色で
街灯や車のテールランプとの対比が幻想的に感じた


目の前を自分と同じ方向に流れて行く幾つもの赤いテールランプを眺めながら思った


表現者という職業を選んだ自分として普段は
なるべく群れず、唯一無二の個性を産み出したいという想いに囚われているが
この赤いテールランプの群れと同じように
流れに身を任せ
そしてそれで心地好いならこんな楽な人生はない


ただ摂理に反した主張をする群れに則するのは嫌だ

そして人間は群れると大抵は摂理を見失い
正義から出発した行いも簡単に正義ではなくなり
そのことになかなか気付けない

摂理に則した人間はそもそも群れて主張する事は無い
ただ自然とリンクして鎮まった精神で生きているだけだ

摂理に反した自己主張なら
むしろ皆で我を捨て
流れに則した方が世の中は穏やかになるだろう


ずっと夜の灯が
ケンタウルス祭の電飾のように感じ
フワフワした気分のまま運転した



賢治の魂が傍に居るのかもしれない





。。。





途中コンビニでお茶を買ったが
一口飲むとあまりに薬品臭くて驚いた


防腐剤など添加物のこともあるからと
最近コンビニの物を食べてなかった
だから味覚がピュアになっているのだろうか

健全な方向へと生活スタイルをシフトするほど
健全な場所や健全な食品があまりに少ない現実に直面し呆然となる


自分や身の回りの僅かなスペースくらいを
浄化するのが精一杯な非力な自分であることを想う



大量の添加物の存在に気付かぬまま
麻痺した味覚で大量生産の食品を
安いし旨いし、と食べ続けて死ぬのと

添加物を避けて身体をピュアに保ちながら
この世界の汚れの多さに愕然としながら生きて死ぬのと
どちらが幸せなのかすら見失いそうになる



目に見える汚染以外にも
目に見えないものまで含めたら
人間は取り返しがつかないほどに
この世界を汚してしまっているのだろう

自然のパワーの前に人間は淘汰されるか
人間がガン細胞となって自然を滅ぼすのか
そんな世界で自分はどんな生き方が出来るのか...


そんなことを考えているうちにパステル屋さんに到着した







。。。





僕が到着した時にはまだ小田さんは来ておらず
狭い店内に展示された絵を眺めて過ごした


展示された絵はほとんどが油絵作品だったが
一番端に一枚だけ銅版画があった

一枚だけなのを不思議に思ったが
それは僕に見せるために今回
持ってきてくださったと後で知り恐縮した


セピア色のその銅版画は点と線がとても繊細で
小さな吐息でも飛んでしまいそうな砂絵のように
心地好い儚さを醸していた


砂粒より小さな針先で一点一点描いてゆく行程を想像し
自分が奏でる時
一音一音を針の穴に糸を通してゆくように感じるのと
同じようなバイブレーションだと思った

極論的な言い方だが
同じようなバイブなら題材を何にしても
僕の音と小田さんの銅版画は解け合うだろう


菊地さんは最初から銅版画を推してくださっていたが
ネット上の画像検索で観るだけでは
僕の愚眼には油絵作品も銅版画作品も
どちらがしっくりくるか判断が出来なかったのだが
実物を見たら一目瞭然だった


自分も銅版画に一目惚れし
最初から銅版画を推してくださっていた菊地さんのアンテナにも
改めて信頼を増した

そして小田さんも「銅版画で」と考えていることを伺った時点で
未知なる不安要素の大半はクリアーされてしまった


僕は足し算ではなく引き算の音楽でありたい


マクロよりミクロを描きたいのだ



。。。



北海道在住である小田さんの発言で
今日一番ホッとして好きだったのがある

「お気に入りの森の中を散歩しているようなバイブレーションの時
それだけで心地好くて
『ああ仕事したくないな』と思う(笑)」
というような意味の事を語られた時だった


(大変おこがましい言い草だとは思うが)
仕事としてもプロフェッショナルにこなしておられる小田さんの中の
「仕事では片付けられない部分」を
僕は無意識のうちに探していたように思う


そして自分にとっても
仕事では片付けられない部分が
このアルバムには盛り込まれていることを客観的に伝えようと話し始めたが

話すうち
アルバムに託した自分の想いに執着してしまい
それはだいぶ主観に寄ってしまった感もあり
いつからか僕は顔が紅潮し身体が熱くなっていた


お店が暗めだったから助かったが
明るい場所ならば、極度に緊張した人か
追い詰められた精神状態の人に見えたかもしれない


やはりそれほどにこのアルバムは
自分の壊れやすい聖域を扱ったものだと再認識したのだった


菊池さんに背中を押して頂かなければ
僕はこのアルバムの曲達を
きっと未発表のまま棺桶に入る事になっただろう




レコーディングでは自分を追い込み過ぎて
突発性難聴を発症してしまったが
僕の中の痛みや闇が
ささやかな光に転じられますように、という願いを杖にして
音はなんとか残すことが出来た

でも
きっと僕だけの力では自分を信じる力が弱いために
録音し終えた全てをまた自責し捨ててしまっただろう


菊池さんや小田さんという
自分とは違う光や傷みを持った人の力を分けてもらって
非力な僕のアルバム制作はなんとか進んでいる


そして僕の音色の中の憂いは
こうした闇や葛藤から生み出されている




。。。




人は無限の可能性を秘めているが
その中のほんの僅かしか使わずに人生を終えてしまう


いろんな場所やいろんな人の前で演奏してきて
音楽はその可能性を開く良ききっかけになる存在だと知った


このアルバム制作は
僕自身の中の固まってしまった部分を解凍し
解放するためのカリキュラムでもあるように感じている


自分自身の解放を導いてくれる音ならば
それを以て人様に奏でかければ
生きてる間の多少の善行となり得るかもしれない




















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その後の朝顔12

2015-10-02 | ギターの栄養


昨夜はひゅ~ひゅ~という風の鳴き声に神経が立ってなかなか眠れなかった

強い風が吹き荒れたせいか今朝になって
朝顔の種が一つ弾けて開いて中身が無くなっていた




収穫前に種を飛ばされてしまったと残念がるのは人間の傲慢だろう

朝顔はむしろ強風が吹いて
子孫を遠くへ飛ばす絶好のチャンスとばかりに殻を開いたのだ

来年ひょんなところであの種が咲かせた花に出会えるかもしれない


自分自身を含め人間という生き物の愚かさを感じる毎に
人間からは適当な距離を取りたくなり
その分 植物や人間以外の生物との距離感が縮む感じがするが
同時にそれらに対し畏怖も抱くようになって行く







生きるにあたり理不尽な恐怖は不要にしたいが
畏れを持ちながら生きることは必要なことと思う




















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