今日、10/10はいわき市のカフェ ア・ヌーさんで
自分のソロライブを公演させて頂く
アヌーさんはお花屋さんとカフェがくっついているらしい
花の近くで演奏出来るのが嬉しい
こういう感覚って若い頃には気付かなかったけど
このライブを主宰してくださったのはアヌーさんと
いわき市在住の高原さんという方
高原さんは叶タカシさんとのユニットWoo!Long!High!でいわきに伺った時に
演奏を聴いて頂いてからのご縁になる
今回は高原さんに歌って頂く合奏の場面もある
ギターの伴奏音源を事前にお渡ししてはあるのだが
離れているため実際に音を合わせるのは今日だけになってしまう
なるべく早い時間に着き
リハ時間を捻出するべく暗いうちに出発した
福島に赴くのは確か今回で4回目だったと思う
311で大きな痛手を受けた福島
当事者ではない自分が軽はずみなことは言えないが
聴いてくださる方達の
ほんの少しでも心の休息に成り得たら嬉しい
。。。
首都高から常磐道へ
久しぶりに乗った首都高は飛ばす車ばかりで疲れてしまった
自分が奏でる時
ギターの音色をちゃんと繊細にコントロール出来ているか判断するために
耳を最大限に研ぎ澄ませることで
僕は多くの喜びを受けているが
その状態で生活していると
同時に都会の騒音は暴力的過ぎて神経が壊れそうになる
都会で生活するために鈍感になり
緩慢に馴れ合った音を出しながら生きるのは嫌だ
この先もギター耳を研ぎ澄ませてゆくなら
僕は遅かれ早かれ都会には住めなくなるのだろうと
ぼんやり思っている
常磐道に入りやっとホッとした
時間的に順調に来てるので守谷SAで休憩
のんびり走ってるので燃費がかなり良いよ
が
常磐道はとても暗くて
前後、対向車線の全てに車が見えなくなるタイミングになると
バックミラーに幽霊でも映り込みそうな気がして急に心細くなる
暗いバックミラーの中に自分のオデコあたりが
蒼白くぼんやり映っているのが気になってしょうがない
なんとかせねばと
ミラーに向かって笑ってみたが
真っ暗な中にぼんやり見える笑った蒼白な顔の方がもっと不気味だった...
。。。
中郷SAで2回目の休憩
少し空が明けてきた
この後
薄曇りのためかミストな美しい朝焼けが広がった
。。。
無事いわきに到着
早く着いたので車中で少し時間を潰してから
用意して頂いたリハーサル場所へ
僕のDuoのやり方は
どちらか一方がもう片方に合わせることをしない
ギターを伴奏者にしてしまわず
歌の心に相づちを挟むようにギターも語らせてゆくのが好きだ
心地良いアンサンブルというものを自分なりに何十年も模索するうちに
いつからかこういう形をとるようになっていた
お互いがそれぞれに信じている音を持ち寄って
それを相手に委ね、受け入れ合いながら
アンサンブルを作って行く僕流のこのDuo法則は
人間関係を素敵に営むための
幾つもある方法の中の一つと同じだと思う
誰と組んでも
人間同士お互い好きでなければ
僕にとってDuoは成り立たない
だから僕にとっての音楽は
やはり、音の手前に人在りき
なのだ
音合わせはいつも時間があっという間にワープする
心地良く会話していると時が経つのを忘れるけど
言葉でではなく音であってもそれは同じなんでしょうね
きっと僕からギターを取り上げてそのまま放置したら
語る道具を無くした僕は相当なお喋り好きな爺さんになるだろう
「あの爺さんは喋り出すと長いから」
と周りから煙たがられる爺さんになるだろう
いやきっとそうなるに決まっている
周りにご迷惑をかけない意味でも
爺さんになるまで僕にギターを弾く場を与えてやって欲しい
この爺さんは腰が重く
部屋の中でギターを触ってるか考え事ばかりしてるので
なかなか自分から重い腰を上げない
だからといって決して怠け者なわけではない
誰かに背中をドンと一発押されさえすれば
結構なとこまで頑張れる爺さんだと
ここに宣言しておく
。。。
お昼手前に会場であるアヌーさんへ移動した
壁の白と植物の緑と反対色の家具で構成された清楚な空間
この部屋は
洋梨の赤ワイン煮とブルーベリーとミントの葉を乗せたショートケーキだ
ご挨拶をして
自前PAセッティング開始
今回のように自前の限られたPA機材でやるような時は
自分が弾きやすい音場に近づけることに僕はかなり神経質で
本番のエネルギー取っとかなくて大丈夫?
と自分が心配になるくらい試奏と修正を繰り返す
でも結局いつも
これで全て手放しに安心なんて得られない
ライブは生ものだから
仕込み時にいくら細かく決めても
本番でいくらでも変わってしまう
わかっていても開場時間が近づくまで毎度のように試行錯誤を繰り返して
開場時間になり楽屋に引っ込んでからは
本番が終わるまで
プレッシャーに押しつぶされそうな時間がずっと続く
今日も例外無くそういう時間
今まで本番前に
逃げ出したいと思わないで臨めたソロライブがいったい何回あったか
それははっきりゼロだと言える
放った音はもう二度と引っ込める事は出来ない
放った直後に聴き手の耳や五感から入り込んで行ってしまう音は
すぐに聴き手その人の記憶や現在の心の状態と関わり合いながら
その人のものになってしまう
音を放つ方としてはもう俎板の鯉なのだ
せめて精一杯誠実に放つしかない
そして終了
これでやっと呼吸が出来る
終演直後の自分を見てみたくて自撮りした
。。。
終演後アヌーさんのご好意で
会場での打ち上げをして頂きました
お客様も残りたい方は1000円で参加自由
こういうの初めてかも
僕は100%と言っていいくらいライブには車で行くので
演奏が終わると当然飲まずに帰ってしまう
シラフの状態ではハードワークの本番演奏後は
僕は一刻も早く独り静かな場所へ行きたくなってしまう
だから申し訳ないと思いつつも
聴きに来てくださった方達と終演後に滅多に話したりもしないのです
それが今日は車を置いて行っても良いとのご好意で
晴れて僕も飲みながら聴いてくださった方達とお話しさせて頂いたわけです
嬉しい時間でした
珍しくだいぶはしゃいだかもしれません
アヌーさんにも残ってくださった方達にも感謝しています
これは残ってくださった方達とお店のスタッフさんと集合写真
顔出しNGにしてって念押しされた顔見知りさんもいたけど
これしか集合写真無いから出しちゃうもんね
大丈夫、、^^ 顔出ししても死にゃぁしない
そして次は
これはですね
本邦初公開なのですが
僕の後に守護霊のようにおわせられるお三方
未熟な僕の音をずっと支持してくださってる
(或る意味物好きな...いや冗談はさておき)有難いお三方です
僕の音楽家人生に勇気をくださっている(七福神ならぬ)
三福神様
宝船の上から皆様の元へも縁起の良い風を吹かせております
そして二日前に誕生日だった僕にケーキも頂きました
ありがとうございました
断片的にだけど記憶に残っているような印象深いこと
本番中に心が動いた事なんかも沢山あると思うのですが
ちょっと言葉では上手く書き表せないみたいです
とにかく濃い1日でした
誰かのサポートではなく自分が看板での演奏は
始まる前は毎回逃げ出したいくらいのプレッシャーに押し潰されそうになり
そして終わってみれば
毎回嬉しさと感謝しかありません
榊原長紀 Solo Live @ noeud(ア・ヌー)
関わってくださった方達
足を運んでくださった皆様
ホントにありがとうございました
車で送って頂きホテルチェックインして
知らないうちに気絶したように眠ってしまったようです
。。。
翌朝は雨
今日は高原さんと高原さんが間もなく10月18日にオープンするという御茶処
「地蔵庵」のソムリエさんお二人に
311の傷痕が残る地域を案内して頂く約束をしている
社会的なこと何も勉強していない自分
そして被災の当事者でもない自分
ただ被災なさった方たちと同じ人間同士として
見たまま感じたまま自分の中に取り込み
生きてる間の浄化の課題にするつもりで連れて行って頂くことにしたのです
まずは機材と車を取りにアヌーさんへ
朝の光が入る店内は心地良い静けさの中に在った
お店の皆さんにご挨拶をしておいとま
皆さんがニコニコ見送ってくださって嬉しかった
まずはいわきから
つい最近避難解除された楢葉町に移動する
添付地図に町名が出てないが
広野町と富岡町の間が楢葉町になる
楢葉町は高原さんのご実家がある地区であり
またご実家の一部が地蔵庵になっている
復興への足がかりにという想いを込めて
茶庵を始めることになさったそうだ
移動する途中
いわきから四ツ倉に入り国道が海沿いになると
さっそく津波により崩壊した建物が現れる
慌てて写真を撮ると
「これはまだまだ序の口なんですよ」と言われた
まずは楢葉町 地蔵庵に到着
緑の中で長閑に沢山の鳥が鳴いていた
あ...入り口に地蔵さん
早速対話を試みる
(こういう独り遊びが好きなんです僕)
「すみません
入っていいですか?」と僕
「まぁ駄目だとも言えんじゃろが...」と地蔵
じゃ失礼して
と庭の奥へ
春には綺麗に花盛りになるのでしょうね
池に見たことの無い水草
可愛い
そしてこの子
名前はケン君
震災の避難ではペットを置いて行かねばならなかったそうだ
家族のようにペットと暮らしておられた方には
身を切られる想いだっただろう
連れて行く事が出来ないために
タライに一杯の水と沢山の餌を置いて避難なさったが
戻る頃には多分生きていないだろうと諦めていたところ
生きていてくれた
近寄ると傍に寄って来るが
すぐ瞳は逸らせ遠くを見てしまう
きっとこの子にしか解らない強い孤独を体験したのだろうと想像した
せめて残りの命を穏やかに過ごして欲しい
。。
311の地震が14:46だったそうだ
屋内には
激しい揺れで床に落ち
落ちた直後14:47で止まったままの時計がそのまま残されて在った
楢葉町 地蔵庵に僕の車は置いて
高原号に3人で便乗して出発した
ここから先は警察の管理が厳しく
他県ナンバーの車はすぐ止められるからだそうだ
第1原発がある大熊町の方へ北上する
避難していた期間に
そこここの畑はセイタカアワダチソウが伸び放題になってしまった中
誰が種を蒔いたか
ある区域だけ一面コスモスの花が咲いていた
種が落ち自然繁殖してるのだろう
このコスモス畑は年々広がっているそうだ
。。。
高台にある天神岬スポーツ公園
ここから下に
かつて津波にさらわれた地域が一望出来るという
そして今は汚染残土置き場になっている
行政はあくまで「仮置き場」としているが
受け入れる他県は無いだろうから
結局ここが最終置き場になるであろうと高原さんはおっしゃった
誰にとってでも同じだと思う
この不浄の存在と共に同じ地で生きてゆかねばならないとしたら
人はどれだけの葛藤を背負うだろうか
適当だけどパノラマです
一枚一枚クリックすると拡大されます
「これから隣りの富岡町へ入ります
ここはまだ避難命令が解けていない地域ですので
車の窓は開けませんが
榊原さんホントに行って大丈夫ですか?」
と高原さんから聞かれる
「はい大丈夫です」と答えた
富岡町は3分割し、そのうちの一つは2年後に避難解除になることが決定しているそうだ
国道6号を越えて津波が押し寄せた地域では
南北に走る6号の西側にも崩壊した家屋が今もまだ残っている
海の近くだったため駅ごと崩壊したという富岡駅跡へ向かう
駅舎のあった辺りに黒い袋に入れられた汚染残土が置かれているのが見える
国道から坂道を下りて行くとそこには
痛々しい風景が今も残っていた
海水に押し流された車が家屋のところで塞き止められ積み上がったままになっている
先ほど坂の上から見えていた汚染残土
この場所の放射能値が表示されている
0,264と表示されている
隣りの楢葉町 地蔵庵で今0.06くらいだそうだ
車で僅か15分ほどしか離れていないがこの場所は
おおよそ4倍の数値だということになるようだ
富岡駅跡を出発した
高原さんに最終確認を受ける
「ここから第1原発がある大熊町に入って行きますが
放射能の数値もグッと上がります
榊原さん大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
人が住めなくなったが故に
植物は緑を生い茂らす
それを緑豊かな美しい風景と見る事も出来る
でもここに暮らしていた人にとっては
暮らせなくなった事、故郷を失った事と
緑が生い茂ることは同義だから
この緑が悲しいだろう
手つかずの緑を見ながら大熊町の住宅街に入る
今自分等が走っている国道は
南北に通り抜けるために開通してあるが
全ての家屋はゲートで閉鎖され中に入れない
そして家屋だけでなく
国道から横に入る道も全てゲートで塞がれ
必ず警察官なのか警備員なのか、が立っている
大熊町は国道に放射能汚染数値が表示されている
3.866とある
先ほどの話しによるなら楢葉町の0,06の64倍ということになるだろうか
その後すぐに出て来た表示板
夫沢方面に右折すると第1原発があるという
僕らは行けるとこまで行ってみることにした
右折
避難で残された養豚が野生化し野生のイノシシと交配し
イノブタが物凄く増えてしまっているそうだ
汚染されているため食肉には出来ない
焼却も出来ない
捕らえて絞めて
巨大な冷凍庫に保管されているそうだが
冷蔵庫がどんどん足りなくなっているそうだ
残された豚も我々人間と同じく
命を全うしたいだろう
必死に生き延び人間と同じように子孫を残すべく交配し
そしてまた人間に捕らえられ殺される
原発まで1.5キロ弱
巨大なクレーンと建屋の屋根が少し見えるとこまで行ったが
警察か警備員か
とにかくこの先には入れない
Uターンして戻る事に
毎日7000人の人間が第1建屋内で働いているそうだ
先ほどあったゲートの警備も想像ではあるが
警察ではなく警備会社なのではないかと話した
人間が1年に浴びて大丈夫な放射能値の設定をオーバーしてしまうから
1ヶ月丸々は働けないそうだ
入れ替わり立ち替わりしながら
毎日7000人働いているそうだ
避難解除された楢葉町だが
「本当に大丈夫なのか?」と懐疑的になり
戻りたいが戻る事を迷う人もまだ多いという
復興を希望の光として
その足がかりを、と率先して戻った人もいる
震災以前レストランだった場所は
解除後レストラン再稼働して
建屋で働く人達のランチで大繁盛だと言う
この町の中には
原発の仕事をして人生を生きていた人達も沢山いらっしゃるし
もともと反対していた人もいらっしゃるだろう
そういう人同士が
この町のスーパーや飲食店で普通に隣同士に擦れ違っていただろう
高原さんは
ご自分が子供の頃にすでに原発は存在していて
遠足で行く場所にもなっていた
と話してくださった
敷地内には芝生があったり
原子炉を囲う分厚いコンクリートの上に子供達も乗っかったり
子供にとって何か楽しい場所に感じ
絶対安全なのだと聞いて育ったそうだ
東京の品川区に生まれ育った僕にとって
小学校の頃の遠足は津田沼にある「こどもの国」や
社会科見学で行った大田区のアサヒビール工場だったり
そういう遠足等で行ったような場所は
僕のノスタルジーの中に組み込まれてしまっている
当時子供だった高原さんたちにとって原発は
僕にとってのこどもの国と同じ
郷愁や自分の原風景だったりする現実がある
汚染が人の命に関わるものであっても
自分の故郷と自分の郷愁が悪者にされたら
それは理屈抜きにその人にとっては悲しいことだろう
7000人の人達や
ゲートのところに立っている警備の人は
普通の仕事よりきっと高い給金を貰っているだろう
もし誰も
いくらお金をもらってもこういう仕事には就かない
と拒絶したらどうなるのだろうか
日本人は貧しい外国の人を雇って危険な仕事をさせるだろうか
既にそういう話しも耳にする
ではもし
そういう外国の人も
お金を幾ら貰ってもこういう仕事をするのは嫌だ、と
やる人が一人も出てこなかったらどうなるのだろう
この世界の人たちが皆
お金よりもっと大切なものをはっきり感じて生きていたら
この人類のストーリーはどんな風に変わって行っただろう
そして
これから先どう変わって行くだろう
人間は便利なものを得る毎に
自然の摂理から離れて行く
神から見捨てられて行くと言い換えても良い
神様から見捨てられ
人間の手で修復しようとして堂々巡りをし
悲しみを増やして行く
悲しみは怒りに連鎖し
傷つけ合う行為へと流れ込む
人間はもっと慎ましく生きたらどうだろうか
お金のかからないものと不便の中で
人は十分に人生の充実を得られる能力を持って生まれて来てるはずだ
楢葉町へ戻る途中
第2原発の方へも向かった
第二原発建屋まで1.3キロ
建屋が少し見えるとこまで行ったが
やはり同じように通行止め
そしてUターン
第2からは海岸沿いの道で楢葉町に戻った
避難解除されたこの町にも
こういう風景が存在してる
やはり「仮置き場」と書いてある看板を車内から目撃した
「とりあえず仮なんで」と言われて
他人の汚物を自分の頭の上に乗せられて嫌悪しない人はいないだろう
しかも、仮
と言っておいて
いつの間にか自分の頭の上に汚物を置いた人は
行方を眩ませてしまう場合もあったらどうだろう
人の中には悪もあるが善も宿っているのに
何故、こんな事になるのだろう
便利を求め自分の手に負えないものに手を出すからではないだろうか
演奏というものは
誰も何一つ助けてくれない
良い演奏をしたいなら面倒な反復練習も避けては通れない
面倒な反復練習を徹底的にやっても
失敗し打ち拉がれる
それでもまたコツコツ真直ぐな心で向き合って進むしか上達の方法は無い
幸せに生きることが出来る方法が
もっと身近にあるはずだと強く思いながら
案内して頂いた車の中
後半はほとんど黙っていた自分だった
理屈では人の心に決して届かない
届かないどころか
むしろ誤解を増やすばかりだろう
そして今ここに僕が書いていることは理屈なのだ
僕がするべき事は
自分の道として、また
命の仕事として選んだこのギターというものを使って
理屈を持ち出さずに
お金以外でもっと幸せになれることがこの世界には在る、と
ほんの少しでもいいから示す事なのでしょうね
そのことをよく自分に言い聞かせました
。。。
地蔵庵に戻りました
またケン君に話しに近づいた
キミの目が僕を素通りして遠くを見るのを
僕が寂しいと感じて
僕の方に向いて欲しいと思ったら
理屈じゃなくキミに全霊で接しなきゃ
共有の入り口にも立てないよね
今日という日の最後のイベントになる
地蔵庵
お座敷にお邪魔して
日本茶のソムリエさんに煎れていただいた玉露を頂いた
その
味わうということの楽しさ奥深さに
カルチャーショックを受け
写真はほとんど撮れませんでした
茶葉を育てるところから茶道は始まって
土、太陽、水、日射の受け方
湯加減や煎じる時間
そして煎じ上がるのを待つ時間さえも
お茶の味に影響している
舌の上に乗せて転がしたたった一滴のお茶の風味が
原発で熱く覚醒した僕の神経を
あっという間に静かな時間へと誘ってくれた
同じ茶葉で
一煎目から五煎目まで頂き
その味の変化を楽しんだ
あげく
五煎目を終えた茶葉を
食すという
これまた生まれた初めての体験をさせて頂いた
なんて美味しいのだろう
添加物の無いお醤油を
楢葉町の水道水で薄めたものに
ちょん付けして
煎じ切ったあとの茶葉を頂く
ここにもさっきと同じ教訓がありありと現れている
手間をかけずに長期保存出来るからと
子供の頃から添加物の入った食材に慣らされてしまった僕の味覚
人が惜しみなく手をかけたものが
どれだけ美味しく
また心地良い音か
そういうことに人はもっと気付いても良い
その方が皆で共に幸せに生きられるから
すみませんっ、ご飯くださいっ!
あまりに美味しくて...
こうして僕のソロライブの行程は全て終了しました
お世話になりました福島
東京に戻ります
音も精神も語る事も
まだまだ未熟です
きっと生きてる間
ずっと未熟だと感じ続けると思う
こんなのは苦しいけど
でもだから感謝を学習してゆける
結局今回も全て終わってみれば
多大な発見と感謝と喜びを貰えた時間でした
関わってくださった全ての方に
嘘偽り無く
心から御礼申し上げます
ギタリスト
榊原長紀