僕は子供の頃から自意識過剰なので
人の目が気になって気になってしかたないところを
大人になるにつれ、努めて気にしないようにどんどんしようとしていって
結局、自意識過剰は無くなり切るわけでもなし
それでいて「気にしない」という天然ぶりだけが新たに備わってしまって
変な大人に仕上がったのだった
皆が一つのジョークで笑い合ってるとき...笑えない...
それどころか、(うかつにも)我を忘れて笑ってしまったとき以外では
どうも上手く笑えない
ステージでニコニコなんて絶対出来ない
こないだ妻に「あなたは是非見るべきだ」と勧められて、アメトークとかいう番組の
人見知り芸人、というのを見た
どれだけ人見知りが辛いかを芸人達が語って行くのだが
人見知りじゃない人間からは全く理解されない苦労の数々を聞いていたら
結果
大爆笑した
僕がテレビを見て大爆笑、なんて
そんな...滅多に無い事なんです
そして、人見知り芸人達っていうのは
要するに自意識過剰からきてるのは明らかなのだ
そして、彼らの「目力」は弱くて
みんな、うるうるしている
(僕も自分の目力がうるうるしてると、ずっと前から思っていた)
彼らは番組の中で
人見知りである自分の苦労を語り
自分が苦労してるからこそ別の人見知り芸人の苦労を笑いころげ
普段目力の弱い、うるうる達は、気が付けば
最後には全員で腹を抱えてゲラゲラ笑い合っていた
(僕も気付けば、お茶の間でそれに参加していた)
自意識過剰の人見知りの苦労はホントに身に沁みてわかるので
テレビの中で我を忘れて笑っている彼らを見ていたら
今度は泣けて来た
笑いながら涙が出てくる
こうなってはもう滅茶苦茶だ
とてもこんな姿は他人には見せられない、と頭をよぎるが
いや...
この滅茶苦茶を、むしろ出して行くことにしようと思い直す
よしっ...
これからの僕の目標は
「我を忘れて笑う」、にしよう
ステージで我を忘れるのだ
忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ
そして今日
だいぶ忘れてステージをやってきたのです
僕の大お気に入りの、タカシさんの駄洒落がまた
ぐいぐい引っ張ってくれるし
それに助けられて今日はかなり「忘れた」
こういう嬉しい時間を持てた後は
すぐには元に戻れないので
静岡から帰る東名高速の上で今度は涙が出て来たのです
こういう濃いことばかりしてたら寿命は縮まるんでしょうかね
それとも、多くの喜びを受けて長生きするのかな
結局、自分一人で
どんなふうに自分を弄くりまわしてみても
こんなふうにはなれない
誰かと関わる中でしか得られないってことが
今日みたいな日にはハッキリ見える
笑いと涙はやっぱり地続きで
充実は得れば得るほどエネルギー消費するから
廃人になりそうに疲れる
誰にどう思われるかなんて忘れ去って利己的に笑い尽くしたら
皮肉にも皆と繋がってる
こういうことなんだよな...
そう
もうだいたいわかる
こういうことなんだ
感謝も幸せも笑いも涙も
全部そういうものは、こういうのの中にあるんだ...